冬と家

吉田 慎二

第1話 本

 少年は天井も玄関もない家に住んでいた。

 部屋はワンルームでだだっ広く、物はほとんど置かれていない。


 床や壁は打ちっぱなしのコンクリートのようだ。装飾もない。ほこりなどはほとんど落ちておらず、一応清潔に保たれているようだ。キッチンにも油汚れ一つ見当たらない。

 部屋の真ん中には、ローテーブルが1つと座椅子が1つ、暖炉が2つ置かれている。ローテーブルは一辺が1mほどの正方形で、使い古されたものらしく、方々で色が剥げている。座椅子は床とほとんど同じ色だ。これも新しいものではなさそうだが、丁寧に扱われているらしく、ほつれなどはない。2つの暖炉は大きさも色も異なる。一つは真っ青に塗られていて、大きく、少年の背丈の半分ほどもある。もうひとつはキャンプで使うような携帯型だ。色は黒い。


 その他にあるのは大きな本棚のみである。本棚は部屋の一辺を全て占めており、幅は4mほど、高さは2mほどある。半分は本で埋まっているが、半分は何も置かれていない。並んでいる本の種類は様々だ。哲学書もあれば、絵本もある。とくに収集する本のジャンルは決めていないらしい。



 この部屋の主である少年は、この本棚を埋めるためにほとんどの時間を使っていた。


 あるときは友人から譲り受け、ある時は近所の草抜きを手伝った褒美としてもらった。譲り受ける本のジャンルは問わず、少年から本を指定することもなかった。少年は本棚がうまっていくことに充足感を感じており、新しい本を譲り受けては本棚に収納し、その本棚の様を眺めてはうっとりとしていた。



 少年はその日も本を譲り受けるために出かけた。隣町の小さなお寺である。

 

 お寺には、お坊様が一人で住んでいる。お坊様は背が低く、成長期の少年よりも少し小さい。いつも風変わりな儀式をしていて、火をたいたり、仏具をもってぶつぶつ何かを唱えたりしていた。そのためか、近所の人たちからは嫌われたり、怖がられたり、煙たがられたりしていた。それでも世界は広いようで、遠くからいろいろな人が来てはお坊様のお話を聞きに来ていた。遠くから来た人たちは難しい顔をしていたり、満足げにしていたり、泣いたりしながら話を聞きに来て、3時間ほどお寺で時間を過ごしては帰って行った。


 ただ、少年はお坊様から感情をゆすぶられるようなお話を聞いたことはない。たいていは、何かしらの作業を任せられ、それが終わったら本をもらう、ということを繰り返していた。お坊様はいつもにこにこしていたので、なんとなくいい人な気がしていた。少年はお坊様のことをよくは知らなかったが、悪い気持ちは抱いていなかった。どちらかといえば気に入っている、という感じだ。


 今日は、お寺の裏庭の小さな畑を耕すことになっていた。正午ぴったりにお寺についた。その日はだれも訪れていないようで、お寺には数羽の雀以外にはとくになにも見当たらない。少年が境内に入ると、わかっていたかのようにお坊様が鍬を持って玄関からでてきた。仕事がないからか、グレーのTシャツと白っぽいだぼだぼな短パンをはいている。


「こんにちは」少年はお坊様に声をかけた。

「こんにちは。今日は畑をたがやしてもらうことになってたかな。いつもありがとう。」

「いえ、こちらこそいつも本をゆずってくださり、ありがとうございます。」

「とんでもない。さて、早速、仕事にとりかかってもらおうかな。」

そういって二人は裏庭へとむかった。


裏庭は墓地と隣接していて、墓地と裏庭を木の柵が隔てていた。裏庭には20平米くらいの家庭農園があり、ネギやトマト、ナスが育てられている。



「ちょっとこの畑をおおきくしようと思ってね。その手伝いをしてもらいたいんだ。同じくらいの大きさの畑をもう一つ作ろうと思うから、いまある畑の隣の土地を耕してもらってもいいかな。」

「はい、わかりました。」

「ある程度おわったら、声をかけてくれるかな。そしたら本を何冊か選びにおいで。」

「ありがとうございます。でも、僕はあんまり本を選ぶ力がないというか、、、自分で選ぶと読んだことがあるような本を選んでしまって、つまらないんです。何冊かおすすめの本を選んでいただいでもいいでしょうか。」

「ああ、そうだったね。じゃあ私が好きな本を何冊か選んでおくから、それを持って帰りなさい。それと、耕しおわったらお茶でもいかがかな。ういろうとえびせんべいを昨日いただいたんだよ。ひとりじゃ食べきれなくてね。どちらがいい?」

「はい。お茶もぜひ。あと、お菓子は選んでいただいて結構です。」

「そうかね。それでは、私がえらんでおくよ。」

「ありがとうございます。終わりましたらお声がけしますね。」

「では、畑はよろしく。」


お坊様はそういって裏庭を後にした。


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 尚徳は本堂に入った。いつものように仏具を磨くためである。尚徳は正午から午後6時のどこかで必ず仏具を磨く時間を設けていた。数十個ある仏具を取り出し、一つ一つ丁寧に磨き上げる。ときたま焼酎を飲んだ。


そして、本尊に語り掛ける。

「私は、あの子を気に入っているんです。皆様もあの子をかわいがってやってください。」


 尚徳は特に仏道に入ってから仏教に興味を見出したわけではない。仏陀のダルマに興味があったのである。密教というものが仏教のみにルーツがあるとはそもそも信じていなかった。日本に入ってきた宗教がどのような歴史的背景があるのか、というのを尚徳は理解していた。彼の哲学的観点はもっと理性的で、現実的なものであった。


「我々は写しだされた影でしかありません。ただ、影である我々がただの人形であるとも信じてはいません。理性を持ち、影として独立してこそ存在する意味があります。」


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