2033年11月2日 - 悟りの雨の日

この日は曇り空で、午後からは所により雨だという。

天気が崩れるのは明日にしてほしい。

明日は祝日だから、別に何とでもなるのに。

そう考えつつも電車に乗る。

車内が広く感じるが、気のせいだろう。

それはきっと、「ミスター非常識」が

2日続けて視界に入らないからに違いない。

今日はやけにピンク色の勾玉のブレスレットを付けている人が多い。

調べてみるとすぐに出てきた。

そう遠くない駅前の店で、隕石お守りとして売られ始め、

瞬く間に話題になったのだという。

しかしSNSでの話題を見ると、

「隕石お守りオシャレ」などというように

ファッションに昇華されてしまっているように感じる。

最早隕石は「流行」なのか。

全く驚かされるものだ。


昼休み、いつもの食堂のおばちゃんが

「あんた、最後に過ごす人は決めた?」と訊いてきた。

考える所があって黙り込んでしまっていると、

「早く決めないと最後の時でさえ1人になっちまうよ」と。

おばちゃんなりの親切なのだろう。

言われてみると、生まれてこの方「付き合った」という事がない。

女性と話せない訳ではない。

寧ろ話せる方だとは自負しているが、

恋愛など自分には関係ないと割り切って、

割り切る事で、親しくなってきたのだ。

今更いきなり付き合えと言われても、きっと困惑するだけだろう。


とはいっても、いつか運命の人がいるものだと、

どこかで思っていた。

しかし遂にその日は来なかったようだ。

1人寂しく死ぬのか。

そう思うと不思議と涙が出る。

強いて言うなれば、

毎日顔を合わせるあの人と最後を過ごせたら少しは幸せかもしれない、

そういう人は確かにいる。

でも、恋愛とか、そういう系の「好き」じゃない。

「愛してる」とかそういうのは分からないから、

一度もした事はない。

いや、一度もした事がないから分からないのか。


これ以上考えても

「鶏が先か卵が先か」の水掛け論だろう。

夜7時。いつものように電車に乗り、

いつものように家に帰る。

尾崎放哉は言った、咳をしても一人。

まさに今の私か。

いや、人間は何をしても一人なのである。

人間関係というものも

本心からのものではなく虚構のもので、

「最後の日に共に過ごせる人がいる」というのも

逆に皮肉に思えてくるものだ。

人間、本心で話し合うなど出来ないのだ。

たとえ本心で話し合っているように見えても、

実際はどちらかがどちらかに合わせないと成立しない。

「特別なオンリーワン」だらけの世の中に、

本心を共有できるものか。

そう考えると、余計に辛くなってくる。

理解されないと分かっていながらも、

どこかで理解してほしいと思ってしまっている。

人間が一番持つべきじゃないものは、

感情なのかもしれない。


感情があれば喜びがあるじゃないか、と

感情肯定派は言うが、喜びなんてどこにもない。

どうせ先が真っ暗な下り坂を進んでも、

得られるのは転がり落ちていく運動エネルギーだけ。

ならばここでマラソンと同じように、足切りがあっても良いではないか。

そのための隕石なのか。そう思い始めた。

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