慣習か、傲慢及び怠惰か

 家族の身の回りの世話をする。気を利かせる、家族で食事をする、家計を守る、目に見えない制約や慣習が家庭にはたくさんあります。

 誰かが「気を利かせる」「気を遣う」ことは当たり前ですか?家族であれば、相手との意図の相違や疑問を埋めるために話をすることは必要ないのでしょうか?昔ながらの慣習を継続し「気を利かせる」「気を遣う」ことを無言のうちに誰かに求め、また気を利かせることに応じてしまうのはどうしてなのでしょうか。

 大人と、言葉や自我が発達した子供にとって、大切な頭脳と言語は、家庭では使わなくていいのですか?

「言わなくてもわかるでしょう」という圧力を家族同士でかけてしまうことは、それは大人に対しても、子供に対しても、状況によっては暴力的で、暴力的とまではいかなくても、残念な問題対処方法と言えるのではないでしょうか。

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