大正五年の冬。かの文豪、夏目漱石が没した日の夕暮れ。

私は、ここ藤町ふじまちの鬼頭家に産まれました。



お母様、お父様、ともに厳しくも優しい方で、私はひとり娘として「文子ふみこ」と名を貰い、十分に育てていただきました。その豊かさも、京藤けいどうの社にいらっしゃる宇迦之御魂神様うかのみたまのかみさまのおかげ。代々、鬼頭きとう家はこのお社を御守りする役目を担っておりました。



そして十六の頃。境内を掃除していた私は、参拝者として訪れていた正一しょういちさんと出会ったのでございます。非力な女性に対しても、優しく笑いかけ、丁寧な口調で話しかけてくださる正一さんに、私はつい、気を惹かれてしまったのです。なんとも、うぶな人間でした。




私はこの歳まで、外のことを十分に知らず育ちました。この国の八百万の神々のことはお父様が、礼儀作法とお料理はお母様が、そして勉学や流行りのことは女学校の先生と子女達が教えてくださいましたが、労働や経済のこと、村民の暮らしについては全くといってよいほど無知でした。



しかし、正一さんはこの国をよくご存知でした。無知な私を見下して笑うことはなく、気前よく色々なことを教えてくださいました。


田園でんえんに光る蛍の群れ、紡績ぼうせき企業の御曹司の失態、大戦景気の成り行き…


どれもこれも私には眩しく思えました。世相せそうに流されてはならぬという信条のもと、自らの口で自らの描くこの国を語る正一さんは私の憧れとなり、そして、かけがえのない存在となってゆきました。


出会ってしばらく経ち、正一さんは時折身の上話をしてくださるようになりました。農村で貧しく暮らす両親は身体を壊しがちで、その治療費を工面するため、紡績ぼうせきと仕立ての盛んな藤町へ下働きに来ていること。呉服屋で手伝いをつとめながら、主人と多くの客人から世相と礼儀を学ばせてもらったこと。


月に何度か、僅かに膨らんだふところで両親の元へ帰ると、質素ながらも美味しい食事を用意して待っていてくれること…


私のお母様もお父様も、品行高く知識の広い正一さんを大変に好いておりましたし、私自身も正一さんとここで夫婦めおととして一緒になることになんの迷いもありませんでした。



この鬼頭家を継いでいかなければなりませんし、何より私も年頃ですから、正一さんとの子を授かって母になりたかったのです。両親がそうだったように、暖かく幸せな家庭を夢に見ていました。


その話をすると正一さんは嬉しそうに、すぐにでも一緒になろうと言ってくれました。そして、次の満月の日に内々に神前式を行うことを決めたのです。


婿入りが決まった後、正一さんはあの凛々しく優しい笑みを浮かべて、私に言ってくださいました。必ず幸せにすると…うわべではないその言葉が嬉しくて嬉しくて、そしてわずかに気恥ずかしくて。



たわむれに「嘘をつく人は嫌いよ」と言ってみれば、ならば約束だと、正一さんは顔の前に細い小指を差し出しました。そして二人で声を合わせて歌ったのです。

 


ゆびきりげんまん うそついたら 

はりせんぼん のます ゆびきった

 

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