第5位 椿 莉愛

兄と夏祭り

「ふんふんふーん」


 莉愛が浴衣の前で鼻歌を歌っている。明日は夏祭り。この浴衣を着て家族でお出かけするのを楽しみにしていた。


「莉愛。ちょっと話があるんだ」


「なあに、お父さん」


「すまないが、父さんの恩人が急に亡くなってな。その通夜に出席するから、父さんと母さんは明日の夏祭りに行けなくなった。本当にすまない」


「え……」


 椿家は毎年家族で夏祭りに行くのを恒例としていた。それだけに、今回の出来事は莉愛にとってショックだったのだ。莉愛は現在小学3年生。物事の分別がつく年齢でもあるし、相手の立場も考えられずに自分のワガママを通したい欲求も拭いきれない未熟な部分も当然ある。


「わかりました。お父さん。今年は……諦めます」


 莉愛は泣きそうになりながらも、現状を受け入れた。少し甘え気質なところはあるものの、同学年に比べて精神的には早熟な莉愛は父親の立場もわからないでもなかった。


 特に今年は初めて浴衣を着て夏祭りに行くという楽しみもあった。この日のために、自分が好きな白地に赤の水玉模様の浴衣を買ってもらっていたのに。それに袖を通せなかったのは、この年齢の子供にとっては辛すぎる出来事だった。


「父さん。俺が莉愛を夏祭りに連れていくよ」


 そう言ったのは莉愛の1つ上の兄、勇海。妹想いの良い兄で莉愛の悲しい感情を察知してこのような申し出をしたのだ。しかし、父親は苦い顔をして、ため息をついた。


「子供同士で行くのか?」


「父さん。俺はもう4年生なんだ。高学年だし、友達同士で夏祭りに出掛けている同級生だっている。莉愛の面倒だって見れる!」


 真っすぐとした目で父親を見つめる勇海。その視線に彼の成長を感じたのか父親は決意をした。


「仕方ない。勇海。莉愛の面倒をしっかり見るんだぞ。困ったことがあったら、周りの大人に頼るんだ。祭りの本部の場所はわかるな? そこに行けば大人が力になってくれる」


「うん。わかったよ父さん」


「お兄さん、ありがとうございます」



 夏祭り当日。浴衣に袖を通した莉愛は姿見の前でくるくると回って見せた。


「お兄さん。見て下さい。似合ってますか?」


「うん、凄く似合ってる。可愛いよ」


「えへへ、ありがとうございます。この浴衣を着れて嬉しいです」


「じゃあ行こうか」


「はい」


 勇海と莉愛は家を後にして祭り会場へと向かった。祭り会場に着いてからは人が多すぎて、はぐれないように2人は手を繋いで出店の通りを歩いていく。


「お兄さん。金魚掬いをやりたいです」


「うん。わかった」


 金魚掬いの出店を発見した莉愛は勇海の手を引っ張ってそこまで行く。今は誰も挑戦してない状態なので順番待ちとかもない。


「いらっしゃい。1回100円だけど、やっていくかい?」


「はい」


「あいよ」


 莉愛が100円を渡すと店のおじさんがポイを莉愛に渡した。莉愛がポイを水に入れようとしたその時。


「おっと、お嬢ちゃん。そっちは裏面だ。きちんと表面でやらないと破けてしまうぞ」


「え? あ、そうなんですか。ありがとうございます」


「ついでに言うとポイは全部水の中に入れた方が良い。中途半端に濡れてない面があると破けやすくなるからな。騙されたと思って、全部水に付けてみ」


「はい」


 おじさんのアドバイスを素直に受け入れる莉愛。ポイを全て水中に入れて金魚の下にもぐらせる。そしてそのまま上に持って行き……捕らえた。ポイの上で跳ねる金魚をボウスの中に入れた。


「やった! 取れました。おじさんのアドバイスのお陰です」


「へへ、良いってことよ。お嬢ちゃん可愛いからつい教えちまった」


 獲得した金魚を水入りの袋に入れて貰ったご機嫌な莉愛。


「うーんと……お兄さん。この金魚ちゃんになんて名前をつけたら良いんでしょうか」


「莉愛の好きな名前でいいんじゃないかな?」


「そうですか。では、勇海ちゃんにしましょう」


「待て、なんで俺の名前なんだ」


「だって、莉愛はお兄さんが好きなんですから」


「俺の名前以外で頼む……」


 可愛い妹に好きと言われて若干の照れを見せる勇海。莉愛の無邪気な笑顔を見て、夏祭りに連れて行って良かったなと心底思った。


「お兄さん。そろそろ花火始まりますよ」


 祭りの会場にいた多くの客が空を見上げている。そして、空に色とりどりの打ち上げ花火が姿を現した。


 パン、パンと火薬が破裂する音。それも風情があって夏を感じさせた。


「綺麗ですね」


「ああ、そうだな」


「お兄さん……また、この花火を一緒に見られると良いですね」


「見れるさ」


 花火が終わった頃、勇海と莉愛は帰途についていた。


「むー。まだ祭りを堪能し足りないのに」


「仕方ないだろ莉愛。夜8時以降は子供だけで祭りに行くのは禁止されているんだ。莉愛も怒られたくないだろ?」


 莉愛は品行方正で良い子であるから、怒られることに対して免疫がほとんどない。怒られるってその語句だけで莉愛は震えあがってしまった。


「い、嫌です。お兄さん。早く帰りましょう」


 先程まで不満を言っていた口とは思えないその発言に勇海は思わず吹き出してしまいそうになる。


「お兄さん。いつか、私たちが大人になったら、夜のお祭りも楽しめるんですかね」


「その頃にはお互い、恋人と行ってるんじゃないかな?」


「それはどうでしょう。もし、お互いに恋人がいなかったら、また夏祭りに2人で行きましょうね」


「ああ、いなかったらな」



 時は現代に戻り、夏祭りの日。当時とは違って親子関係がすっかり冷え込んでしまったけれど、兄妹関係はその分濃密なものとなっている。


「お兄さん。今日は夏祭りの日ですね」


「ああ……そうだな」


 勇海はとある事情から、家に引き籠ってばかりいる。その勇海を経済的に支えるために莉愛は高校を卒業後に働きに出ている。更にVtuberの副業もしていて、そっちの活動では兄に支えられて、着実にチャンネル登録者を伸ばしていた。


「今日は配信はお休みですかね……花火の音が入ったらいけないですし」


「莉愛……花火見るか」


「え?」


「まあ、約束したからな。大人になっても2人に恋人がいなかったら一緒に夏祭りに行こうって」


「でも、お兄さん。外に出られるんですか?」


 莉愛も本音を言えば、気晴らしに勇海を夏祭りに連れていきたい気持ちはあった。しかし、引きこもり生活をしている勇海にいきなり人が多い祭り会場はハードルが高いんじゃないかって思いがあった。


「私はお兄さんと一緒に花火を見られたら十分です」


 勇海と莉愛は2階のベランダに出て花火が打ちあがる方向を見つめた。やがて時間が来て、空には綺麗な花火が打ちあがる。10年程度の歳月は流れたものの、2人の関係性は変わらず、仲の良い兄妹のまま。途中上手く行かないことはあったけれど、それでも前向きに頑張ろうとする兄妹。


「莉愛……すまない」


「え?」


「俺がもっとしっかりした兄なら、莉愛にこんな苦労をかけることも……」


「それ以上は言わないで下さい。誰にだって辛い時期、立ち止まりたい時期はあります。辛い時は辛いって言って良いんです。私が支えますから」


「ああ……ありがとう莉愛」


「それに私はお兄さんが優しくて素敵な人だってことは知ってます。いつかちゃんと立ち直れる日が来るって信じてますから」


 勇海は黙って頷いた。目から涙が零れそうになったけれど、その涙を堪える。夜空の花火は一瞬で消えてしまうけれど、2人が一緒に過ごした時間はいつまでも色あせないで消えないのだ。


 勇海は必ず今の状態から立ち直ってみせると決意を固めた。そして、もし莉愛が今の自分と同じような状態になったとしたら、その時に莉愛を支えてくれるような伴侶がいないのであれば、今度は自分が莉愛を支えようとも思った。このお互いを想う気持ちが椿兄妹なのである。

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