本屋、そして幼馴染

 ――ヒナちゃんは気立てがいいからね、きっといいお嫁さんになるよ。



 ――ホントに? ヒナ、可愛くて優しい、ママみたいな嫁さんになれる?


 

 ――……



 その日の帰り、恐らく僕は近年稀に見るニヤけ面で下校していたに違いない。

 だって、こんな素晴らしいことがあるか? 学年中の男子が憧れるマドンナ的美少女に告白されたんだぜ?



 それにだ。これは単なる付加価値かもしれないが、ついに僕はあの悪辣な幼馴染、天城 毘奈に……何をやっても負け続けていた毘奈に勝ったんだ!

 何しろ、あいつより先に彼氏彼女ができたんだからな。しかも相手はあの榛名さんだ。これはもう、紛うことなき圧倒的な完全勝利に他ならない。



 「ひゃっほー! ざまーみろ!」



 と、僕が一人で浮かれていると、ふとある古びた書店が目に止まった。

 そこは僕が定期的に書籍を買いに来る、品揃えがいいわけでもない、本当に小さくて小汚い本屋だった。

 何故僕がこんな本屋に来るかと言えば、答えは簡単さ。ここでは他では手に入り難い、ある貴重な書籍が手に入るのだ。



 「うん、今日は気分がいいし、ちょっと寄ってくか」



 最近では規制だなんだって、置いてる店も少なくなってきた。映像コンテンツの普及で、だいぶ需要も減っている。それでも、電子より紙媒体を愛する僕が求めしもの。それは、旧時代より紡がれし男のロマン……。ここではエチィ本が買えるのだ。



 僕は雑然とした店の奥深くに眠る、かの本のコーナーへと向かう。

 なになに? 中学生のくせして、店員の目はどうなのかって? 問題ない。ここの店主は、店番をしながらいつも眠っているような年配のおじいちゃんだ。万引きされたって気付きやしないだろう。



 「……ゴクリ」



 かの本のコーナーに来た時、急に僕はいつもとは違った感覚に襲われる。

 だってついさっきまで、あの学年一の美少女、榛名 雨嶺を至近距離で見ていたのだ。

 あの彼女の透き通るような白い肌、涼やかで優しそうな瞳、熟れた果実のような唇を思い出すだけで、胸が高鳴り、ムラムラ度は限界突破だ。

 今日は学校帰りだし、物色だけに留めようと思ったけど、これはもう我慢できない。



 (えーと、いつも買ってるやつは……)



 僕はいつも買うような比較的マイルドなエチィ本を手に取ろうとした。

 いや待て、僕は今日から彼女のいる大人な男だ。もっとハードな知識がなければ、榛名さんに笑われてしまうんじゃないか?

 頭の中で謎のロジックが発動する。僕は店内で一時間以上悩んだ挙句、これまで買ったことのない、それはもう本の名前すら口にするのもはばかられるような、とびきりエチエチな本を手に取っていた。



 (さすがに今日は、何か他の本も……)


 

 いくら半分眠ったようなおじいちゃんとはいえ、今日のこの本を買うのには勇気がいる。だけど想定内だ。こういう時の為に、旧時代からの伝統的な対処法があるのだから。

 僕はその本の上に、ドストエフスキーの『罪と罰』とかいう本を乗っけてスケープゴートにした。おかげで問題なく買うことができたよ。何故だか黒いビニール袋に入れられたけどね。



 そんなこんなで、無事ミッションをクリアした僕は、全てを出し切ったアスリートみたいな顔をして外へ出る。

 本屋に長くいたせいで、辺りはすっかり薄暗くなりつつあった。本当に素晴らしい一日だったな。

 そして、安心しきっていた僕が、深呼吸をして帰ろうとした、まさにその時だったんだ。



 「あ! 吾妻、今帰り? こんな時間までどうしたの?」

 「げっ! ひ、毘奈!?」



 僕を呼び止めたのは、ポニーテールに少し日に焼けた小麦色の肌がトレードマークの、お節介で鬱陶しいあの悪辣な幼馴染、天城 毘奈であった。

 しまった、本屋で時間を使い過ぎてしまったが為に、こいつの部活の終わりの時間にかち合ってしまったか!?



 「可愛くて優しい幼馴染に“げっ!”はないでしょ! どうしたの? そんなに驚いて?」

 「べべべ、別に、何でもねーよ!」

 「……怪しい! 吾妻、何か隠し事してるでしょ?」

 「ななな、なわけねーし! は、早く帰れよな!」



 あからさまに狼狽する僕。毘奈は部活後にした制汗スプレーの甘い香りを漂わせながら、訝し気な顔をしてどんどん詰寄って来る。

 まずいぞ、こいつは馬鹿みたいに勘がいいから、疑われたら最後、独裁国家の秘密警察並みに執拗なんだ。



 「なーにその黒い袋? 本屋さんで何か買ったの?」

 「そそ、そんなのお前には関係ないだろ! いいからほっとけよ!」



 僕はとっさに、例の本が入った黒い袋を後ろに隠した。やばい、早くカバンの中にでも入れておくんだったぜ。

 とにかく、何としてもこのブラックボックスの秘密だけは死守しなければならない。全てが……全てが終わってしまう!


 

 「あっ! 吾妻のママが買い物してる!」

 「な……なに!? ……って、ハッ!!?」



 焦っていたのか、毘奈の見え透いた嘘にハメられ、僕は振返って無防備な背中を晒してしまう。そのチャンスを奴は見逃さなかった。

 毘奈はひょいっと僕から黒いビニール袋を取り上げ、興味深そうに中を物色し始める。



 「えーと、なになに……『罪と罰』か、難しいの読むんだね。もう一冊は……」

 「ちょッ! おまッ!! ふざけんな! 返せー!!」

 「え……なにこれ? 雑誌? 巨○女教師の〇▼?×個人授業で、僕の※●△はもう……」

 「アー!! アー!! アー!! 読むな読むな読むな!!!」



 僕の最後の悪あがきも、この秘密警察相手では無力に等しかった。毘奈はしたり顔で再び詰寄って来る。



 「ふ~ん、そういうことだったんだ。なるほどね~」

 「な……なんだよ」

 「中学生がこんな本買っていいのかな~? 吾妻の家の人が知ったら~、どう思うんだろ~?」

 「ぐぬぬぬぬ……」



 なんということだ。よりにもよって毘奈なんかに見られてしまうとは……。まさに、我が人生最大の苦境!



 「ぜ……絶対に言うなよ! 頼むから、誰にも……誰にも言うなよ!」

 「な~にそれ? 言えって振りかな~? あ~あ、どうしようかな~♪」

 「頼む、お願いだよ! 何でも言うこと聞くからさ!!」



 あーあ、言ってしまった。こういう時、一番言っちゃダメなやつだ。転落人生の始まっちゃうパターンだよ。

 毘奈は僕のその反応に驚いた様子であったが、すぐに滅茶苦茶嬉しそうな顔をして言う。



 「ホントに? ホントに何でも言うこと聞いてくれるの!?」

 「あ……うん……まあ」

 「じゃあね――」



 そうして毘奈は、半ば放心状態であった僕に、とある要求を突きつけてきたのだ。

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