第8話

「そしてその時間内にその課題曲を暗記しなさい。」


 なんともすごい課題が出されたと思った。けれどここで全て覚えてしまえば、あとの時間は他の練習に目を向けられる良いチャンスだということに気づいた。私が韓国語がわからないせいか英語の歌詞が書いてあった。


 先生が30分のタイマーをセットする。


 だとしてもどこから手をつけたら良いか分からない。隣を見てみるとソヨンも同じような顔をして楽譜とにらめっこしていた。ジスオンニを見てみるととりあえず最初から順番に覚えているみたいだった。


 音と歌詞を両方覚えるのは難しい。伴奏は先生がしてくださるそうだった。とりあえず、歌詞は完璧に覚えておかないといけないのであとはリズムさえ覚えていれば案外乗り切れるかもしれないと思った。あとは間違えても続ける心を忘れなければ大丈夫なはず。自信はない。とにかくやってみるしかないと思い、楽譜をめくった。


 十五分が経過した頃、先生があと半分だと言ってゆっくり部屋の全体を回りながら確認してきた。見渡すとほとんどの練習生の子たちはもうそんなに時間が経ったことに驚きと落胆の表情をしていた。


 隣のソヨンを見てみると、意外としっかりしているようで自分でタイマーで測って順番に覚えているようだった。


 ジスオンニも楽譜の後半までめくっていて、しっかり覚えているようだった。


 一方私はというと、ソヨンにヒントをもらいながらリズムを覚えきったところだった。歌詞の方はというとある程度の流れは掴んだ。大体は同じ文章の繰り返しがあることが多いからその部分はしっかり覚えることができた。細かいミスを直せば一応課題曲は覚えられるような感じだった。


 他の練習生を見終わったのか、先生が私のところまできた。少し覗き込むような仕草をした後に話しかけてきた。


「あなた、案外やるのね。頑張りなさい。」


 まさかそんなことを言われるとは思わなかった。先生が近くにきて覗き込んだ時は何を言われるのかと思わず心臓が飛び出そうだった。


 ソヨンとジスオンニも頑張ろうと励ましてくれた。その励ましを力に変えてまた暗記作業に集中した。とりあえず、一通り歌ってみることにした。やはり二番に入るとあやふやになってしまう部分があったのが気がかりだった。


 あと五分ほどになっていよいよ時間がなくなってきた。ソヨンはというと少し前まで楽譜とにらめっこを続けていたのに半ば諦めたのか俯いて課題曲をつぶやいてはため息をついていた。もう一方のジスオンニは熱心に書き込みながらリズムの練習をしていた。ジスオンニは最初から結構順調に進んでいるようだったしすごいなと思った。


 周りの子達を見ていたら、時間がなくなってしまうので急いで目線を楽譜に戻して最終確認をする。入りの音とリズムはしっかり捉えないといけない。歌詞を間違えるミスはなるべくしたくない。とにかく最初にやった歌詞の翻訳とか原曲を思い出して自分がその歌に乗れれば大丈夫だと心の中でつぶやいた。

 


 そんなこんなでまたまた楽譜とにらめっこをしているうちに時間が来てしまった。

 

 先生に名前を呼ばれて順番に前に出ていく。先生によれば、うまくできない生徒は途中で止められるらしい。逆にうまく歌えた場合メロディーを弾かずに伴奏だけにする可能性もあるらしく、どちらにしろ緊張しかなかった。


 そのうちソヨンの出番が来た。若干泣きそうな顔をしているソヨンが可愛くもあり可哀想でもあった。きっとできると精一杯肩を叩いて励ました。ソヨンは少し不安げに、けれど笑いながら前に出ていった。


 少し歌詞を間違えたり音を間違えたりした部分はあったけれど無事に歌い切った。やっぱりソヨンはリズムを取るのが完璧だった。後半は少しリズムに乗りながら歌っていたので思わず驚いた。


 先生からもリズム感の良さは褒められていた。他の子達は途中で止められる人も少しいたので歌い切れたことにまず拍手が起きた。そこから細かいアドバイスをもらって私の隣に戻ってきた。


 「はあ、めちゃくちゃ緊張した、、。」


 前に出て歌っているソヨンは緊張しているようには感じられなかった。ソヨンのそんなところがすごいなと思いながら、良かったよと励ましてあげた。


 次はジスオンニの番だった。先に結果を言おう。圧巻だった。さすがだった。”あのジス”と言われていたのはこういうことだったのかと納得するような結果だった。先生も大絶賛していて、次に歌うのが私だという事実が私の心臓の動きを速くさせた。


 いよいよ私の番になった。最初のイントロが聞こえる。ここでキーを捉えて、最初の言葉を思い出す。


 歌詞や原曲を聴いたときになんとなく私の好きな曲だと思った。綺麗で儚くて、それでいて明るく芯のある曲。歌詞の内容も必ずしも良いものばかりではなかったけれど、どこか私を励ましてくれるような内容だった。


 原曲を頭の中に流しながら、歌を歌い始める。最初は歌詞を少し間違えてしまった。けれど、他の子達もよく間違えている場所だったためそのまま伴奏は続いた。曲が進めば進むほどその曲の雰囲気に乗ることができた。


 まるで昔から聞いていたかのようにスラスラと言葉が出てくる。後半から伴奏のメロディーがなくなっていることに歌っている時は気づかなかった。


 そして歌が終わった。歌い終わった後に他の子達を見るとみんな目を見開いていた。そんな顔をされるととても不安になるのだけどと思いながら一礼した。すると、大きな拍手が練習室に響いた。


 先生もとても褒めてくれた。曲の雰囲気に乗ることができていたのは素晴らしいと言ってくれた。


 その後に細かいアドバイスをもらった。やはり前から気づいていた発声方法は指摘された。けれどその部分をしっかり改善すればまた良い方向に変わるだろうと言ってくれた。正しい発声を身につけて、曲を表現できるようになれば君の声は素敵なものになると。


 レッスンが終わって休む間もなくダンスレッスンの練習室に移動する。予定だった。部屋を出た後に聞こえたソヨンの声が次の悪夢の始まりを告げる鐘のようだった。


「ふうかの靴、なくなってるんだけど」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

No Title <not anyone> 椿レイ @otoufu15

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ