第三講 ネイティブという空想


 銀髪をそよ風になびかせ、少女は青空に向かって両手を掲げた。蒼い双眸はこちらを見つめている。

 ここはレトラの集団農場の休憩所だ。学校がない日は俺たちは度々農場に駆り出される。たまには運動をしなければ鬱っぽくなってしまうので、適度な運動をするにはもってこいだった。

 シャリヤのオーバーオール姿はサンサンと輝く太陽に負けず煌めいている。農作業で血が回ったのか、白雪のような肌はほんのり赤みを帯びている。


「今日は、第四話の内容をやっていくぞ!」

「わかった」


 シャリヤの性格の変化にはもう慣れてしまった。確かに少し粗野なところもあるかもしれないが、こっちの性格のシャリヤも何かと可愛いのだ。ギャップ萌えというやつだ。明るい学園日常もので「窓割れてね?」と言って楽しむ精神に似ている。

 しかも、日本語が話せるようになったことでリパライン語の習得もより正確で早く出来るようになったのだ。良いことづくめではないか。


「そういえば、インド先輩はどうなったんだ?」


 あの後、浅上は朝ごはんを食べてから何処かへ去ってしまった。それ以来、どうなったのかは聞いていない。

 シャリヤは美しい銀線細工のような髪をかき乱しながら、「あ?」と答えてからしばらく考えていた。


「あの陰キャなら、ヒンゲンファールさんのところに居るぞ」

「ヒンゲンファールさんのところに? なんでまた?」

「本に囲まれてると落ち着くんだとよ。あいつ、無駄にリパライン語が話せるから、レトラの街の評議会に保護を求めて受け入れられたらしいぜ。それでヒンゲンファールさんのところに身を寄せたらしい」

「はあ……」


 はい、なるほどそうですか――と受け入れられるものではなかった。俺があれだけ苦労してレトラの人々に受け入れられたというのに浅上は顔パスのように受け入れられた。これが言語の壁ちゃんですか、という感情になってしまう。

 しかも、彼はまだ自分がこの世界に来た理由を説明していない。妙なことも言っていたから、また今度タイマンで話をしてはっきりさせねば。

 そんなことを考えているとシャリヤは呆れたように首を振って、ため息を付いた。


「ヒンゲンファールさんも可哀想に、一晩中根掘り葉掘り聞かれて朝会ったときには目が充血で真っ赤になってたぜ」

「あ、はは……」


 まあ、浅上慧とはそういう人間である。興味を持ったが最後、相手のことを正確に理解するために質問攻めにしてしまうのだ。

 それはそうと、シャリヤはどうやら今回のためにノートを作ってきたようだった。机の上に今回学ぶであろう文が書かれている。


「あんな陰キャのことは良いんだよ、今はリパライン語に集中しろ?」

「はい……」

「まずは一文目からやっていこう。エレーナの"mercメース, xalijastiシャリヤスティ. Harmaeハーマエ lartaラータ esエス falファル fqaフクヮ?"だな。意味は分かるよな」

「『ねえ、シャリヤ。ここにいる人は誰なの?』くらいの意味だろ」

「まあ、そんなところだな。"falファル"と"io"は死ぬほど出てくる単語だ。その割に結構広い意味で使われるから注意しろよ」


 シャリヤの注意を聞きながら、過去触れてきたリパライン語の文章を思い返してみる。前置詞"falファル"と後置詞"io"は確かに広い意味で使われる。時間、場所、受益者、道具、方法などを表す単語だ。今回の場合は"falファル fqaフクヮ"で場所を表していることになる。


「次の文――私の"jaヤー. Mi natナット skamarleスカマーレ nivニヴ na pa mi niexixニェシシュ esoエゾ si'sズィス waxundeener'cワシュンデーネース."だが、"skamarleスカマーレ nivニヴ na"がイディオムになっている。『状況を理解できない』って意味だな」

niexixニェシシュってのはなんて意味なんだ?」

tisodティゾッドと殆ど同じ意味だ。『考える』だな」

「なるほど、すると大意は『ええ、私もまだ良くわからないんだけど、でも彼はワシュンデーネーだと思う』か。今回は簡単そうだな」

「おっと、そうは行かないぜ。問題は最後の単語だ」


 出来の悪い生徒をイジる教師のようにシャリヤはまた悪い顔になった。


waxundeenerワシュンデーネーか、そういえばどんな意味なんだ?」

「『異世界人』、と言いたいところだがこの単語はユエスレオネの下に残った人間のことを指す」

「ユエスレオネの下?」


 確か、地上にはPMCFと呼ばれる国があった気がする。だが、「異世界人」と前置きしたのは何故なのだろう。

 シャリヤは得意顔で説明を続ける。


「元々は『異人』を指す単語だったんだよ。だから、『異世界人』と言っても昔はある意味間違いではなかった。でも、歴史が進むにつれて特定の意味を持つようになっていった。ちなみに『異世界人』を言いたい場合は"waxundergerワシュンデーゲー"と言う」

「はあ、細かい区別があるんだな」

「お前、本当に分かってんのか?」

「ハイモチロン」


 真顔で答えると、シャリヤはこくりと確認したように頷いた。


「というわけで、アタシはお前のことをPMCF人か何かだと思っていたというわけだ」

「残念ながら、本当の異世界人だとは流石に思わないよな……」

「まあ、ウェールフープで異世界の間を転移できるから、無い話ではなかったんだけどな。あの当時としては考えられないことだったんだ、ハタ王国ともデュインともPMCFとも接触していなかった時代だしな」

「ふむ」


 良く分からないが、この異世界には魔法的なものもあるということらしい。それで異世界の間を転移して、他の国や地域と接触しているのだろう。"waxundergerワシュンデーゲー"なんて単語がさらっと出てくるのは、そういった状況に即している。

 シャリヤは休憩所の机に置かれた一口サイズのお菓子をつまんだ。


「さあ、第四話は四つの文しかねえ。このまま最後までやってしまおうぜ」

「ああ」

「三つ目の文、"Hnnンー, waxundeenerstiワシュンデーネースティ, harmieハーミェ co neaネア niexixニェシシュ? "だ」

「もう分かるぞ、『んー、下の世界の人よ。なんで、そう考えるの?』だな」

「はいアウト」


 シャリヤの指が俺の頬をつついた。


「な、なんだよ」

「ここでの"-stiスティ"は呼びかけの呼格じゃねーよ。単立を嫌ってついてるだけだ。そもそも、呼びかけだったら文章的にオカシイだろ」

「た、確かに……」


 となってくると、ここでの"waxundeenerstiワシュンデーネースティ"は「下の世界の人ねえ」くらいの意味だろうか。

 シャリヤは俺が理解したのを確認してから、先を続けた。


「さて、次が最後の文だな。"Isイス nivニヴ neciluki'ergonjネシルキエーゴニ, vajstiヴァイスティ. Niexixニェシシュ missenミスゼン vlasnavolヴラスナヴォル."だ」

「むむ……」


 思わず顔をしかめてしまう。

 分からない単語が大量に出てきている。ゆえに大意も取れないような文だった。

 そんな俺を見かねたのか、シャリヤは腰に手を当ててしょうがないなととでも言いたげな顔でこちらを見る。


「一つづつやっていこう。"neciluki'ergonjネシルキエーゴニ"は"neciluki'ergonネシルキエーゴン"の修飾反転形だな」

「修飾反転?」

「ああ、形容詞・副詞に-jがつくと修飾の方向が変わるんだよ。普通、リパライン語の形容詞・副詞は被修飾語である名詞・動詞の前に来る。"doisnドイスン baneartバネアート"という風にな。だが、-jが付くとこれが逆になって"baneartバネアート doisnjドイスニ"という風に書くことが出来る」

「なるほどな」


 おそらく、わざわざ修飾反転とやらをしたのは語頭に動詞を持ってきて、命令の構文にしたかったからだろう。


「"neciluki'ergonネシルキエーゴン"は"neciluki'eネシルキエ"「空想的な」に副詞を作る語尾"-onオン"が付いたものだ」

「『空想的に』って感じだな」

「そうだ、まあ『妄想するな』ってところだな。まあPMCFと接触していなかった時期のユエスレオネ人が『こいつは下の世界から来たんだ!』と言われたら9割方この反応をするだろう」

「しかも、戦争中だったしな」


 シャリヤは首肯する。


「さて、それに続く"vajstiヴァイスティ"の意味は分かるよな?」

「女性に対する尊称"vajヴァイ"と呼格だろ? でも、エレーナがシャリヤに使うのはちょっと変じゃないか?」


 確か、俺が"vajヴァイ"を使っていたのは、ヒンゲンファールさんに対してだった。

 怪訝に思う俺の前でシャリヤは首を振った。


「それは冗談で言ったんだよ。流石に『妄想するな』ってだけ言うのは高圧的だろ? 語調を緩めるために、"vajヴァイ"を使ったんだよ。普段から少女同士で"vajヴァイ"で呼び合ってるなんてのは背伸びした初等科のヤツくらいだ」

「なるほどな、そういうレトリック的なところは学習者にはわかりにくいな……」

「ま、別にあのときのエレーナはお前に話を聞いてもらいたかったわけじゃないしな」


 そう言って、シャリヤはお菓子を口に投げ込んだ。


「その次の文は"vlasnavolヴラスナヴォル"ってのが分からないな」

「それは『異常な現状』くらいの意味だ。今じゃあんまり使わない単語だから忘れてもいいぞ」

「何じゃそりゃ……」


 シャリヤの説明は奇妙だったが、これで大体理解できる。"missenミスゼン"は「私達の」という意味の単語で、大意は「私達の異常な現状を考えなさい」をいう意味になる。エレーナがシャリヤを諭しているのだ。


「そういえば、なんで"misse'dミスゼド"じゃなくて"missenミスゼン"なんだ?」


 「私達の」と言いたいなら、一人称複数の"miss"に属格"-'d"をつければ済む話なのに、何故かここでは形容詞語尾"-enエン"が付いている。意味的には同じなんだろうが、使い分けが釈然としない。


「アタシも分からねー」

「は? 母語話者だろ?」

「分かんねーもんは分かんねーし、どっちでも意味通じるからな」

「はあ……」


 「●●とは、そういうものだ。それ以上問うことに意味はない」という場合は良くあるとはいえ、なんだか納得が行かない。しかしまあ、母語話者がこういっているのだ。これ以上問うても無駄だろう。

 語学をやっていると母語話者なら何でも分かると感じてしまうことがあるが、教育のための訓練を受けた人間でないと分からないことも多々ある。母語話者のその言語に対する理解力は尋常ではないが、全知全能の神というわけではないのだから何でも分かるというわけではないのだ。



 現に、この小説を読んでいるあなた。日本語の助詞「は」と「が」の使い分けを説明できるだろうか?

 普通は出来ない。出来る人は言語学や日本語学の勉強をある程度しているはずだ。つまりは、そういうことなのである。

 一番の"neciluki'eネシルキエ"は、母語話者を神秘的なものと見るその心なのかも知れない。


* * *

【今回のまとめ】


〈単語〉

mercメース

 【間投詞】ねぇ、ねえ、なあ、よお

 【間投詞】えっと、まあ、ええと、うーん

xalijaシャリヤ

 【固有名詞】シャリヤ(リパラオネ人の人名)

-stiスティ

 【語尾辞】呼格を表す語尾

harmaeハーマエ

 【名詞・接続詞】誰

lartaラータ

 【名詞】人、人間

esエス

 【自動詞】(-'sは-'c)である、です

 【他動詞】(-'sは-'iを)する、やる、行う

falファル

 【前置詞】~にて、~で、~において、~における

 【前置詞】~にとって

 【前置詞】~基づいて、~によって

 【前置詞】~を使って、~によって、~により

io

 【後置詞】~にて、~で、~において、~により、~における

 【後置詞】~という状態で

 【後置詞】~にとって

 【後置詞】~基づいて、~によって

 【後置詞】(口語)~から

 【自動詞】(口語)~に居る ~に存在する

fqaフクヮ

 【名詞】これ、ここ

natナット

 【副詞】まだ、未だ

 【副詞】今更だが、未だに分からないんだけど、まだ言ってるようだけど

skamarleスカマーレ

 【他動詞】(-'sは-'iを)受け入れる、引き受ける、受容する、引き取る

nivニヴ

 【副詞】【形容詞】語を否定する

 【間投詞】いいえ

na

 【名詞】状況、形勢、事態、情勢

 【名詞】(単独で)現状、今

pa

 【接続詞】でも、しかし

niexixニェシシュ

 【他動詞】(-'sは-'iを)考える

-o

 【語尾辞】動名詞を作る語尾

siズィ

 【名詞】彼

waxundeenerワシュンデーネー

 【名詞】地上人

tisodティゾッド

 【他動詞】(-'sは-'iを)考える

 【他動詞】(-'sは-'iを-'cとして)感じる、思う、推測する

waxundergerワシュンデーゲー

 【名詞】異世界人(正確には他ウェルフィセルのヒューマノイド)

jaヤー

 【間投詞】はい

hnnンー

 【間投詞】うーん、えっとー(フィラーの一種)

harmieハーミェ

 【名詞】【接続詞】何

 【名詞】【接続詞】何故、なにゆえ

mi

 【名詞】私、俺、僕

co

 【名詞】あなた、君

neaネア

 【副詞】そうやって、こうやって

 【副詞】そのように、このように

 【副詞】そうしてから、そのようなことがあってから

 【相位詞】それなら、そんだったら、そんなことがあったなら、それじゃあ(~すればよかったのに)

isイス

 【自動詞】(lerから/-'sは-'c/-'l/ioに)なる、成る、いたる、至る、到る、登場する、やってくる

 【他動詞】(-'sは-'iを-'cに)する、成らせる、至らせる、持って来る

neciluki'ergonjネシルキエーゴニ

 <neciluki'e-rg-on-j

  neciluki'eネシルキエ

   【形容詞】幻想的な、空想的な

  -rg-ルグ

   【接中辞】蒼クラス緩衝子音

  -onオン

   【語尾辞】副詞を作る語尾

  -j

  【語尾辞】修飾反転を表す語尾

vajヴァイ

 【名詞】姉貴、お姉さん

 【間投詞】姉貴!、お姉さん!

 【前置詞】~お姉さん、~ねぇ

missenミスゼン

 <mi-ss-en

  mi

  ※上記参照

  -ss

  【語尾辞】複数を表す語尾

  -enエン

  【語尾辞】形容詞を作る語尾

vlasnavolヴラスナヴォル

 <vlas-na-v-ol

  vlas-ヴラス

   【前置辞】通常と異なる、異端である

  na

   ※上記参照

  -v-

   【接中辞】紅クラス緩衝子音

  -olオル

   【語尾辞】~の状態、状況


〈文法メモ〉

・falとioは似たような意味を表す前置詞と後置詞です。この二つは時間・場所・受益者・道具・方法などを広く表し、よく使われる単語です。

・-jは修飾反転を表す語尾です。形容詞や副詞に付くと、後ろから被修飾語を就職できます。口語では自然な語順を実現するために使われることがあります。また、前置詞に付くと後置詞になり、後置詞につくと前置詞にすることが出来ます。なお、-jは子音の後についても前に緩衝母音が入ることはありません。詳しくは文法書の2.5.2.と1.2.5.1.2.を参照して下さい。

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