第2話 寺

少年が住む世界には「季節」というものは存在しない。


 ただ、春・夏・秋・冬という概念はあり、それぞれが1/4の確率で訪れる。いつ、どの季節が訪れるかはだれにもわからない。ひとびとは季節を肌で感じ、「今日は夏だね」とか「今日は冬だね」とか語り合っていた。少年は、気温の違いでしかないじゃないかと常々思っていたが、大人になると、はっきりとその違いがわかるらしい。

 近所のおばさんが「今日は春だね」と言っていたので、今日は春らしかった。秋とのちがいがさっぱりわからない。

 

「今日はほんとうに春なのかな」

 

 そんなことを考えながら、少年はお坊様から任された作業を終え、そばにあった丸太の上に腰かけていた。少年の額や腕からは汗が噴き出している。農作業は嫌いじゃない。少年は耕し終わった20平米くらいの土地の端々をゆっくりと点検し、充実感を感じていた。

 さて、お坊様に報告しないと、と立ち上がると、それをわかっていたかのようにお坊様が裏庭までやってきた。


「やあ。ありがとう。お茶でものもうか。」

「はい。ありがとうございます。こんな感じでいかがでしょうか。」少年は耕し終わった土地を指しながらお坊様に言った。

「ああ。大丈夫だ。いつも良心的な仕事をしてくれて本当にありがとう。」

「いえ、こちらこそ。本をいつもいただいてますので。」

少年は少し顔を赤らめながらそう言った。


「ういろうがしっかり冷えているから、麦茶といっしょにいただこうかね。」

「はい。ありがとうございます。」

 

 少年とお坊様は木の柵を超え、墓地を進んで寺に隣接しているお坊様の住居にむかった。お寺の敷地のほとんどは砂利が敷かれている。梅やイチョウやさくらや松などの木が生い茂っている。お寺の庭はいつもきれいに整備がされており、時期によっては花が咲いていたり、すべての葉が落ちたりしている。少年は春と秋の違いをさっぱり理解していなかったが、さくらが咲いているのは春、イチョウがいろづくのは秋ということは理解していた。さくらが満開であったので、少年は「今日は、本当に春だったのか」と少し意外に感じた。


「お邪魔します。」

「はい。いらっしゃい。」お坊様はにこやかに言った。

廊下を抜け、二人は畳の部屋に入った。少年は座布団に腰掛け、部屋を見渡した。


「はじめてお邪魔しましたが、立派なテーブルですね」

「ありがとう。いつから置いてあるかわからないんだけどね。昔、檀家さんからいただいたんだろうね。さて、お茶をもってくるから少し待っていてね。」

そういってお坊さんは部屋を後にした。

 

 畳の部屋の中心には重厚な天然木のローテーブルが置いてあり、壁には掛け軸がかかっている。掛け軸の横には違い棚があり、壺のようなものが置いてある。質素だが、ひとつひとつが長持ちしそうで立派なものだ。少年はそういった年月を超えて愛されるものが好きだった。

 お坊様がお茶とお菓子と三冊の本をもって部屋に帰ってきた。


「さて、いただきましょうか。」

「ありがとうございます。いただきます。」


農作業を終えた後の麦茶と甘味はうれしい。すぐに麦茶をのみほしてしまったが、お坊様がお代わりをついでくれた。


「さて。それで、本なんだがね。」お坊様はそういって本を三冊机に広げた。

「私が昔、よく読んでいた本をみっつ持ってきたよ。気に入るかわからないんだけど…」

「本は何でも読みますので大丈夫です。いつもありがとうございます。」


エピクロス『教説と手紙』

村上龍『限りなく透明に近いブルー』


「書かれた当初ものすごく批判をうけた本もあるんだけどね。君みたいな年になればこういった本にも触れていた方がいいだろうから。すでに読んだことのある本はあるかい?」

「いえ、まだどの本も読んでいないです。ちなみに批判を受けた本ってどれですか?」

「まあ、それは読んでみればわかるよ。」

「そうですか。とにかく、ありがとうございます。」

「一冊は君に、生きる意味を、一冊は君に、感情の揺さぶりを教えてくれるだろう。君は生きる意味について考えたことはあるかい?」

「生きる意味ですか…いいえ、しっかりと考えたことはないかもしれません。でも、なぜ生きているんだろう、とは考えるかもしれません。」

「そうだね。一度生きる意味について考えてごらんなさい。」

 

 少年は、本とお茶とお菓子のお礼をお坊様に再度いって玄関をでた。

「今日はありがとうございました。」

「いいえ、こちらこそ。あっそうだ。明日は君が住んでいる地域は冬がくるだろうから、暖かくしてねむりなさい。」

「そうですか、ありがとうございます。それでは。」

 日はすっかり暮れ始めていた。砂利道を進みながら本棚が埋まることにわくわくしながら少年は帰路についた。

しかし、少年の心には悲しげな音楽が流れていた。


 少年の心はわくわくとした気持ちにあふれているはずなのに、流れてくる音楽には悲哀が満ちている。少年の世界には音楽というものは存在しない。音楽はそれぞれの心に直接語り掛けられるものだった。少年の世界では音楽は作られないし、演奏もされない。ただただ心に直接、自分の意図とは関係なく流れるものであった。


 しかし、少年の世界とは別の世界で、少年の心に流れる音楽の名前はついていた。

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