#2 晴れときどきスクリュードライバー
第六講 名前を教えよう、松明だ
「さて、今日は第七話の内容をやろうと思っていたのだが……」
「……?」
シャリヤの声は尻すぼみに下がっていった。
いつもと流れが違うのは悪いことが起きる予兆である。俺は首を傾げながら、次の言葉を待った。
「――フェリーサが失踪した」
「えぇ……」
割といつものことだった。元気旺盛なフェリーサは街中を走り回るのが最近の趣味らしく、そのうちいつの間にかレトラの外に出ていってしまうようになってしまった。確かにランニングはストレスの解消にはなるが、そのまま何処かへ行ってしまうのは難儀なものだった。
俺は適当に身を整えてから、呆れ顔で出ていくシャリヤの背を追った。
町の外に出ると有志の市民たちが捜索に回っていた。レトラは狭い街なのでよく顔を合わせるメンツだ。しかし、シリアスに事を捉えている様子はなく、いつものことだとほんわかした様子で彼女を探している感じだった。
「なあ、そういえばシャリヤとかフェリーサとか、エレーナとかいうけどさ」
「どうしたいきなり、名前を並べて」
あたりを見回しながら、シャリヤは答えた。
「いや、どんな意味なんだろうなあと思って」
大抵、人の名前には命名する者の意図が含まれていることが多い。翠という名前は……どうやら間違って書き込んだものを戸籍登録されたらしいが、まあそれは良い。
例えば、インドの幾らかの言語に共通するの名前にヴィジャイ、ヴィジェイという物があるが、これは「勝利」という意味だ。なんか少年漫画に出てきそうな名前だが、直球的で素直でカッコいいじゃないかと俺は思う。
シャリヤはうーむと腕を組んで唸る。
「まあ、一番わかりやすいのはレシェールだな。ヤツの名前は"
「"
「名詞について、名前を作る語尾だ。"
「ほーう、カッコいいなあ。あんなクールなミュロニユさんの名前が『誇り』を意味してるとは……ん、そういえば、シャリヤはつまりシャルから来ているってことか」
「御名答」
路地の奥を覗き込みながらシャリヤは肩を竦める。
「だが、それを説明するにはちょっとばかし難しいものがあんだ」
「どういうことだ?」
「シャルはもともと名前専用の単語なんだよ。『見る』っていうか『視界』っていう意味らしいんだが、専門的なことは説明しづらいな」
「ふうむ、じゃあエレーナとかフェリーサは?」
「シャルと同じく名前専用語だ。こっちの方はもはや意味が良く分からないんだ。昔の聖名と呼ばれるものに由来するんだぜ」
「何か中二病みたいなの出てきたな」
「しょうがねーだろ、そう言われてたんだから」
ふんむと不機嫌そうにこちらを振り向いていう。
「名前といえば、他にも気になることがあるぞ。ヒンゲンファールさんはなんでヒンヴァリーって呼ばれたがるんだ?」
そういえばと思い出したことだった。ヒンゲンファールさんは公衆の場ではヒンヴァリーと呼んでくれと言い続けてきた。あれがどうにも今になっても腑に落ちない。
「リパライン語の名前には省略名称があるってのは知ってるだろ?」
頷く。
アレス・シャリヤならアシャ、ヒンゲンファール・ヴァラー・リーサ・ならヒンヴァリーというように、リパライン語では名前のそれぞれの単語の第一音節を合わせてニックネームを作る。ただ、それでは説明にならない。シャリヤはもっぱらシャリヤという名前で呼ばれてきたからだ。
「ヒンゲンファールさんは時代的に敵と看做されかねない家の人間だったんだよ」
「敵……? フェンテショレーの話か?」
「そうだぜ、フェンテショレーと名される連中は大体貴族家とかその他イェスカの軍勢に抵抗した旧政府の奴らなんだが、ヒンゲンファール家はもともとは貴族家だから――」
「ちょっと待って、つまりヒンゲンファールさんはフェンテショレーだったってことか?」
「ちげえよ、ヒンゲンファール・ヴァラー家だからあれは分家、フェンテショレーとは関係ねえからな」
ほっとして胸を撫で下ろす。もしヒンゲンファールさんがフェンテショレーならフィシャを見捨てた極悪非道の女史になってしまうところだった。
ところで、まだリパライン語の名前には疑問が残っている。
「そういえば、インリニアの名前って二つあったよな、ヴェフィス語のインファーニア・ド・ア・スキュリオーティエ・インリニアとリパライン語でのスクーラヴェニヤ・インファーナイヤ。良く似てるんだが、どういう対応なんだ?」
「ふん、良いところに目をつけたな。実はヴェフィス語とリパライン語は親戚関係にある言語なんだ」
「ほう」
俗に言う語族や語派の話なのだろう。地球でも同じ語族の言語は語根を共有していることがある。分かりやすいのが英語とドイツ語だろう。いずれもインド・ヨーロッパ語族ゲルマン語派に属する言語で、例えば"church"「教会」と"Kirche"、"speak"「話す」と"sprechen"、"open"「開く」と"öffnen"という風によく似た単語が見つかる。
「まず前提としてヴェフィス語とリパライン語では名前の順番が違う。リパライン語は姓名だが、ヴェフィス語では名姓だ。だから、変換した上で反転しないといけないわけだ」
「ふむ」
「リパライン語"
「あ、ああ、もしかして名字は複雑だったりするのか?」
シャリヤは難しい顔をして頷いた。
「ヴェフィス語の名字は、元となる名詞の属格に名字語尾"
「なるほど、だから"
道筋は遠かったが大体納得できた。
リパライン語の名前の秘密を知って、すっきりしたところで俺とシャリヤは遠くで何やら騒ぎが起きているのに気づいた。そう、そういえば、俺らはフェリーサを捜索してたんだった。それを思い出しながら、騒ぎの方へと向かっていく。そこでは町民たちが何かの周りに人だかりを作って、お互いに言い合いを始めていた。
過去のシャリヤに似つかわしくなく、彼女はその人混みを掻き分けて囲んでいるものに近づこうとする。俺もその背中を追った。
「おい……これって……」
町民が囲っていたもの、それはオレンジ色のケープだった。フェリーサがいつものように着ているお気に入りの上着だ。それが地面に落ちていたのだ。本人はまだ見当たらない。なんだか悪い予感がする。
「アタシはレシェールにことの次第を伝えてくる。翠は捜索を続けてくれ」
「ああ」
シャリヤは俺が肯定したのを認めると、すぐにレトラの方へと走り去っていった。
不安は募る一方だった。
* * *
〈単語〉
【固有名詞】レフィセナヴィユ(リパラオネ人名)
<lefjcena-v-iju
lefjcena
【名詞】松明、トーチ
-iju
【語尾辞】中性名前語尾
【語尾辞】中性名前語尾
【語尾辞】中性名前語尾
【語尾辞】女性名前語尾
【語尾辞】男性名前語尾
"
【固有名詞】ミュロニユ(リパラオネ人名)
<mylon-iju
mylon
【名詞】誇り、誉れ
【固有名詞】インファーナイヤ(リパラオネ・ヴェフィス人名)
<infarna-ija
infarna
【名詞】燭台、蝋燭台、キャンドルスタンド
【固有名詞】スクーラヴェニヤ(ヴェフィス人名字)
<skurla-v-en-ija
skurla
【他動詞】描く
〈文法メモ〉
・リパライン語の名前は長いものが多く、特に名字は少ないため、全ての基本形式に含まれる名前の語の第一音節を繋げて個人を呼ぶ「省略名称」というニックネームの付け方が一般的です。リパライン語の名前に関して詳しくは文法書の12. を参照して下さい。
・ヴェフィス語やフラッドシャー語など近縁の言語の名前を現代標準リパライン語に名前を変換する際には特別な処理が必要な場合があります。
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