ep.01-4 嘘つき地味姫(4)

 五階の扉を開ければ、白を基調としたシンプルな部屋が広がっていた。窓際の花瓶には花が挿してあり、侍女が替えているとも思えないので、おそらくフェデリーカの友人が彩りを加えてくれているのだろうと推察できる。

 窓の近くには机があり、その隣には本棚もあった。ユーリカがいる入口からはよく見えないが、後ほどフェデリーカに許可をとって見ると、神話や妖精学、魔法学などの本を始め、医学書や薬学書、帝王学の本までもあり、フェデリーカが勉強家であることが伺える。


 ユーリカは部屋に入り、王族にしては控えめな天蓋付きのベッドの上にフェデリーカを寝かせる。


 そこで初めて後ろに気配を感じた。


「っ誰だ!」


 狭い室内で意識のないフェデリーカを守りながら戦うのはかなり不利だ。第一、後ろの影がかなり近くなるまで気付くことが出来なかった。いくら能天気なユーリカとはいえ、警護対象がいる中で警戒を怠ることは一切なかったのに、だ。


 剣の柄に手を添え、後ろを思い切り振り向くと、建国神話の挿絵と同じような容姿をした小さな妖精が二人、フェデリーカの眼鏡を持って飛んでいた。


「まさか……!」


 確認するように肩にいるリオに目を向ければ、リオはその通りだと言わんばかりにしっぽを振っている。ユーリカにはリオの声は聞こえない。しかし、生まれた時からほとんどの時間を一緒に過ごしてきた相棒の様子は、やはりなんとなくは分かるのだ。


「自己紹介をする必要はあるかい? ユーリカ・ディアナンド」


 ユーリカには、相棒の声は聞こえない。だが、その声は聞こえてきた。少し高めのテノールが彼の鼓膜を叩く。幼さと威厳が共存している不思議な音色を奏でていた。


 その不思議な声を発した男には、顔の横で切りそろえられた金髪の上に王冠が軽く乗せられている。瞳は空を司る蒼で、その服装は王様然としていて、赤いマントが彼の背で翻っている。

 その隣には、赤いドレスを纏い、長い黒髪を遊ばせ、花を司る薄い桃色の大きな瞳を持った同じサイズの女性がいた。彼女の頭にも同様に王冠が乗せられている。


 相棒に聞くまでもなかった。

 あれはだ。


「……っいえ、妖精王オベロン様、並びに妖精女王タイテーニア様」


 すぐさま片膝をつき、頭を下げる。

 彼らはそんなユーリカに目もくれず、先にフェデリーカの眼鏡をベッドサイドに置いていた。コトリと静かな部屋に小さな音が響く。


「頭を上げていいよ、ユーリカ・ディアナンド。キミは仮にもボクたちの愛し子を守る騎士だ。そんなにかしこまる必要は無い」


 そうは言われても、と思いつつもおずおずと頭を上げる。ユーリカには、それ以外の選択肢がないのだ。妖精王オベロンにとって、人間であるユーリカ・ディアナンドなど、指一本でどうにか出来てしまう。それほどまでに、王と女王は別格なのだ。


「……ふーん、よーく見ればそれなりに魔力は持っているようね。ねぇ貴方、何故魔法士にならなかったのかしら?」


 今まで黙っていた妖精女王タイテーニアがユーリカに問う。ユーリカ自身、それなりに魔力を保有していることは自覚していた。それでも、自分は騎士になりたかった。

 嘘をついては死ぬ。

 そんな緊張感の中、ユーリカは口を開いた。


「まだ、魔力の保有量も分からず、貴族子息として剣を握ったばかりだった頃、とある方に私の剣が素敵だと、褒めていただいたからです」

「そう。それで? その子の名前は覚えているのかしら?」


 タイテーニアには、面白そうに口角を上げる。自分よりも何倍も小さいはずの彼女が、大人の女性らしく色香を纏っているように見える。これが人間と同じ大きさだったとしたら、この方に籠絡される男は多いだろうと現実逃避してしまった。

 タイテーニアに問われたことを答えるべく、ユーリカは、自身の後ろでスヤスヤと穏やかな寝息を立てている主人を一瞥したあと言葉を発した。


「……先程、本当のお姿を拝見して確信致しました。その方は、第二王女フェデリーカ・ルーナ・ハルティア様です」

「タイテーニア、この子、あの時の子だよ」

「あら? ……うーん、ああ、そうね。確かに見覚えがあるわ」


 自分の与り知らぬところで話が進められていく。ユーリカには、『あの時』が分からなかったが、それを問うことも今は叶わないのだ。


「さて、ユーリカ。キミは隠されたリカの秘密を知ってしまった。そしてボクらのこともね」


 オベロンたちのことに関しては、彼らから姿を現したのでユーリカには一切責任がない話である。しかし、オベロンとタイテーニアにはそれは関係ないし、考えることもしないのだ。それが、妖精だ。


「キミにひとつ問おう。キミはリカを、フェデリーカを裏切ることはしないよね」


 疑問符がない。もちろん、ユーリカにとって一生に一度の忠誠を捧げた相手であるフェデリーカを裏切ることなど有り得ないのだ。たとえ彼女が王国転覆を計ろうとユーリカにとって、フェデリーカの意思はユーリカ自身の意思と同義。フェデリーカの為ならば、命を投げ打つ覚悟はとうに出来ているのだ。


「妖精王陛下と妖精女王陛下に誓いましても、私はフェデリーカ様を裏切ることはありません」


 自身の誓いが蔑ろにされたも同然だ。目の前にいるオベロンの空色の瞳をしっかりと見つめそう言った。

 この国において、妖精王と妖精女王に誓うことは最上位のこととされている。世界的なマラゾーラ教の唯一神マラゾーラよりも、妖精の国ハルティアでは、妖精の方が根強く浸透しているのだ。


「ありがとう、ユーリ」


 すると、後ろから声が聞こえてきた。


「リカ様!」

「ごめんなさい、少しそのままで待っていただける?」

「かしこまりました」


 立ち上がろうとすれば、フェデリーカから静止がかかったので、そのままの状態で待機した。

 フェデリーカは、未だに重い体を風魔法で直接持ち上げ、同じように風魔法を使い眼鏡を手元に寄せる。丁寧に眼鏡をかければ、たちまち髪の色が変わり、顔の造形も変わったように見えた。


「もういいですわ。ユーリ、おいで?」


 彼女がそう言えば、ユーリカは立ち上がってベッドサイドにまた片膝をついた。


「もうお加減はよろしいのですか?」

「ええ、平気よ。……心配かけてしまったわね。ロンとティアもありがとう」


 何やら呆れたようにこちらを見つめていた二人に声をかければ、二人はフェデリーカたちの方へ近づいてきた。


「ボクたちは別に何もしていないよ」

「ふふ、そうなのね。言いたくなっただけだから気にしないで。それと貴方も」

「ひめさまー? だいじょーぶー?」

「ありがとう、大丈夫よ」


 ユーリカの肩に乗ったリオの頭を指先で撫でる。

 ユーリカは、リオと会話しているフェデリーカに聞いた。


「リカ様はリオの言っていることが分かるのですか?」

「ユーリは聞こえないの?」

「はい。昔からサラマンダーたちの姿は見えるのですが、声は聞こえず……。リオは、家にたくさんいたサラマンダーの一人だったのですが、生まれた時から波長があったのか一緒にいてくれるんです」


 そう、と優しく微笑んで、またリオの頭を撫でる。リオは気持ちよさそうにされるがままになっていた。


「でも意外ね、貴方ならサラマンダー以外にも精霊が見えてもおかしくないし、声が聞こえてもいいはずなのに……」

「え?」


 真剣に呟いたフェデリーカに、ユーリカは目を向ける。眼鏡の向こうに隠されている薄桃色の瞳と目があったような気がした。


「……そうね、貴方なら話してもいいかもしれないわ。初めてできた人間のお友達ですもの」

「フェデリーカ、のかい?」

「ロンは心配性ね。言ったでしょう? この人は『大丈夫』だって」


 フェデリーカがそう言えば、ロンは諦めたように引き下がった。ティアも心配そうな目をしながらも、ロンに着いていく。


「ユーリ、このお話はここだけの秘密よ」


 そう言って話し始めたのは、ユーリカには想像がつかない世界の話だった。

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