第四講 手を下げろ! レトラ市警だ!!


「はぁ……」


 レトラの町中で盛大にため息を付いた。今日は第四話――兵士に撃たれたときのことをやるらしい。手を上げたのに撃たれたのは、あまり思い出したくない記憶だった。

 シャリヤとは図書館で待ち合わせだったのだが、中々行く気にならずそのうちに予定の時間を過ぎてしまっていた。


「おっせえな、何してたんだよ」

「いや……」


 不機嫌そうに腕を組んでいるシャリヤの前で文句を言うことは憚られた。はっきり答えられない俺の様子を見て、シャリヤはいつもそうするように肩をすくめた。

 二人して図書館に入っていくと、カウンターのところにヒンゲンファールさんが見えた。


"Arああ, cenesti翠君 salaruaこんにちは."

"Salaruaこんにちは......Co es vynut大丈夫ですか?"


 ヒンゲンファールさんの目は充血していた。また、浅上が夜通し話をしてたのかもしれない。まるで刑事モノに出てくる長時間尋問された容疑者(真犯人はそいつではない)のようだった。

 ヒンゲンファールさんはダルそうに俺を見上げてから、苦笑で答えた。


 レトラの図書館の自習室に二人で入って、席につく。シャリヤは前回と同じようにノートを開いて、講座を始めようとしていた。

 そのとき、思いついた疑問がふと口をついて出た。


「そういえば、あのとき手を上げたのになんで撃たれたんだ?」

「『手を上げろ』なんて言ってなかったからだぜ」

「そうだったのか……?」


 シャリヤはノートを捲って、真新しいページにリパライン語の文字――リパーシェを書き込んでいく。


「あのときお前が言われたのは、"xesniepinsシェスニェピンス ledydレデュド!"だったな」

「あ、ああ、確か、そうだったと思う」

「"xesniepinsシェスニェピンス"は『下に向ける』という意味の単語なんだよ。『向ける』という意味の動詞"xesniepシェスニェプ"に『下へ、下方』を表す語尾"-insインス"がくっついた単語だ。"ledydレデュド"は『手』だな」

「つまり、俺は『手を下に向けろ』って言われたのか?」


 シャリヤは俺の疑問に頷く。


「ウェールフープの話は以前したな?」

「魔法みたいなヤツのことだろ?」

「まあそうだ、それが出来る人間のことをケートニアーと言うんだが、ケートニアーが対象に手を翳すウェールフープをすることを示唆してしまうんだよ」

「つまり、あの兵士は俺がウェールフープをしようとしたと勘違いしたということか?」

「そういうことだ」


 あの兵士は手を上げた俺の行動を自分を害するものだと認識していたということになる。蓋を開けてみれば、自分の行動が全くの正反対に受け取られていたのだ。世界が変われば、仕草の解釈もここまで変わる。全く、異世界というのは悩ましい場所である。

 シャリヤはやれやれと言った様子で首を振った。


「お前がケートニアーだったから良かったものの、無能力者ネートニアーだったら死んでたところだ」

「え? 俺ってケートニアーだったのか?」

「お前、本編中で何度も撃たれてるのに死んでないのはオカシイと思わなかったのか?」

「ああ……確かに……」


 レトラで撃たれ、助けを求めた洋館の主に次は撃たれ、PMCFで撃たれ……これだけ被弾してて生存している人間も多くは居るまい。確かに何かがおかしいと気づくべきだった。


「まあいい、こっからリパライン語の話になるぞ」

「今日の内容は何なんだ?」

「そうだな……大体辞書を引けば分かる内容だから、あんまり言うことは無いんだが……幾つか確認しておくぞ」


 そういって、シャリヤはノートにまた文字を書いていった。"aziurgarアツューガー"という単語が現れた。


「これは『計画する、企てる』という意味の単語だ。お前が兵士に手を上げてから、アタシの顔を伺ったあとに兵士は"co aziurgarアツューガー! deliuデリュ retoレト!!"と言ってから発砲した」

「あとの方は分かるぞ? 『殺さなければならない!!』だろ。でも、前の方は上手く意味が取れないな。直訳したら『お前、企てたな!』だけど、企てなんて……あっ」


 瞬間、脳内でスパークが散る。文脈が繋がったのを感じた。

 手を上げてから、シャリヤの顔色を伺ったことは兵士には何かをしようという前触れにしか見えなかったのだ。そこまで見て兵士の思い込みは確信に至った。だからこそ、発砲に至ったのだ。


「アイツ、撃った後に顔を真っ白にして固まってたからな。本当は撃ちたくなかったのかもな」

「なんか悪いことをした気分になってくるな……」

「ま、結局殺されてねーんだし、良いんじゃねえか」


 鉛筆をノートの上に投げたシャリヤは呑気にそんなことを言い出す。俺の気持ちを知らないで――と多少恨みの籠もった視線を投げるとシャリヤはふんと鼻を鳴らした。


「そういえば、今回『~または~』を表す接続詞"olオル"が"Cuturlストゥール olオル retoレト faiファイ dexafelデシャフェル deaデア!"という形で使われていたが、これは普通は句接続詞として使われるんだよな」

「つまり、普通の使い方じゃなかったってことだな」

「そうだ。リパライン語には文を繋げる文接続詞と名詞句を繋げる句接続詞がある。前者は、『そして』を表す"malマル"や『しかし』を表す"pa"が挙げられるな。後者は、『~と~』を表す"adアド"や今回の"olオル"とかだ」

「でも文を繋げてないように見えるけど」


 シャリヤが言った文章を見直す。繋がっているのはCuturlストゥール"「出る」と"retoレト"「殺す」だ。


「言っただろ、句接続詞は名詞句を繋げるのであって、それ以外を繋げるのは非文法的なんだよ。ま、古典語だと、そうでもないからXelkenの連中とかは使ってしまうのかもな。あいつらはフェンテショレーだから、そういう類の奴も居るのだろう」

「なるほど、ところで――」


 バチン。

 いきなり電気が落ちる。昼なので窓から差し込む光である程度、部屋の様子は伺えた。ドアの隙間から光が入ってこない辺り、図書館全館の電源が落ちたらしい。

 シャリヤは不機嫌そうに腕を組んで、天井にある電灯を見つめた。


「なんだよ、良いところだったのに」

「カウンターまで様子を見に行ってくるよ」


 不満げに口を尖らせるシャリヤをおいて、俺は自習室のドアノブに手を掛けた。

 ヒンゲンファールさんの居るカウンターには既に野次馬が集まっていた。話に聞き耳を立てると、どうやら一時的な停電らしい。俺は安心して、自習室の方へと戻っていったのであった。


* * *

〈単語〉

arアー

 【間投詞】ああ、あー

 【名詞】リパーシェのaの文字名

salaruaザラーウア

 【間投詞】時間を問わずに使える挨拶

vynutヴュヌット

 【形容詞】良い 善い

 【形容詞】大丈夫な 問題のない よろしい 満足な 好ましい

 【間投詞】いいだろう よしいいぞ よい よろしい

xesniepinsシェスニェピンス

 <xesniep-ins

  xesniepシェスニェプ

   【自動詞】(-'sは-cに)向く

   【他動詞】(-'iを-'cへ)向ける

  -insインス

   【語尾辞】下へ、下側へ、下、下方

ledydレデュド

 【名詞】手

aziurgarアツューガー

 【他動詞】計画する、企画する、企てる

co

 【名詞】あなた、君

deliuデリュ

 【助動詞】~しなければならない、義務

retoレト

 【他動詞】殺す、葬る、屠る、殺害する

olオル

 【接続詞】また、または、もしくは

cuturlストゥール

 【他動詞】(-'sは-'iを)出す、脱出する、抜け出す

faiファイ

 【前置詞】~に影響されて、~のために、~に決められているのに沿って、~の決まりに沿って、従って 基づいて、基づき、準じて、従い、守って、即して

 【自動詞】(-'sは-'cに)沿う、従う、倣う、基づく、守る、則する、基づく

dexafelデシャフェル

 【名詞】炎、火、火炎、大火、焔、火柱

deaデア

 【他動詞】(-'sは-'iを)強調する、目立たせる、際立たせる

 【相位詞】強調、強化

malマル

 【接続詞】そして、それで、~して

 【接続詞】ならば、すると、じゃあ

 【接続詞】だから、そういうわけで、そうだから

 【間投詞】さて、よし、では、さあ、さ、ところで

 【接続詞】一方で、他方で、対照的に

pa

 【接続詞】しかし

 【相位詞】そうであったはずなのにそうではなかった、~なのに!

adアド

 【接続詞】~と~


〈文法メモ〉

・日本では「手を上げろ!」、ユエスレオネ連邦では「手を下げろ!」と言います。

・リパライン語には、文接続詞と句接続詞があります。それぞれ接続の対象には制限があり、xelkenなど母語話者でない人はこれらを間違える場合があります。詳しくは文法書の8.1.を参照して下さい。

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