さくらと桜と金平糖。

赤坂時雨

第1話

「……どうだ。これが本物の桜だぞ。綺麗だろう?」

「わぁぁ……! きれい!」

とたとた、と桜の花びらが積もった絨毯の上で1人の少女が走る。その度にかさっ、がさっと花びらが擦れて音を立てる。

「こら。走ったら危ないぞー」

1人の男が注意するも、全く気にしていない様子で少女は飛んだり回ったり、桜の木の下で無邪気な幼子のようにはしゃぐ。

「大丈夫だよっ! ほら、にぃにも!」

再び男の元へと駆け寄ると、手を差し出しもっと近くまで行こうよと誘われる。ぐいぐいと引っ張る腕の力こそ弱いが、手は絶対に離さんと言わんばかりに握られた。

「……ったく。仕方ないなぁ。あー、こらこらそんなに引っ張るなって……!」

あはは、と声に出して笑う少女の、なんの屈託もない輝かしいその笑顔を、男は一生守り続けると誓った。

大切で愛おしい、世にたった1人の妹であるさくらを、兄である黒人(くろと)は死んでも幸せにしてみせると、心に強く願った。






黒人が5歳のころに産まれた妹、さくらは心臓に異変を持って産まれてきた。当時の担当医師も初めてのことで、とても困惑していたそうだった。心臓の下の方に、小さくて硬い石のようなものが付いていたのだ。

なぜ心臓に異変があった事が分かったかというと、さくらが産まれてきた時、どう頑張っても泣かなかったそうだった。そして次第に呼吸が上手くできていないことに気が付き、早急にレントゲンや身体検査を行った結果、心臓の下の方に"それ"がついていたと言う。

だがそんなさくらも、大勢の医師や看護師の元、今ではすっかり元気な中学一年生になった。とは言っても、産まれてから1度も病室から出たことはないが。

さくらの成長に合わせて、石のようなそれも微かにではあるが、大きくなっていく。過去に異例のない事態に、さくらは産まれた時から病院の1階奥にある特別な病室で過ごしている。窓から外の様子を伺うことは出来ても、外に出るどころか、病室から出ることが不可能だった。車椅子に乗ることはできるので、必要最低限の動きは出来るものの、あまり本人も動きたくないのかずっとベッドの上で本を読んだり勉強をしてりしていた。

黒人は毎日のようにお見舞いに来ては、外での出来事を色々話した。野良猫がいたとか、学校ではドッチボールをして遊んだとか。雨が降ったら傘を差すことや、雪が降ったら寒くならないためにジャンバーを羽織ることなど基本的なことも、外に出られないさくらのために、黒人はとにかく色々なことを教えては母を含め3人で楽しい時間を過ごしていた。

「春になるとね、さくらと同じ名前の花が咲くんだよ!」

「おなじ?」

「うん!コレ見て! キレイなピンクでしょ!」

黒人は花図鑑を持って行って、同じ名前の花――桜の花が載っているページを開く。

「わぁ……! これ、お花なの?」

「うん!えっとね、大きな木にねぶわぁって咲くんだって!」

「へぇ……見てみたいなぁ!」

「元気になって、外出られるようになったら一緒に見に行こうよ!」

「――っ!ほんと!? 約束だよ!」

「うん!約束!」

ゆーびきーりげんまん、と2人で歌いながら遠い未来の事について話し合っては楽しそうに笑っていた。

小さい頃は母親もそばにいたが、さくらが10歳にもなるとさすがに入院代や治療費代が払えなくなってしまうため、さくらももう1人でも大丈夫だということもあり、母親が仕事へ戻ってしまった。

それからも学校が終わればすぐに黒人は病院へ駆けつけ、仕事でいなくなった母親の分までたくさんの話を聞かせていた。

そして特にさくらの体が急変することなく、気がつけばさくらは13歳の誕生日を迎えていて、今に至る。そのまま特に今までと変わりない日常が待っているのだと、その時の黒人はそう思っていた。

だが、そんな黒人の思いとは裏腹に転機が訪れる。

いつも通り病室へ向かっている途中で、さくらの担当医師が変わるかもしれない、という話を聞いた。なんでも、海外から日本に戻ってきたというその医師は、向こうでかなりの実績を積んできたらしく、今1番期待されている医師だとか。

そしてさほど日を開けずに、担当医師が本当に変わってしまった。だが特にこれといって今までと変わった様子はない。強いて言うならその医師からとあるお菓子を受け取り、1日ひとつは必ず食べている姿をよく見るようにはなったことくらい。

そのお菓子は、どこからどう見ても金平糖そのものだった。白や黄緑、青といった色とりどりの砂糖菓子。さくらに聞いてみると、最初はいらないと言って拒否していたらしいが、その医師から「甘いものを食べると気分が落ち着くよ」と言われ、次第に食べるようになったそうだ。

「それ美味しいか?」

「うん!甘くて、でもちょっと硬いんだ。だから私は舐めるようにしてるんだよね」

その方が長く食べていられるし!と楽しそうに笑うさくらは、今日も元気なようだった。

「そうか。よかったな」

わしゃわしゃと頭を撫でてやると、さくらはえへへ、と顔をほころばせて笑った。

「ところで今学校ではこれが流行っているんだが――」

そう言い、黒人はカバンから本やらノートやらを取り出しては、さくらが気に入りそうなものを見せて話していく。

可愛らしいクマのキャラクターが付いたピン留めで少し伸びた前髪を留めたり、アクリルでできた桜の花びらが付いているヘアゴムで髪を結ったり。色々と楽しんでいると時間はあっという間に過ぎ去り、気がつけば空は綺麗なオレンジ色で染まっていた。

「高坂さん。夕食の時間ですよ」

トントン、とノックのあとすっとドアが開き、看護師が夕食を運びに来たので、それを合図に今日はおひらきということになった。

「じゃあまた明日来るからな」

「うん!またねにぃに!」

ぶんぶんと激しく手を振るその姿は、元気な女の子そのもので。黒人はたまに、本当にさくらは病気なのか? と疑ってしまう。

けれども、ドアを閉めてから暫くその場に居座ると、小さな小さな泣き声が聞こえてくる。看護師に対する礼の言葉も、先程元気に話していた妹から発せられた声とは思えないほどに震えているのだ。時折ずずっ、と鼻をすする音すら聞こてえくる。それをドア越しに聞くと、黒人は一気に現実に引き戻される。

家族に心配させまいと、頑張っている妹のことを考えると、胸が締めつけられ息苦しさすら覚える。

「……くそっ……! 何か出来ることはないのかよ……っ!」

黒人はぎり、と爪が食い込むほど手を強く握り呟いたその小さな言葉は、真っ白な壁が続く病院の廊下に溶けていった。








「え、熱が下がらない?」

「はい。朝からずっと高熱のままで、そのうち下がるかなーって思ってたんですけど……」

黒人はいつも通り学校帰りに真っ直ぐ病院へ向かい、さくらの元へ行こうとしたところで担当の看護師とすれ違い、話を聞かされた。偶然にも世間ではインフルエンザ等の風邪症状が流行っていることもあって、面会は出来ないとのこと。当たり前だが病院内には昨日まではなかった消毒液や、マスクの無料配布など、徹底されていた。黒人自身もマスクは付けているが、飛沫予防は出来ても衣服等に菌が付いてたら元も子もない。

「じゃあせめてこれだけでも……」

それは病院近くに新しく出来た、スイーツショップでいつも買うオレンジの寒天ゼリー。店員に顔を覚えられ、何も言わなくても1つ取り置きして貰えるほどには通っている。小さな丸いカップに入ったそれは、見た目こそ普通寒天ゼリーだが、中にみかんの粒が入っていて、そこがまたインパクトになって美味しいのだ。

「あ、もしかしてゼリーですか? ありがとうございます。高坂さん、いつもこのゼリー楽しみにしているんですよ」

「そうなんですか? それは買って行くかいがありますね。明日も買ってきますんで、よろしくお願いします」

ガサ、とビニールの袋が音を立てて看護師の手に渡った。そしてそのまま帰ろうと黒人は踵を返すが、あっ、と何かを思い出したような看護師の声にその場に立ち止まる。

「えっと、ドア越しでもいいなら声だけでも聞いて行かれます?」

1番奥の部屋ということもあり、周りには人はいないため少し大きな声を出しても迷惑にならないとのことだった。声だけでも聞けるのなら、と黒人は二つ返事で看護師と共にさくらの病室へ向かった。

「高坂さん、入りますよ」

トントン、とノックをして看護師がドアを開ける。そしてそのままドアを閉められると思っていた黒人は、看護師の行動に驚きを隠せなかった。

「え、あのドア……」

「これだけ距離があれば大丈夫ですよ。せっかくだしその場でお話しましょ」

高坂さんも少しは元気になるかもですよ~と軽い感じで歩いていき、恐らく寝ているであろうさくらがいるベッド横のカーテンをシャッと開ける。

「……ん、にぃ……ぁれ?」

「お兄さんならあちらにいますよ。お熱測らせてもらいますね。あ、ゼリーここ置いとくので、食べれそうな時に食べてください」

寝起きで脳が正常に動いていないさくらに、怒涛の勢いで色々言われ、さくらは頭の上にはてなマークを浮かべている。

「っぷ、はは……まだちゃんと起きてないなあれは。おーいお兄ちゃんが見舞いに来たぞー」

「……? あ、にぃ……げほっ、にぃに、いらっしゃい……」

いつものように出迎えられたが、昨日の元気な様子は無かった。痰のからんだような咳に、顔もほんのり赤い気がする。寝起きにしたらかなり辛そうな表情のさくらに、黒人は近くで支えてやりたいという衝動をぐっと堪える。

「今外で風邪が流行ってて、この距離でしか話できないんだけど、大丈夫か? 辛いなら俺すぐ帰るけど……」

「ううん。大丈夫だよ……あれ、ゼリー2個ある? これ、にぃにの分?」

熱を測り終えたので、さくらは看護師がテーブルに乗せたゼリーの袋を漁ると、オレンジとグレープのゼリーが2個入っていた。グレープのは新作の商品で、黒人が2人で食べようと思って買っていたのをすっかり忘れていた。

「あー、それ2個ともさくらにやるよ。新作商品なんだって。きっと美味いぞ?」

マスク越しだと表情が分かりにくいが、せめてもの気持ちにへへっ、と笑ってみると看護師がさくらの状態を記録しているのをいいことに、さくらがベッドから降りた。恐らくはドア付近に立ったままの黒人の元へ来ようとしているのだろう。今まではトイレやお風呂の時以外ベッドから降りたことなんてなかったさくらが、こちらへ歩いて向かってきている。そんなさくらの行動に驚かないわけがなくて、つい黒人は大声を出してしまった。

「さ、さくら!? おいだめだって……!」

「高坂さん!? 危ないので戻ってください!」

驚きのあまり、紙とペンを床に落とした看護師がすぐさまさくらを抱きかかえてベッドへ戻す。

が。

「んーやだ……にぃにと食べる。これ食べたい!」

珍しくさくらが反抗した。熱のせいで力が入っていないであろう腕を振り上げ、ゆっくりポカポカと看護師の胸を叩く。

「どうして今日に限って……」

看護師が困惑するのは無理もなかった。今までは本当にいい子で、反抗した所なんて兄である黒人自身も初めて見たのだから。

「な、なぁさくら? 明日もまた持ってくるから、明日一緒に食べよう? な?」

なるべく刺激せず、『また明日に』と希望を持たせる。だがさくらは未だ納得していない様子で、不服そうに頬を膨らませている。

「んー……看護師さん、そのゼリー、1個こっちに投げてください」

「え?」

看護師は困惑した様子でグレープ味のゼリーを取ると、スプーンと共に投げることはせず、こちらまで来て手渡ししてくれた。

「えっと……」

「さくら。俺もここで一緒に食べるから。これでもまだ不満か?」

状況を読めていない看護師を他所に、黒人はドア付近に立ったままゼリーの蓋を空け、マスクを少し外すと1口ぱくりと食べる。

「ん、美味いなこれ! ほらさくらもオレンジの……ってさくら!?」

ゼリーに気を取られていてこちらに向かってゆっくり歩いてくるさくらに、黒人は気が付かなかった。気がつけば看護師の後ろに立っていて、黒人の服の袖をグイグイと引っ張る。普段ベッドから降りないさくらが、熱がありあまり体調のよくないさくらが、ドアまで歩いて来ては服を引っ張る。すると自然にさくらの体勢はぐらりと揺れ、その場に倒れそうになる。

「あぶなっ……! っと、大丈夫か!?」

すんでのところで黒人が背中に手を回し抱きとめると、そのまま首に手を回したさくらが離れなくなってしまった。床に落ちたゼリーなどお構い無しに、にぃに、にぃにと苦しそうにしながらも、何度も黒人のことを呼ぶ。いつもと違う妹の姿に、黒人は違和感を覚える。

その後わがままを言って、特別にベッド横に椅子を置き、いつもの場所で2人で話をした。いつもより時間は短いけれども、絵を描いたり欲しいものをメモに書き出したり、時間の許す限り2人は楽しんだ。

「じゃあまた明日来るからな。今日はゆっくり寝るんだぞ。あと、看護師さんの言うことは絶対聞くこと。分かったな?」

「ん、わかった。ごめんね。ワガママ……ごほっ……言っちゃって……今日はありがとう」

最初に来た時よりもスッキリした顔はしているものの、未だ辛さは拭いきれていないようだった。

「…………じゃあね。にぃに……」

「あぁ。また明日」

いつもなら『またね』と言って手を振るさくらが、『じゃあね』と言ったのに嫌な胸騒ぎがしたが、熱のせいだろうと言い聞かせ、黒人は病室をあとにした。

そしてその日の夜中、黒人の胸騒ぎが的中してしまった。

さくらの意識が無くなった、これから緊急手術を行う。と病院から連絡が入ったのは深夜の0時半。

今日のことを母親に話したら、心配で寝られなかったのだろう。ずっとリビングの電気を付けたまま携帯を握りしめていた。そして寝ようかと思っていた矢先、携帯から無機質な着信音が流れた。

「黒人! 今から病院行くわよ! 急いで!」

「……っ! わかった!」

バタバタと寝起きなのにも関わらず黒人は病院へ行く支度をし、母親と共に向かった。







「せ、先生!! さくらは、娘は無事なんですか!」

「落ち着いてください。今手術をしている最中ですので、申し訳ありませんがなんとも言えない状況です」

黒人と母親はそのまま待合室へ案内され、手術が終わるのをずっと待っていた。生きた心地がしないというのはまさにこのことなのだろう。嫌なことばかり頭に浮かび、呼吸も乱れる。

どのくらい経っただろう。時計を見ることすらままならない状態で、隣に座っている母親はここへ来てからずっと泣きっぱなしだった。すると、キィ……と音を立てて手術室のドアが空く。そして次第にカラカラとベッドが運ばれ、目を瞑ったままのさくらが黒人たちの視界に入る。

「さ、さくら!!」

母親は瞬時に椅子から立ち上がり、寄り添う。黒人もその後ろをついて行き、近くまで行くと、そこには静かに眠っているさくらがいた。

「……一命を取り留めました。今は眠っていますが、後に目を覚ますでしょう」

「……っ!! よかっ……たぁ!」

母親はその場に泣き崩れてしまった。何度も医者にお礼を言っては頭を下げている母親に、黒人はそっとポケットティッシュを渡す。

「あの、落ち着いてからでいいので、少しお話をさせて貰えませんか?」

さくらはいつもの部屋へ運ばれ、担当医師から声がかかる。その人は海外からこちらへ来たという、途中で変わった担当医師だった。さくらの病気のことを話すことに違いはないだろうが、もしかしたら海外でさくらと同じ病気の人がいたのかもしれない、と多少の期待を抱き、母親が落ち着いてから黒人たちはその担当医師と共に奥の部屋へ向かった。

「夜中で大変お疲れのところ、申し訳ないのですが、少しだけ僕の話を聞いてください。……実は、娘さんの病気、世界では初めてではないんです」

「……え?」

産まれた当時はそれは大変だったと聞いている。誰もが未知の事態に遭遇して、バタバタとしていたのを5歳だった黒人も母親も覚えている。日本では事例のないことで、病名も分からないと、母親はそう聞いていると言っていた。

「日本では初めてですが、国外では過去に1度だけあったのです。……妻はイギリス人で娘は日本とイギリスのハーフでした」

その医者は泣きそうになるのを堪えながら、小さくぽつぽつと雨が降るように話し始めた。

娘が生まれた時、さくらと同じように呼吸ができておらず、全く泣きもしなかったと。そして検査をした結果同じように心臓の辺りに硬いものが付着していたそうだった。そして医者であり大学で薬の研究もしていた彼は、娘の心臓の硬いものをどうにかして取ることはできないのかと必死に調べたそうだ。

そしてさくらと同じく体の成長に合わせてそれは大きくなっていき、幸いさくらのは丸い形のまま大きくなっていったため、少し息苦しい、くらいで収まったがその子の場合トゲのあるような形に変化しながら大きくなっていったらしく、薬ができた時には心臓に刺さっていて息を引き取ったそうだ。

「……だから、知り合いからそういう状態の子がいると聞いて、すぐに日本に戻ってきました」

「でもあの子、昔から飲んでいたもの以外に薬なんて飲んでいたかしら……?」

痛み止めと称された薬は、毎食後必ず飲むように言われていて、それは産まれた当時からずっと今でも飲み続けているそうだった。そして途中から見舞いに来る頻度が下がった母親は、担当の医者が変わってからもあまり来れていなかったため黒人が話すさくらの状態しか知らなかった。

「も、もしかして、あの金平糖って……」

黒人はひとつだけ薬以外のものを必ず食べている所を目にしたことがあった。それは担当医師が変わってから食べるようになったものだ。

「そう。金平糖のような形にしてあるけど、あれはれっきとした薬だ。子供は薬と言うと飲まないからね。少しでも抵抗を少なくしたくてね」

「金平糖? そんなもの食べていたの?」

「あぁ。ごめん言ってなかった。まさかあれが薬だと思わなくて」

毎日食べていた金平糖が、病気を治すための薬とは誰も思わないだろう。黒人は驚きを隠せずに混乱していた。

「あの金平糖には心臓に付着した謎のものを、小さくする効果があります。その結果、今まで苦しかったのが段々小さくなり息がしやすい、体が軽いなどといった体の変化に対応しきれなかったのでしょう」

熱が出たのもそれが原因と思われます、と医者言う。

きっとさくらは分かっていたのだろう。もうあまり自分の体は持たないと。だから昨日、わがままを言ったのかもしれない。初めて抵抗したのかもしれない。『最期』になるかもしれないからと。そう感じていたのかもしれない。

「……でも、最期にならなくてよかったな……ずっ……これからはずっと一緒にいられるぞ……っ」

さくらはまだ生きている。そう実感すると、黒人の目からは先程は出なかった大量の涙が嘘のように流れてきた。壊れたダムのように止まることを知らない。母親に背中をさすられるとなお涙がぼたぼたこぼれ落ちる。

「よかっ……た、母さん……っ、よかったよ……」

「……うん。そうね。よかったわ……黒人も毎日お見舞いお疲れ様。ありがとう」

そして、と母親は一拍おき医者の方を向くと深深と頭を下げた。

「娘を救ってくださり、本当にありがとうございました……っ」

黒人も泣きながら机に顔がつくほど頭を下げ、ありがとうございましたと何度も何度も言った。








そしてあれから数ヶ月程が経ち、さくらは無事に退院をすることができた。

「……どうだ。これが本物の桜だぞ。綺麗だろう?」

「わぁぁ……! きれい!」

とたとた、とさくらは覚束ない足取りで桜の木の下まで走ってゆく。その度に桜の花びらでできた絨毯がかさっ、がさっと靴の下で音を立てる。

「こら、走ったら危ないぞー」

黒人が注意するも、さくらはお構い無しにキャッキャとはしゃぐ。飛んだり回ったり、その姿はまるで目の見えなかった子が初めて外の世界を目にした時のような、そんな無邪気な幼子のようで。

「大丈夫だよっ! てかにぃにも!ほら早くっ!」

さくらは再びこちらへ戻ってくると、黒人の腕を引っ張る。力は昔と変わらずあまり無いが、手だけは離さないと言わんばかりに強く握られた。

「…ったく。仕方ないなぁ。あーこらこらそんな引っ張るなって……!」

「あ、まま!」

「すっかり元気になったわね。さくら。退院おめでとう」

病院から戻ってきた母親に頭を撫でられ、えへへ、と花が綻んだように笑う。すると母親の背後からゾロゾロと看護師やら医者やらが出てきて、退院を祝ってくれた。

「高坂さん。お元気で」

「これ家にぜひ飾ってください」

「これはずっと食べていたゼリーです。今度はお母様と一緒に食べられては?」

次々に祝いの品を貰い、さくらの両手はすぐさまいっぱいになった。

「わわっ、ありがとうございます!」

改めて家族3人でお礼を言い、車に荷物を積んでいると、桜の木の下で写真を撮らないかと医者に言われ、家族で撮ることにした。

「ままー早くー!」

「はいはい。わかったわよ」

「にぃにこっちでままはこっちね!」

大きな桜の木の下で。

「じゃあ撮りますよー」

家族3人で、一生思い出に残る幸せな1枚を撮ってもらった。

さくらの手に握られていた小瓶の中の、金平糖が家族みんなの笑顔に反射してより一層輝いていた。

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さくらと桜と金平糖。 赤坂時雨 @sagiwakame0141

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