第10位 賀藤 彩斗

全ての元凶

 父親と母親にも若い頃というものはある。4児の親である賀藤 彩斗と賀藤 千鶴(旧姓:羽山はねやま)は高校時代の同級生だ。2人が同じクラスにならなかったら、この世界の運命はまた違った形を辿ったかもしれない。


 彩斗はこれまで恋というものを体験してこなかった。女子が嫌いなわけでもない。男子が好きなわけでもない。ただ、恋愛感情というものが理解できないでいた。彩斗は昔から、好奇心旺盛で研究熱心な性格であるが故に、恋愛について学ぼうと色々な書籍をあさった。しかし、どの本を見ても恋愛の哲学やら、必勝法だの既に恋をしている人向けの指針しかなかった。恋がどういうものか解説している書籍もあったが、抽象的過ぎて理系脳の彩斗には理解できなかった。彩斗のように恋愛感情を抱かない状態でそれを学びたいと思っている人向けの書籍は見つからなかったのだ。


 彩斗が高校生の時は、1980年代後半。パソコン通信が全盛期の頃で、まだインターネットが発達していなかった。パソコンで調べれば、真偽に関わらず情報が得られるような時代ではない。マイノリティ同士で繋がれるコミュニティも限られているし、彼らに向けた情報も発信などされていない。誰でも手軽に繋がれる時代ではないのは、現代の若い世代からすると不便に思える。


 恋愛感情がわからない。そう言えば周りから変人扱いされる。そうしたセンシティブな悩みを相談できる場がないまま彩斗は高校生活を送っていた。しかし、彼は後に恋愛感情を知ることになる。


 彩斗の前の席に座っていた女子生徒。それが後の彼の伴侶となる女性、千鶴だ。千鶴は休み時間に1人で本を読んでいるタイプだ。大人しいタイプかと思いきや、話してみると意外と勝ち気な性格で、学校行事の時も全体を仕切っていて、彼女の号令にはクラスのほとんどの生徒が逆らえなかった。彩斗の通う高校は進学校であるが故に、荒れた生徒は少ないが、それでも不真面目にバカなことをやる人はいる。そうした人にも容赦なく注意できる存在なのだ。


 クラスの女子からは頼られることは多いが、男子からはその気の強さで恐れられていた。しかし、彩斗はそんな千鶴に興味を持っていた。席替えで前の席になった時からなぜか知らないけど気になっていたのだ。世間一般的には恋愛感情に限りなく近いなにかではあるが、彩斗にはそうだと認識できなかった。


 彼女が読んでいる本。それが、恋愛に関する本だった。もしかしたら。千鶴も彩斗と同じく恋愛感情を持てなくて悩んでいる可能性はある。千鶴は、男子にも全く気後れしない性格なのでそう言ったものに疎いと彩斗は判断した。


「羽山さん。その本面白い?」


 彩斗は後ろから千鶴に話しかけた。千鶴は急に声をかけられたことで内心驚いたが、それをおくびにも出さずに振り向いて応対する。


「別に面白くて読んでるわけじゃないから」


「じゃあ、なんで読んでるの?」


「勉強のためだね」


 彩斗は千鶴が自分と同じ悩みを持つ者だと勝手に同類認定した。もしかしたら、一緒に情報交換をしあえる仲間になれると淡い期待をしていたのだが、それはすぐに打ち砕かれることになる。


「勉強って? 恋愛感情がよくわからないってこと?」


「ん? 恋愛感情がわからない? どういうことだい? 私は幼稚園の頃に初恋は済ませたぞ」


 その言葉に彩斗は勝手に裏切られた気持ちになった。千鶴なら自分の気持ちをわかってくれると思っていた。


「私は演劇部なんだ」


 彩斗が初めて知る情報。別に仲が良くないクラスメイトが何部に所属しているかなんて一々情報を仕入れたりはしないから仕方のないことだ。


「と言っても演者ではない。私は、裏方の責任者として周りに指示を出さなければならない立場にあるんだ。演者にはもちろん、脚本や道具担当にも。今度やる演目は恋愛をテーマにしているんだ。だからそのインプットのために本を読んでいる」


「なるほど」


 彩斗は周囲に指示を出している千鶴の姿を想像した。その姿は教室での千鶴の姿と被っていて、全く解釈が違わない。


「インプットねえ……」


「知識のインプットは大事だね。食べ物と違ってどれだけ摂取しても太ることはない。財布の中のお金と違ってどれだけアウトプットしても減ることはない。永遠に増え続ける資産のようなものだ」


「そうかな……? それは羽山さんが頭が良いから、そう思うんじゃないのかな? 中にはインプットした内容を秒で忘れるような人もいるし」


「流石に秒で忘れるやつはいないだろ。そんな奴がいたらお目にかかりたいものだ」


 お目にかかりたいどころか、後にそれに該当する長女を出産することになるとはこの時の千鶴には知る由もなかった。


「確かに賀藤君の言うことにも一理あるな。インプットしても、それを忘れてしまったり、すぐに引き出せる状態にしなきゃ意味がない。アウトプットが出来て、初めてインプットは意味がある。インプットは別に本を読んだりするだけでしか得られるようなものではないからな。極論を言えば、道を歩いているだけでも景色、音、匂いはインプットされるし、何も見えない真っ暗な空間に閉じ込められても成立する」


「何も見えない場所でインプット……?」


「それはだな」


「ああ、待って。答え言わないで。自分で考えてみるから」


 正解を言おうとする千鶴を制止して、彩斗は頭を張り巡らせた。千鶴は演劇部。演劇は表現。表現は創作に密着している。つまり、千鶴の言うインプットは創作の役に立つものなのだ。真っ暗な空間では情報を得られることはほとんどない……本当にそうだろうかと彩斗は考えた。


「あ……真っ暗な空間にいたとしても、自分の感情に触れることはできる。暗くて怖いだとか、いつここから抜け出せるのかという不安。あるいは、何もすることがなくて退屈だとか、どうして自分は閉じ込められたのだろうかという疑念」


「正解。そうした経験の中で得られた感情。それら内から感情をきちんと記憶としてインプットすれば、暗闇の演出を効果的に使えるようになったり、閉じ込められた登場人物の心情の描写にも使える」


 自分の感情のインプット。彩斗は目から鱗が落ちる体験をした。インプットは外から与えられるものだけだと思っていた。しかし、それは違っていたのだ。結局のところ、インプットできるのは自分の内なるものなのだ。外からの刺激を受けて、自分と言うフィルターを通して初めてインプットになる。そうした独自解釈こそが人を成長させるのだ。


 彩斗は自分の感情を勝手にインプットに値しないものだと思っていたのかもしれないと感じた。もしかしたら、彩斗は女子に好意を抱いたことがあったかもしれない。しかし、それを恋愛と認識せずにいたから、恋愛感情がないと勘違いしていた可能性があった。


 彩斗は自分の現在の感情に目を向けてみた。もしかしたら、自分は千鶴のことを無意識の内に気にしているのではないかと。


 普通の男子ならば、女子が気になる……となれば、それは恋愛だと解釈するだろう。しかし、彩斗は普通の男子ではない。好奇心旺盛で研究熱心。何事も分析して理解しなければ気が済まないタイプの人間だ。


 脳死で恋愛フィルターを通さずに、なぜ自分が千鶴のことが気になったのか。他の女子との違いが何なのかを比較して検証する段階へと移行した。検証すればするほどに、千鶴が魅力的だという結果しか出ない。しかし、彩斗はその理由までハッキリさせるまで千鶴に構い続けた。


 そして千鶴も彩斗に構われ続けた結果、落ちていた。元々悪い感情を持っていなかった相手なだけに、良く話す機会があり、話していて楽しいと感じていたのだ。


 2人はどちらかが告白するということはなかった。ただ、デートを重ねて、いつの間にか恋人みたいな雰囲気になって気づいたら結婚していた。


 で、大亜、真鈴、琥珀、真珠が生まれたってわけ。

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