CLOSED PANDEMIC編 第9話 任務失敗!?

「ねえ。賀藤君。このベイカー医師の娘はどうなっちゃうのかな?」


 夏帆は不安そうな表情で琥珀に問うた。琥珀もこのゲームの結末を知っているわけではないので、正確なことは答えられない。でも、非合法な裏組織に女の子が連れ去られる。しかも、不老長寿の鍵となる物質付き。絶対にまともな人生を歩めないことは確かである。


「うーん……このまま連れ去られたら、確実にサンプルとして使われるだろうね。変異株に感染した時に体にどのような症状が出るのかも詳しく分析してみないことには、他の人物に感染させるなんてこともできないし」


「そんな。この女の子を助けることができないの?」


 夏帆は完全にゲームの世界に感情移入している。琥珀曰く、殺人マシーンのような表情をしていても感受性は誰よりも豊かな女の子である。他者の痛みに共感し寄り添える一面も持っていて、夏帆に優しくされて勘違いする男子もいるほどである。


「残念ながら、俺はゲームのプレイヤーでしかないからね。ゲームの制作者が用意したストーリーをなぞることしかできない」


「そうだよね……ごめんね賀藤君。変なこと言って」


 全ての物語がハッピーエンドに繋がっているわけではない。特にホラーゲームはどう足掻いてもバッドエンドで終わる作品も決して少なくない。


 切なげな表情をしている夏帆を見て、操は少し危機感のようなものを覚えた。憂いを秘めたその瞳はある種の魔性を秘めている。操は不謹慎だと思いながらも、そう感じたのだ。女子の本能として察知した。これは男子を落とすには十分すぎるほど魅力的だと。もし、意中の琥珀がこれに感情を揺さぶられたらどうしよう。そんな、絶対に起こりえない心配を操はするのであった。そんなもので恋に落ちたら、操はここまで苦労していない。ある意味、残酷な事実に救われた操だった。


 主人公が娘を抱えて元の位置に戻る。そのまま、一旦森を抜けようと出口を目指して歩く。(一旦、この女を安全なところに移さないとな。ニコラスと合流するのはその後だ。あいつのことだ。あんなガキにやられるヘマなんてしないだろう)と主人公の心の内が聞こえた。


 なにかの唸り声が聞こえる。主人公が振り返ると、先程振り切ったはずの熊がいた。「チッ。しつこいんだよ!」主人公は一旦、娘を乱暴に降ろすと銃を抜き取り、熊に発砲をする。しかし、熊の硬い皮膚は銃弾を通さない。それを見て、主人公の顔が青ざめるのであった。


「うわあ。また熊が出たよ。これ逃げる流れなのか?」


 ホラーゲームプレイ中あるある。恐怖演出の追跡者が出ると怖さよりも、どうやって逃げようだとか、面倒だなという思考の方が先に来る。尤もそういうことを考えるのはプレイヤーだけなので、ただ観測しているだけの夏帆には化け物の登場で心が震えるのであった。


 主人公は、熊と娘を交互に見た。そして、息を飲み、眠って倒れているままの娘を置いて、その場から勢いよく逃げ出した。


「えー! ちょっと、この主人公なにしてんの!」


 夏帆は思わずツッコミを入れた。ヒーローともヒールとも言い切れないヘタレな行動。正義の味方なら少女を置いて逃げないだろうし、どんな手を使ってでも目的を果たしたい悪役なら値千金の価値がある娘を置いて逃げることはしない。


「おっと。これは予想外だ」


 高い推理力と展開の先読み力を持つ、琥珀でも主人公の行動は予想外だった。だが、すぐに主人公の胸中が明かされることになる。


 必死に逃げる主人公。その最中に(今は逃げることが先決だ。あの娘をおとりにすれば時間が稼げるはず。あの娘は死ぬだろうけど、関係ない。もう1人、変異株の感染者っぽい少年ガキがいた。あいつをぶっ倒してでも、持ち帰ればそれでいい。俺らのボスが欲しいのは、娘そのものじゃない。変異株に感染しているサンプルなら誰でもいいんだ)と思考して、その場から離れた。


「私、この主人公嫌い。本当にアンバーって最低」


 夏帆が口をとがらせて不平を言う。主人公の判断は実に合理的なものではあったが、物語の主人公としては好ましくない。特に女子の目から見ると、抵抗できない状態の少女を置いて逃げる行為そのものが許せないと感じたのだ。夏帆自身も一瞬、このイベントで主人公が改心して、少女のために戦うことになると予想した。それを裏切られただけに余計に主人公に対するヘイトが溜まる。


「あんまり、アンバーを最低って言わないでくれ。一応、俺の名前の英語読みなんだから」


 普段、操から“Amber君”などと呼ばれてなければ琥珀もそれほど気にすることはなかった。けれど、実際にそう呼んでいる人がいるなら、自分の名前として認識してしまうのも無理はない。


 完全に熊から逃げきった主人公。(次はニコラスに合流しないといけないな。ニコラスはあっちの方向に逃げたはずだ)と言った瞬間、主人公の周囲に赤い三角形が表示された。この三角形は進むべき方角を指し示しているガイドなのだ。琥珀もそれを理解したので、三角形の頂点の方向に主人公を移動させた。


 その方向にある程度進むと、1発の銃声が聞こえた。主人公は大慌てで走り出した。開けた場所に出ると、銃を握っているニコラスと血を流して倒れている少年の姿があった。少年の近くにはチェーンソーが無造作に落ちていて、彼が撃たれた時に咄嗟に投げ捨てたものだと思われる。


 主人公は手を頭に当てて「あちゃー」と言った。そして、ニコラスに向かって「お前何してくれてんだよ!」と怒鳴った。状況が飲み込めないニコラスは「いや、このガキをぶっ殺しても、お前の言っていた娘の方を捕まえればいいだろ」と世界の真理の如く語った。しかし、それが不可能なことは主人公は知っていた。


 画面が暗転した後に、ニコラスが「なんだって!」と言って、少年を見つめた。そして、すぐさまに少年に近づき脈を確認する。そして、「ほっ」と一言。「大丈夫だ。なんとか生きている」その言葉を聞いて、主人公もほっと胸を撫でおろし「殺すなって言っただろ」とニコラスを責めた。


「なんか……こいつらってアホだな」


 琥珀が呟くと操もそれに同調するかのように頷いた。全く連携が取れていないこの体たらく。


 主人公は、包帯を取り出して、少年の傷口の止血をした。少年が撃たれたのは腹部だが、致命傷には至らない箇所だった。「さて、このガキを連れて、さっさと帰ろうぜ。ボスが待っている」とニコラスが言う。少年を担いだ主人公は「ああ。こんな村にもう用はないな」と言い歩き始めた。


「これでこの物語も終わっちゃうのかな」


 夏帆がそう呟く。確かに、このまま無事に帰れば物語は終焉を迎えてもおかしくない。


「うーん。まだ続くと思う」


 琥珀がそう返す。琥珀もゲーマーと言うほどではないが、同年代の男子並にはゲームをやっている。その経験に基づく勘が言っている。こんな綺麗に終わるはずがないと。


 森の出口に向かったところで、先程の熊の化け物がまた現れた。主人公は「また出るのかよ! もううんざりなんだよ!」と言い放った。だが、今度の熊の行動は違った。主人公には目もくれず、ニコラスの方に突進していく。ニコラスは「うわああ」と叫びながら、熊から逃げ出していった。


「うーん? なんだ……?」


 またしても琥珀の予想を大きく外す展開。先程まで主人公を執拗に追い回していた熊。だが、少年を担いでいてある種の手負いの状態だった主人公よりも、身軽なニコラスの方を優先して襲い掛かった。


 このゲームにはまだ明かされていない謎がある。それをプレイヤー側に提示しつつ、ゲームを終わらせないようにするイベントだったのだ。

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