観覧車

 ――えぇー! 吾妻とー? 



 ――おやおや、吾妻は人気がないんだね。



 ――……



 どこだ? どこに行けばいいんだ? たとえ榛名さんから離れたとしても、毘奈に勝手に動き回られたんじゃ元も子もない。考えろ、考えるんだ!

 僕が焦ってる中、毘奈は不思議そうに手を引かれていたが、それももう限界だった。



 「ちょっと吾妻! 本当にどうしたの? さっきからおかしいよ!!」

 「ああ……いや、確か、こっちに僕が乗りたかったものがあったような、なかったような……」

 「んん……そうだ吾妻、せっかくここまで来たんだからさ、観覧車に乗ろうよ!」

 「え? 観覧車って、いや……悪くないかも」



 僕はがむしゃらに走っている間に、観覧車乗り場のすぐ下まで来てしまっていた。

 そうだ、観覧車であれば毘奈に園内を動き回られる心配もないし、榛名さんに見つかる危険も少ないな。渡りに船じゃないか。



 「そうそう、観覧車に乗りたかったんだ! さすが幼馴染、僕のことよく分かってるな!」

 「え? 吾妻ってそんなに観覧車好きだったっけ? まあいいけど……」



 少し訝しむ毘奈をよそに、僕は逃げこむように観覧車のゴンドラへと跳び乗った。僕の向かいに毘奈が座り、ゴンドラはゆっくりと上昇していく。

 しかし、まずは時間を稼げたが、一体この後はどうするんだ? 観覧車が一回りしてしまえば、活動的な毘奈はじっとなんかしてやしないぞ。

 難しい顔をする僕とは裏腹に、毘奈は小さくなっていく周りの様子を無邪気に見回していた。全く、いい気なもんだ。



 「吾妻、今日は楽しかったけどさ、やっぱりあの頃みたいにはいかないんだね……」

 「え? なんだよ急に」



 いつもの鬱陶しいくらいの幼馴染の横顔は、快活さの中にどこか憂いを帯びていた。

 観覧車は静かに上昇を続け、ただでさえ小さなこの遊園地を、猫の額ほどもない大きさへと変えていく。遠くの空を見渡そうとすれば、視界を遮るように都会のビル群が建ち並んでいた。



 「昔はさ……おばあちゃんに連れて来てもらってた頃は、この遊園地ももっと広く感じたよね。丸一日いても全然飽きなかったもん」

 「まあ僕たち、もう中二だもんな」



 僕には毘奈のこの時の心境が、何となく分かった。確かに、あの夏の日の空はどこまでも広くて、世界は僕らには理解が及ばないほど偉大だった。

 いつからなんだろう。世界をどこか息苦しく感じるようになって、今はこんなことで頭を悩ませている。

 毘奈の影響からか、僕も昔を懐かしんで少しセンチな気持ちになっていた。そんな僕を、毘奈の何気ない一言が大きく揺さぶる。



 「そうだね……吾妻にも彼女ができちゃうわけだ」

 「へ……か、彼女って……ええ!?」



 なんだ、一体何が起こったんだ? なんでこいつが、毘奈がそのことを知ってるんだ? 鎌をかけてる感じでもない。僕をハメる為の高度な策略だったとでも言うのか?

 僕が顔面蒼白でしどろもどろになっていたもんだから、毘奈は少し申しわけなさそうに微笑んだ。



 「あははは……同じクラスの榛名さんに告られたんでしょ? 知らないと思った?」

 「な、なんでそれを!?」

 「毘奈ちゃんは何でもお見通し……って言いたいとこだけど、あの日さ、放課後に吾妻、凄い勢いで体育倉庫の方に走って行ったでしょ? 呼び止めても、全然気付かないからさ、付いて行ってみたんだ……」

 「じゃ……じゃあ、もしかしてあの現場を!?」

 「別にのぞき見するつもりはなかったよ。でもさ、まさかそこで吾妻が告られるなんて思わないでしょ?」



 なんてことだ。最初から、こいつには何もかもバレていたってことかよ。さすがだよ、この秘密警察の諜報能力にかかっては、きっとケツの穴の毛の本数ですら把握されていることだろう。

 でもこいつの雰囲気からは、今日ここに榛名さんが来てることを知っている風には、微塵も感じられなかった。ここは毘奈に協力を求めたいところだが、もう何がなんだか分からん。



 「じゃあ、お前は全部知ってて、ここに来る為に……?」

 「彼女できたのに、今日は付き合わせちゃってごめんね。でもさ、彼女いるのが分かってて、吾妻を連れ回すわけにはいかないでしょ? だからさ、知らない振りしちゃった」

 「そうまでして……ここに?」

 「ここはさ、小さな頃、大好きな場所だったんだ。だけど、おばあちゃんが亡くなって、いつの間にかここにも来なくなってたから……。だからね、どうしても最後に吾妻と一緒にここに来たかったの……」



 毘奈は遠くの空を見上げながら、少し寂しげに微笑していた。ああ、僕は榛名さんのことで頭がいっぱいで、このいつもすぐ近くにいた幼馴染のことを、少しも分かろうとしていなかったのかもしれない。

 毘奈は今もあの頃の思い出を……ばあちゃんや僕との思い出を、とても大事に胸に抱えていたんだ。だからどうしても今日、毘奈はここに来なければならなかった。

 きっと、毘奈は胸にしまったその大事な思い出を、最後にもう一度その目に焼き付けておきたかったのだろう。

 あの日、突然逝ってしまった大好きだったばあちゃんへ、まるでさよならでも言いに来たみたいに……。



 「可愛い子だよね……榛名さん、うちのクラスの男子たちもしょっちゅう噂してる」

 「ま……まあね」

 「吾妻のこと心配してたからさ、きっとおばあちゃん、凄く喜んでると思うよ。もちろん私もね!」

 「ばあちゃんはともかく、何でお前が喜ぶんだよ?」



 そんなこと聞くんじゃなかった。言われなくたって、僕だって知ってるんだ。このお節介で鬱陶しい幼馴染が、本当はどんな奴かってことくらい。



 「だってさ、吾妻が幸せになってくれたら、私も嬉しいじゃん!」



 よしてくれよ、そんなこと言われて微笑まれたら、自分が如何に小さい奴かってことが身に染みて分かっちまう。

 毘奈のその清々しい発言に、僕はうっかり本音を漏らしてしまった。



 「ごめん、てっきり毘奈は僕の弱みを握って、一生奴隷のように服従させるつもりなのだとばかり……」

 「何それ、酷くない? ちょっと揶揄っただけだよ! 私のこと、何だと思ってたの!? ……まあ、吾妻が是非そうして欲しいなら、考えてあげないこともないけどね♪」

 「お前のは冗談に聞こえないっつーの……」



 観覧車のゴンドラはピークを過ぎて、降り口に向かって下降を開始していた。

 いずれにしろ、もう時間がない。ここはもう、恥を忍んで毘奈に協力を仰いでみるしか……。



 「ごめん毘奈、実は相談したいこと……が、ええ!?」

 「ど、どうしたの、吾妻!?」



 毘奈に榛名さんが来てることを伝えようと、何となくゴンドラの降り口付近を伺った時だった。

 なんか、やたら可愛い女の子が歩いてるなと思ったら、案の定それは僕の彼女であり、学年二大美少女に数えられる圧倒的美少女、榛名 雨嶺だったのだ。

 やばいぞ、よく分からないが、三人して観覧車を興味深げに眺めてるじゃないか。



 「吾妻、だからどうしたの? 急に椅子の下に隠れちゃって!?」

 「し、知らないけど、ち……近くに、は……榛名さんが来てるんだよ! このままだと見つかっちゃう!」

 「ええぇー!? 吾妻、なんでそんな大事なこと早く言わないの!!」

 「だ、だって、付合ってること秘密なんだから仕方ないだろ!」



 残された時間はあと僅かだった。このまま普通に降りてしまえば、榛名さんと鉢合わせてしまう可能性大だ。

 毘奈は狼狽える僕を見ながら、唐突に覚悟を決めた様子で言った。



 「いいよ吾妻、私に任せて!」

 「……え?」



 毘奈は急にバッグの中をガサガサと漁り始め、僕は彼女に言われるがまま、あることをしてゴンドラを降りたんだ。



 「もう、あっくんたら、高所恐怖症だったなら先に行ってよ! 大丈夫? 早くあっちで休もうね」



 僕は毘奈が弁当を包んできた大きめのバンダナを頭に被り、さも気持ち悪そうな感じで口にハンカチをあてながら、毘奈に抱えられるようにしてゴンドラを降りる。

 そして観覧車を眺めていた榛名さんたちの横を通る時、毘奈が僕と彼女たちとの間に入る形となり、何とかバレずにその場を離れることができたんだ。


 

 「なにあの彼氏? ダッサ!」

 「でも、あの女の子、どこかで見たことなかった?」

 「そう……?」



 榛名さんを含む三人組は、すぐ横を通った怪しいカップルを不審に思いながらも、それ以上の詮索をしてくる様子はない。

 僕は首の皮一枚、あわやあわやというところで、未曾有の大惨事を回避することができたってわけだ。毘奈に助けられたってのが、少し皮肉なお話ではあるけどね。

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