第五講 流行の最前線はいつも自ら名乗らないものさ
「さあ、今回は第六話の内容だ」
シャリヤは湯気の立つコーヒーカップを持ち上げて、言った。第六話――つまり、彼女が言うには俺が撃たれたあと、レシェールに出会ったその時の会話の内容を勉強するらしい。
俺も目の前にあるコーヒーカップを持ち上げながら、シャリヤの方を見る。
「確か、あのとき何か歌を歌ってたよな」
「ああ、"
シャリヤは顎をさすりながら言った。
何やらクソ長い単語が出てきたが、おそらく歌の名前なのだろう。
「どういう歌なんだ?」
「今アタシ達が住んでいるユエスレオネ連邦の国歌だな。ただ、歌詞が難解なのと使われている表現が一般的じゃねーから今回は取り扱わない」
「そうなのか……」
確かに国歌は荘厳さを表すために古い表現や難解な表現が多用されるイメージがある。日本語を齧った外国人にいきなり「君が代」を読ませるのは無理があるだろうし、そういうことなのかもしれない。
シャリヤはいつもどおりノートの真新しいページにリパーシェを書き込み始めた。
「今回は、その歌の後の4つの文をやっていくぜ。まずはこれの発音のチェックからだ」
そう言って、シャリヤはノートに"salarua"と書き込んだ。間違えるはずもない。リパライン語をやる人間の殆どが一番最初に覚える言葉だろう。
「ザラーウアだろ?」
「そうだ、ザラールアじゃない。気をつけるんだな」
「なんでまた、そんな基本的なことを?」
シャリヤは俺の声を聞いて、後頭部の髪を掻き乱しながらイライラしたような雰囲気を醸し出す。
「以前アタシはPMCFかどっかの記者に取材を受けたことがあるんだが、音写するときに間違えたんだよ。ったく、何回か発音を正したっていうのに間違えるんだからな。困ったもんだぜ」
「取り上げてもらっただけでも良いことじゃないか」
「あのあとアタシにニヤケ顔でザラールアって挨拶する連中が増えなければ、そう思えていたのかもな」
ふむ。なんとなく言いたいことは分かった。しかしまあ、外語の教師でもあるまいに言葉の一つや二つの発音を間違えられただけで神経質なものだ。
俺はそう思いながら、コーヒーを一口飲んで先を続ける。
「でも、ザラーウアをザラールアって言い間違えるくらいで通じなくなることはないだろ?」
「さあどうかな、"
「まあ、そんなもんか」
間違えれば大変なことになるという例は現世の言語にも絶えない。「防水」と「放水」が同じ綴りになって、水分厳禁の場所に放水してしまったり、「着陸」が他の言語では「墜落」になって、「当機はまもなく着陸します」が「当機はまもなく墜落します」になって乗客がパニックになったり……そういったことがリパライン語にもあるだろう。
間違えていい表現と間違えてはいけない表現を覚えること、それも言語習得の一つの要素なのかもしれない。
「それじゃあ、最初の文だな"
「"
「"
「じゃあ、『眠れるか?』って感じなのか」
「まあ、文脈的には『眠れたか?』なんだけどな。リパライン語は文脈的に時制が分かる場合はわざわざ助動詞を付けないんだよ。特に口語ではそういう傾向が強い」
ふーん、と適当に聞き流しておく。確かにそんな気もしていた。
シャリヤもそれほど重要なことではないという感じで聞き流した俺を責めはしなかった。
「さて、中程の2つの文は辞書を引けばだいたい分かるような簡単な文だ。飛ばして、最後の文を扱うぞ。重要なポイントは"
「モールス信号でも始めるのか」
「それは、トンツーだ。見てろ、アホ面」
そういって、シャリヤはノートに"
「リパライン語で関係節を作るときは大きく分けて二つの作り方がある。そのうちの一つが今回の"
「ああ、『AがBしたC』みたいな文を書きたいときに"C zu A B"みたいに書ける構文だろ?」
つまり、ノートに書かれた文の大意は「いいえ、彼は彼女が言う(には)地上人なんです」くらいの意味になる。
「今回は"
「そうなのか? てっきり特定の構文ではくっ付けなきゃいけないのかと思っていたんだけど」
例えば、受動動詞
【受動動詞Veles構文】:(被動作主) veles (動名詞)(動作主)'st (動作の目的語)'it.
【受動動詞Celes構文】:(使役主) celes (動名詞)(動作主)'st (動作の目的語)'it.
zu関係節もそれに含まれると思っていたのだが、確かに何の接辞なのかははっきりしなかった。
「"
「なるほどな、"
「この接辞は従属節の支配を受けているのが明確なら付けなくても良いんだよ。今回の場合、zu関係節の後ろに紛らわしいものが来てるわけじゃないから、本当は必要ねーんだ」
「なるほどな、逆に紛らわしい場合ってあるのか?」
シャリヤは腕を組んで、うーんと悩み始める。
「例えば、"
「ふうむ……文語を書かないから実感がわかないな」
「ま、口語でも文章が長くなってくると分かりづらくなる場合があるからな。そういうときに付く場合もある。格語尾の後に"
シャリヤはそう言いながら、ノートを閉じる。大体の疑問は解決されたように見えたが、俺にはまだ一つ疑問が残っていた。
「シャリヤ、このコーヒーしょっぱいんだけど砂糖と間違えて塩を入れたかな?」
「いや、それで合ってるが?」
合ってる? 嫌がらせかよ。
怪訝そうに見る俺を前にシャリヤはきょとんとしたままだった。
「まさか知らないのか?」
「知らないって、何を……!」
「
「知らん……」
俺は流行りと言われて出された塩コーヒーを見つめながら、異様な顔をすることしか出来なかったのであった。
* * *
〈単語(今回から前回に出た単語はここで収録しません)〉
【名詞】国際革命主義活動
<ispi-en-e-r-medarne-ust
【名詞】国際
【接中辞】蒼クラス緩衝母音
【接中辞】合成語を作る接中辞
【名詞】(革新チャショーテなどの)革命主義
【語尾辞】活動、運動
【助動詞】命令を表す助動詞
【他動詞】(-'sは-'iという組織と/に)連合する、加入する、入る
【名詞】九人の革命家
<fent-e-r-xol-er
【名詞】(短縮数詞)9
【名詞】(イェスカ主義、ステデラフ教法学、トイター教などにおける)革命
【語尾辞】~する人、行為者名詞を作る語尾
【名詞】反革命主義者
<fente-xol-er
【前置辞】反~、アンチ~
【助動詞】可能を表す助動詞
【自動詞】眠る
【自動詞】眠る、寝る
【接続詞】つまり
【前置詞】【接続詞】~の特に~、特に~
【前置詞】【接続詞】例として、例を挙げると
【前置詞】~として、~となって
【語尾辞】従属節に支配されていることを表す語尾(前に緩衝母音は来ない)
【他動詞】(-'sは-'iを-'l/-'cへ)話す、言う、言葉を発する
【他動詞】(-'sは-'iを-'l/-'cへ)発表する、公表する、指示する、指定する
【他動詞】(-'sは-'iをleusと)呼ぶ
【他動詞】(-'sは-'cに-'iを)~される、~を受ける
【他動詞】(-'sは-'cに-'iを)させる、やらせる
【助動詞】希望を表す助動詞
【自動詞】ある、存在する、居る、~という天候である、~という状態である
【他動詞】(口語)(-'sは-'iを-'cに)置く おく
【自動詞】(口語)(-'sはmol 形容詞/名詞)形容詞(名詞)の状態で居る
【自動詞】(-'sは数詞'c個)ある、個数ある
【接続詞】eo lexの縮約、助動詞を区切る
【他動詞】知る
【他動詞】分る、理解する
〈文法メモ〉
・従属節に支配された名詞の格語尾には"-t"が付く場合があります。詳しくは文法書の5.2.5. を参照して下さい。
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