1章『消失する鈴原あゆ』第9話

ジャラジャラとした鎖の音が耳につく。

『私』の手足に繋がれた鎖は動くたびに、その不快な音を奏でた。

どこかの廃墟になった建物の一室。

その部屋の窓から唯一見えるのが青く済みきった海。

この場所に幽閉されてから一日が経とうとしていた。

あゆぽんの死体の姿をした白鷺州灰音の罠にハマって捕まって。

あゆぽんを探していた『私』はまんまと白鷺州灰音の用意した砂浜を模した別空間に招かれて、結果、予定調和のように鎖に繋がれている。

常識では考えられないような話だけれど、白鷺州灰音の前では常識なんかは何の役にもたたない。

白鷺州灰音の特性ーーーーそれを何かで言い表すことは多分不可能だ。

それほどまでに彼女は異質で、異常で、どうしても何かに彼女を例えて言うならばーーーー彼女は『世界』そのものだといっても言い。

ようするに、彼女にできないことは無い。

加えて、彼女の性格は破綻している。

何でもできるが故に、自分自身にペナルティーを、足枷をつける。

何でもできる、が、何でも持っている訳ではないが故に、自分に無いものを欲しがるのだ。

今は無くしてしまったけれど、当時『私』は白鷺州灰音の持っていなかった特性を持っていた。

だから、『私』は狙われて、あろうことか好かれてしまった……嫌な方向で。

「彩徒くん。あたしがせっかく用意したのに御飯昨日から食べてないよね~?」

錆び付いて今にも壊れそうな椅子に座った白鷺州灰音はわざとらしく呟いた。

鎖に繋がれていてもギリギリ届く範囲に彼女が用意したであろうおにぎりが2つ並んでいる。

途端。

ぐぅ、と『私』のお腹が鳴った。

目の前にあるおにぎりに対して身体が勝手に反応してしまった。

「……食べたくないよ、そんなおにぎり」

本音を言えば、目の前にあるおにぎりを食べたかった。

昨日から水も食べ物も何も口にしていないし、そろそろ限界が来ているのも薄々感じては来ている。

けれども。

「そんな赤いおにぎり食べたくない……」

『私』の目の前にあるのりに包まれたおにぎりの色は真っ赤なのだ。

御飯を炊くときに何か赤い液体で炊いたみたいに、その色は純粋に真っ赤だった。

……『私』はもうその正体を言われずともわかってた。

……白鷺州灰音の絆創膏と包帯だらけの両手を見れば。

「あたしの愛と命の結晶入りの特別おにぎりの何が不満なのぉ?」

「……不満しかないよ、ばか」

「彩音くん、ヤンデレ路線は好きじゃないかぁ……」

白鷺州灰音。

『私』を『四宮彩音』にした原因。

この世では、好かれても嫌われてもいけない人間。

興味を持たれてはいけない人間。

『色無し』特有の灰色の髪を揺らしながら、玩具を手にいれた幼児のような瞳をしながら白鷺州灰音は『私』を見る。

「ねぇ……どうして」

白鷺州灰音に対して、『私』は疑念を抱いていた。

今まで接点の全くなかったこと。

今は無い特性『着色』で白鷺州灰音を追い払ってからの二年間。

一度も『私』の前に現れずに、今になって現れることに疑問を抱いていた。

……ちなみに、1つだけ、この疑問を解消できる解を『私』は持っている。

それは……

「どうしてずっと『私』に干渉してこなかったの?」

「どうして……って、あたしを封印もどきのことをした張本人に言われても困っちゃうわぁ。そんなに速くあたしに会いたかったのかしら?」

「……そんなわけない」

予想は良い方面で的中する。

今は無い『私』の特性ーー『着色』。

他者の色を塗り替えられる特性。

赤色に塗り替えたなら、気性が荒くなったり。

青色に塗り替えたなら、気分が沈んだり。

黄色にも緑色にもそれぞれの色に適した効能のある、言わば、アロマセラピー的な些細な特性。

その色の中でも他の色と違ってあまりにも逸脱して異質だった色ーー透明。

効能はーー対象者の全てを消し去る事。

生涯使うこともなく使う機会も無いと思っていたその色を、追い詰められた最後に『私』は初めて人間に使った。

その対象者が白鷺州灰音だ。

白鷺州灰音を透明に塗り替えた結果ーー『私』は『四宮彩徒』をもぎ取られて『四宮彩音』にされてしまっていたから、てっきり白鷺州灰音に効いていなかったものかと思っていた。

心の底では、それ以来白鷺州灰音は『私』の目の前には現れなかったから効いていたのならラッキーだな、と思う反面もし透明に塗り替えてしまって消してしまったなら『四宮彩徒』を取り返せないな、なんて思って過ごしてきた。

現時点、目の前にこうして復活してしまった今となってはどうでもいいことだろうけど、白鷺州灰音に対してもわずかながらに対抗手段はあることを再確認する。

と言っても、もうその対抗手段も相手の手の中だ。

「あの特性凄かったのよ?このあたしが約二年間どうにも出来ないなんて。もっとも、今の彩徒くんにはもう出来ないだろうけどね?」

「『四宮彩徒』だけの特性みたいだったから……あれ。今は貴女が持ってるんでしょ?『四宮彩徒』と一緒に」

白鷺州灰音を透明に塗り替えた時に『四宮彩徒』という存在を奪われて、行き場の失った『私』の魂の矛盾を払拭する為に世界が修正されて『私』が『四宮彩音』になったあの日。

奪われた『四宮彩徒』は白鷺州灰音が持っている……筈。

「……うん?確かにあたしは気に入ったもの全部この本に……」

白鷺州灰音の手には瞬間移動してきたかのように、シュンッ、と一冊の辞書のような分厚い本が出現する。

その本には、彼女の気に入ったものから興味を持ったものから何から何まで、無機物も有機物も、彼女が興味を持った人間すらも彼女のコレクションとして収納されている。

彼女にとって、他人なんて自分のコレクションの一部としか思っていないのだ。

何でも出来る人間、いや、もはや人間と言ってもいいかすらわからない白鷺州灰音の唯一の趣味。

ペラペラとページを捲りながら、白鷺州灰音は呟く。

「実は彩徒くんから『四宮彩徒』を引き剥がした時、どっかいっちゃったのよねぇ」

「……え?」

……落とした?

……というより、落とせるものなの?

「彩徒くんが無理矢理あたしを透明に『着色』したんだもの、引き剥がすことだけは出来たけど回収までは出来なかったってことよ。第一、あたしが引き剥がしたのは彩徒くんの魂以外の『四宮彩徒』を形成する存在だから……もしかしたら、案外今頃自我を持ってどこかで生きてるかもね?」

淡々と、白鷺州灰音は事実だけを告げる。

その表情には嘲笑するような笑みを浮かべていた。

「かわいそうに彩徒くん。もうあたしから自分を取り戻せないなんて。……うぅん、もう必要ないよねぇ?彩徒くんには」

座っていた椅子から立って、にやにやとした笑みを浮かべながら白鷺州灰音は『私』に一歩一歩近づいてくる。

それを、『私』は黙って見ているしかなかった。

……というより、思考が追い付いていなくて感情の処理が出来ずに上手く反応できなかっただけかもしれない。

白鷺州灰音は『私』から奪っていったものを持っていない。

その奪われた『四宮彩徒』は自我を持ってどこかで生きているかもしれない。

もしそうならば、その『四宮彩徒』は紛れもない『四宮彩徒』なのは言うまでもない。

その『四宮彩徒』は『四宮彩徒』以外の何者でもない本物だ。

なら……。

『四宮彩徒』の人格を語る『私』は……誰になるのだろう……?

「彩徒くんには……いいえ、今は彩音ちゃんかしらん?」

目の前まで迫った白鷺州灰音は右手で『私』の顎を持ち上げて『私』の顔を強制的に自分の方に向かせた。

目が合う。

永遠に濁っていて何を考えているかわからない、想像もつかない、そんな瞳に直視される。

「こんなに可愛くなっちゃって。もう戻りたくなくなっちゃったんじゃないかしら?こんなに可愛くて愛らしい身体になったことに喜んでいるでしょう?」

……わからない。

「楽しくなっちゃってるんでしょう?今の生活に」

……そうかもしれない。

「髪だって、肌だって、ちゃんと手入れしなくちゃこんなに綺麗にはならないわよ?仕草だって、口調だって、彩音ちゃんって呼んでもいいくらい可愛くなっちゃって……もう、『四宮彩徒』なんて彩徒くんには必用ないわよねぇ?」

必用ない……もしかしたら、『私』はそう断言できるかもしれない。

『私』になって、初めて出来た友達ーーあゆぽんと過ごしてきた日々は、『私』にとってはとても新鮮で楽しかった。

ずっとあゆぽんと仲良しでいたい、って思った。

あゆぽんとずっと一緒に居るって約束をした。

……なんだ。

簡単なことだった。

『私』が元に戻りたいかなんて、その答えを出すことなんて『私』にとっては、今となってしまってはとても単純なことで。

「必用……ない」

気がつけばもう、『私』には『四宮彩徒』に固執する信念も気持ちも無くなってしまっていた。

白鷺州灰音は自分の行いに足枷を付けて暇を潰す。

過去に、『私』が目を付けられた時に白鷺州灰音が付けていた足枷は『四宮彩徒自身から白鷺州灰音に対して心から屈服して自分を捧げること』。

白鷺州灰音のやり方は四宮彩徒の周りを、悲劇的に残酷的に壊すやり方ではなくじんわりと優しく壊していくやり方だった。

あの時には、最後の最後で白鷺州灰音を『着色』して強制的に引き分けに持ち込めた。

そして、自分に戻る必要はないと言ってしまった『私』は自分を捧げてはいないけれども、今ここで四宮彩徒は負けたのだ。

「鈴原あゆ、にそこまで惚れたのかしらね彩徒くんは。妬いちゃうなぁ」

『私』の言葉に満足したように白鷺州灰音はにんまりと笑みを浮かべてあゆぽんの名前を口にする。

「何でも修正してしまう鈴原あゆ。その修正が彩徒くんにも効いた時を利用して彩徒くんを誘き寄せる作戦はこうやって成功したのだから、あたしにとってもあの子はいいように働いたのよね」

「……やっぱり、『私』があゆぽんの修正が効いたのは、貴女のせい……だったの?」

あゆぽんの修正がいきなり効いて、あゆぽんを悲しませて、あゆぽんとの約束を破ってしまったこと。

前々から、頭痛、という前兆はあったけれど、それらは全て白鷺州灰音のせいなのだ。

だから。

白鷺州灰音からの嫌がらせはこれから本当の意味で決着が着くまで続いてしまうかもしれないけれど。

もう『私』はあゆぽんのことをずっと忘れないでいられる。

そう思ってしまった……けれども

「あたしのせいなわけないわよ、アレ。彩徒くんが元々そういった『特性』が効きにくいからずっと修正を抑えていたってだけの話よ。……思っているよりもアレは強力よ?アレにずっと修正されずに居られるのはあたしくらいじゃないかしら?」

信じたくない白鷺州灰音の言葉は『私』の胸に深く突き刺さる。


「鈴原あゆには一生の理解者はできない。だってあたしは理解者になるつもりはないもの」


「鈴原あゆはずっとこれからも永遠に独りぼっち」


「誰からも覚えてもらえず、育んだ友情も、努力した結果も、なにもかもが世界に修正された後の『鈴原あゆ』になって泡に帰すのよ。鈴原あゆの歩いた軌跡は消失する、これは世界の理に等しいものかしらね、どれだけの不幸の元に生まれてきちゃったのかしら」


「もしかしたら、生まれない方が幸せだったかもしれないわぁ」


「残酷で、哀れで、欠陥品……それが、鈴原あゆなの」


白鷺州灰音はつらつらと言葉を繋げる。

一つ一つ、『私』の反応を楽しむように。

『私』は何一つ言い返すことが出来なかった、言い返す資格すら『私』にはないのだ。

白鷺州灰音は嘘をつかない。

だから、『私』は絶対にあゆぽんとの約束は守れない……『私』は彼女と過ごした日々を必ず忘れてしまう、消失させられてしまう。

今回みたいにまた思い出せるとも限らない……もしかしたら、思い出せるのは今回限りだけかもしれないのだ。

『私』は結局そこらにいる人達と同じ、いや、下手に希望を与えてしまった分もっと悪質だったのかもしれない。

胸が締め付ける程に痛い。

ぽつぽつと、床に水滴が落ちる。

気がつけば、『私』の頬を涙が伝っていた。

「……」

嫌だった。

『私』があゆぽんを傷つけてしまうことが。

傷つけてしまう事実は同時に『私』の心も締め付ける……また、大好きな人を傷つけてしまう自分の無力さが嫌になる。

こんなことなら、最初から関わらなければ良かったのかもしれない。

彼女は『色無し』だった。

いつもみたいに、『色無し』には関わらずに彼女を避ければよかったのだ。

あゆぽんが話し掛けてきても避けて、なるべく近寄らないようにして。

そうやって……ずっと……

あゆぽんと一緒に過ごさなければ、どっちだって傷くことはなかった。

あゆぽんは下手に希望を見つけて、忘れられて、傷けられなかった。

『私』は、大好きな人を忘れられずに……好きになることすらなく。

一緒に過ごした日々は失敗だった……なんて……

「いや……だ、……やだよ……」

『私』は本当にわがままだ。

あゆぽんと一緒に過ごさなければ良かった、なんて思いながら、あゆぽんと過ごした日々を否定したくない。

楽しかった思い出を、貶したくない。

あゆぽんと仲良くなれたことを正しいことだったと思いたい。

色んな混雑した思いが身体中を駆け巡って、感情は涙になって流れ出す。

何を思えば、何を感じればいいのか、何をすれは正しいのか。

自問自答を繰り返しては、その度にそれを否定する。

……無力。

……何もできない。

……『私』は、大好きな人を救うことも、側にいることだって出来やしない。


「彩徒くんが願うなら、鈴原あゆを救うことはできるわよ。……正確には、救ってあげることができる、ただし」


白鷺州灰音は告げる。

「彩徒くんには鈴原あゆの断片的な体験をしてもらうことになるけどね。……正確には、断片的な体験をさせる、かしらね」

「あゆぽんの断片的な体験……?」

「えぇ、鈴原あゆのように鈴原あゆみたいに鈴原あゆと同じ痛みの一部を味わってもらうけど?……詳しくは張本人を含めてしようかしら……居るのはわかってるのよ?」

白鷺州灰音はそのまま視線を入り口のドアノブ式のドアに向ける。

途端、ガチャリ、と錆び付いた軋みを感じさせるように開きにくいドアは開けられる。

「彩徒くん……じゃ通じないわよね……ええと、彩音ちゃんを助けに来たんでしょう?」

開かれたドアから2つの人影が室内へと入ってきて

「よくここがわかったわね……あぁ、その子がいれば当たりま「彩音っち!!」ちょっ……!?」

人影の一つの視線が『私』と合った瞬間、それは白鷺州灰音の台詞を遮って走り出して『私』の前方に立っていた白鷺州灰音を突き飛ばして『私』に抱き付いた。

それが誰かなんて言うまでもない。

『私』のよく知ってる人で、『私』の大好きな親友で。

いつも世界から忘れ去られる呪いに、特性に犯されている『色無し』。

鈴原あゆ――あゆぽんだ。

突き飛ばされた白鷺州灰音はまぬけな声を上げて、そのまま前のめりに倒れ込む。

あゆぽんに抱き締められて温もりを感じながら、モロに顔面から倒れ込んだ白鷺州灰音を見る。

まったく受け身をとれなくて、さらに、ノリノリで言っていた台詞を遮られて突き飛ばされて前のめりに倒れ込んだままの白鷺州灰音はとても惨めで……かわいそうだった。

「彩音っち!!よかった……無事でよかったよぉ……」

「あゆぽん……」

ぎゅーっ、と段々に力強くなっていくあゆぽんの力。

あゆぽんの温もりと柔らかさを充分に感じて、今まで白鷺州灰音と2人きりだった空間からやっと抜け出せて……気が緩んで力が抜けた。

随分と久しぶりに彼女の温もりを感じた……誰かが側に居てくれるっていうのは、こんなにも安心できるものだったんだ。

「間に合ったみたいだね、四宮さん。ごめんね、ちょっと探索に時間が掛かっちゃって。……鈴原さんが死んだ、とか四宮さんが言ってたのはそこの人の仕業だったみたいだね。……鎖、とれないや、ごめんね」

もう1つの人影、『私』に一度忘れてしまったあゆぽんを思い出させるきっかけを作ってくれて、そして、あゆぽんの修正から逃れた『私』以外の例外。

堀さんは倒れ込んだままの白鷺州灰音に視線を向けながら、『私』に繋がれている鎖をガチャガチャ弄っていた。

「堀さん……」

「ん?この場所がわかったことに驚いてるてっ顔だね、四宮さん。……前に話したでしょ?久々にいい会話が出来た、って。元々、私も常識の外に居るみたいなものだから。いなくなった四宮さんを見つけるくらいなら私でもわけないよ」

堀さんは得意気に微笑む。

実際、彼女に対して『私』は何一つ知らなくて、味方かどうかは完全にはわからない状況だけれど……ただ1つ言えることは敵じゃないということ、そして、特別な能力みたいなものを持っていると言うこと。

……何を思っているんだろう、『私』は。

あゆぽんを見付けてくれて、『私』を探してくれて……それだけで、堀さんは信じるに値するじゃないか。

「……ありがとう堀さん」

「……まだお礼を言うのは早いよ、四宮さん」

得意気に微笑んでいた堀さんは、途端、視線を白鷺州灰音の元へと向ける。

つられて、『私』も白鷺州(サギシマ)灰音へと視線を向けると……

「うふふふふ…………」

不気味に笑いながら、白鷺州灰音はゆっくりと立ち上がる。

揺れる灰色の長髪が顔に被さって表情が見えないけれど……たぶん、あれは相当怒ってる。

ぐんっ、と頭を振っておおいかぶさった髪を取り払って白鷺州灰音の顔が見えた直後。

ちょうど、あゆぽんが『私』達につられて白鷺州灰音へと視線を向けてしまって、

「ヒッ……!?」

あゆぽんは白鷺州灰音の顔を見て小さな悲鳴を漏らす。

……無理もない。

ついさっき白鷺州灰音はあゆぽんに突き飛ばされて顔面からモロに倒れてしまった、加えて、ここは廃墟のビルとあって、中々に床がでこぼこしているのだ。

……当然、白鷺州灰音の顔面は血だらけになってしまっていて、かなりショッキングな状態になってしまっているわけで……。

「あ、彩音っちはあんな恐ろしいのと何時間もずっと一緒にいたの!?」

「あゆぽん、確かに白鷺州は恐ろしいけど、あそこまで恐ろしくしたのはあゆぽんなんだよ……」

「えっ!?わ、私っ!?私が何かしたの!?」

「あゆぽんがさっき突き飛ばして……顔面からモロに倒れちゃって……」

「おぅ…………そういえば彩音っちに駆け寄るときに何かに当たった気がしたけど……」

どうやらあゆぽんは白鷺州灰音自体、眼中に入ってなかったみたいで。

白鷺州灰音を突き飛ばしたことを思い出したのか、あゆぽんは恐怖の表情から一変、気まずそうに白鷺州灰音を見る目が変わる。

あゆぽんに哀れみにも似た視線を向けられる白鷺州灰音は

「ひどいじゃないの……」

呟いて。

瞬間、彼女の顔の傷は無くなった。

初めから怪我をしていなかったように、あれだけ血まみれだった顔は、傷1つなく綺麗になっていた。

……これが白鷺州灰音の特性……の内の1つ。

『何でもできる』……一口に言ってしまうならばそれでも充分に言い表すことができる。

が。

より正確に白鷺州灰音といった人物を表すなら、彼女は、『特性』と言われるものをいくつも持っている、と言った方が正しいかもしれない。

『あたしはやれることをしているだけよ。やらないことは出来ないことよ』

以前、彼女はそう言っていた。

彼女は本当に規格外の化け物だ。

「ひどいじゃない……台詞の途中で遮られて突き飛ばされるなんて……以前の彩徒くんのお友達より失礼じゃない……もういいわ」

続けざまに白鷺州灰音は呟いて、キッ、とあゆぽんを睨み付ける。

ビクッ、と震えるあゆぽんを庇うように、鎖に繋がれていて動きの取れない『私』に代わって、堀さんがあゆぽんの前へと出た。

「ねぇ、あんたが誰だか知らないし、四宮さんとの因縁とかも私は知らないんだけど……そんなの知らないし関係ないからこそ言えるんだけど、四宮さんのこと返してもらっていいかな?」

堀さんは高圧的に明らかな敵意を向けて白鷺州灰音に話しかけて……

「……は?」

対する白鷺州灰音は見るからに不愉快な表情を浮かべる。

ゾクッ、と背筋に冷たいものが伝うのがわかる。

それは『私』だけでなく、どうやら堀さんも同じようでついさっきの高圧的な態度とは変わって、冷や汗が彼女の頬を伝う。

彼女も今理解したのだろう……白鷺州灰音の規格外さに。

白鷺州灰音が近づくのを堀さんは一歩も、指すらも動かせず、ただ近づくのを黙ってみているしかなくて……白鷺州灰音が堀さんに何かを耳打ちして……

「なんで……それを?あんたは……?」

「……あの子には、あたしも随分とお世話になっているのよ。それより、あなたがあたしを知らないのが驚いたわねぇ」

途端、サーっ、と堀さんの表情が青くなって、

「身の程をわきまえなさいな。下位互換は黙って立ってなさい、堀迷彩」

白鷺州灰音のその言葉で堀さんは脱力したように呟いた。

「ごめん、四宮さん、鈴原さん。私が助けてあげられるのはここまで……みたいだね。私にはもう何もできないや」

「あ、謝る必要なんてないよほりりん!!ここまでこれたのだっ「じゃあ始めましょうか、彩徒くん?鈴原あゆ!!」……」

恐らくは、あゆぽんは堀さんを励まそうとしたのだろう。

けれども、その言葉は白鷺州灰音の言葉で遮られたて塗りつぶされて。

「ね?台詞を途中で遮られるのって中々にムカムカするわよねぇ?鈴原あゆ?」

やり返してやった、と言わんばかりに白鷺州灰音は意地の悪い笑みを浮かべて、続けて彼女はいうのだ。

「鈴原あゆ。あなたの呪いをあたしが解いてあげるわ。誰の記憶にも残らない、世界から孤立して独りぼっちになってしまう悲しい悲しい呪いをね」

けどね、と白鷺州灰音は続ける。

「同時にあなたには失ってもらおうかしら……呪いがいらないって言うのなら、呪いの最中にできた友達もいらないわよね?……もうわかったかしら?あなたが愛しそうに抱いてるその女の子との記憶も、当然、いらないわよねぇ?」

「な、なに……それ、そんなの……」

狼狽えるあゆぽんは睨み付けるように白鷺州灰音へと視線を向ける。

一度、呪いを解く、と白鷺州灰音に言われたあゆぽんは一瞬だけ期待を抱いたような表情に変わったけれど、続けざまに白鷺州(サギシマ)灰音の吐いた言葉を聞いてその表情を敵意のあるものに変える。

「……何か問題があるかしら?」

「おおありだよ!!」

あゆぽんはそのまま白鷺州灰音に敵対するように距離を詰めて相対する。

「あなたがどんな人なのかどんな不思議な力を持つのか私は知らないけど、どうして私が彩音っちとの思い出まで失わなくちゃならないの!!」

拳を握りしめてあゆぽんは叫ぶ。

「……鈴原あゆは確か、その呪いを嫌っていた筈よね?」

「そう……だけど……」

「なら、その呪いの過程で生まれた副作用とも言える人間関係にどうして固執するのかしら?」

「副作用なんて……そんな言い方しないでよっ!!私は彩音っちと友達になりたくてなったの、この呪いみたいなのは彩音っちと私との間には何も関係ない!!」

「……四宮彩音と鈴原あゆとの仲が良好になったのは、呪いのおかげでしょう?」

「違う、私は彩音っちと仲良くなりたくてなったの」

「それこそ違うわよ」

ピシャリ、と白鷺州灰音は言葉を告げる。

あゆぽんを突き放すように、あゆぽんの言葉をバカにするように、口角を上げる。

「四宮彩音と仲良くなれたのは、呪いのおかげじゃない。四宮彩音が鈴原あゆの呪いを受けなかった例外だからこそ、鈴原あゆは彼女に興味を持ったんでしょう?」

「っ……」

何かを言い返そうとして、けれども、あゆぽんの出かかった言葉は声になることはなく止まる。

「つまり、四宮彩音が例外を受けなかったなら、鈴原あゆは興味を持つこともなく、その他のくくりにされるような有象無象の1つだったということでしょう?」

「……ちがう」

「あら?じゃあなに?鈴原あゆは例え四宮彩音が呪いの例外ではなかったとしても、あなたは彼女に興味を持ったのかしら?」

「……そう「嘘でしょう?そんな筈はないわ。あなたは四宮彩音が例外じゃなければ決して興味を持つことはないでしょう?」」

「鈴原あゆは誰でもよかったのよ。それこそ、どんな人でも、どこにいる誰でも。自分の呪いを受けない例外なら、でしょう?調子が良いわねぇ?そんな誰でもいいけどたまたま四宮彩音に当たっただけなのに、特別扱い?呪いがあったからこそ築けた関係なのに、その呪いがいらなくて、その呪いを取り除こうとしたら、その関係だけは維持したい?調子良すぎるわね、鈴原あゆ」

「っ………」

あゆぽんの力の無くなった言葉を白鷺州灰音は途中で遮った。

聞かなくてもわかる、聞く必要もない、と言いたげに。

白鷺州灰音は口角をつり上げたまま悠然と勝ち誇ったように、弱いものを苛めるように、笑みを浮かべていて。

対するあゆぽんは、『私』からはあゆぽんの背中からしか見えていないから表情はわからない、けど、その体は小刻みに震えていた。

……白鷺州灰音とあゆぽんが交わした言葉を聞いて、『私』はずっと思い続けていた。

確かに、『私』があゆぽんの呪いとも言える特性の例外になれなければ、『私』はあゆぽんと関わりを持つことはほとんど持つことはなかっただろう。

いや、むしろ、『私』とあゆぽんの呪いの特性の無い環境下での関係は、テンプレートあゆぽんとテンプレートな『私』とで決まってしまっているのだ。

それは、世界が修正して世界が望んだ結果での事実。

ならば、『私』とあゆぽんの今ある関係は呪いの特性がもたらした副作用と言えるだろう。

そうだね。

……だから?

『私』がたまたま、あゆぽんの例外になったから、あゆぽんが『私』に興味を持って良好な関係を築けた。

『私』があゆぽんと仲良くなれたのはたまたまだった、だから、あゆぽんがそのたまたまの関係で紡がれた思い出を手放すことを拒否することが調子が良い……?

「……そんなことない。あゆぽんは何もおかしくなんてない」

『私』は自然に口が開いて言葉を口にする。

白鷺州灰音は、『私』とあゆぽんとの出会いを、関係を、思い出を偶然のものだといい。

その偶然にすがるあゆぽんを調子が良いと言った。

「確かに、『私』とあゆぽんが出会って関係を築いたのは偶然かもしれない」

世界から孤立して消失されてしまう少女の唯一無二の例外になれたからこそ『私』はずっと彼女の側にいたのだ。

それは、偶然だ。

たまたま『私』があゆぽんの特性に耐性を持っていて記憶が維持できたからこそ、『私』はあゆぽんと一緒にいられた。

偶然。

だからどうしたというのだ。

「……人と人とが知り合ったり出会ったりするのは偶然だから。今日誰と会うとか明日誰と知り合うとか、そんな算段的に生きてる人間なんていない」

だから。

「『私』とあゆぽんが出会えたのは偶然だよ。でも、『私』とあゆぽんが仲良しでいられたのは偶然なんかじゃない。……大事なのは、出会えた、知り合えた結果じゃなくて、出会って知り合ってからどう過ごせたかの方が重要、だから」

嫌いな人だったのなら、仲良くなろうとはしない。

嫌われてしまったのなら、仲良くなることなんてできない。

どうして出会えたかなんて、きっかけはなんだったかなんて、そんなことはあまりにもどうでもよいことで。

同じ電車に居て気になったから話しかけよう。

同じ本を見てるから話しかけよう。

あの子は一人だから話しかけよう。

人と人が出会うきっかけなんて、特定の誰かが決められているなんてことはないわけで。

気が合えば仲良くなるし、合わなければ仲良くなれない。

論理が破綻しているかもしれないけれど、『私』自身この気持ちをどう伝えたらいいのかも、言葉にしたらいいのかもわからないけれど。

「今だから言えるし、今しか言えないことだけど…………『私』とあゆぽんとの関係は、思い出は、偶然なんかじゃなくて必然だ。白鷺州に否定されるいわれなんてない!!」

白鷺州灰音と目が合う。

何もかもを吸い込んでしまうような虚空に浮かぶ灰色の瞳を、『私』は反らさずにずっと睨け続けた。

そして。

何を考えているかわからない表情で、瞳で、『私』を意識の一部にとどめながら、白鷺州灰音は呟くのだ。

「その必然とやらを彩徒くんに壊してもらうのだけれどね?」

瞬間、刹那、……その言葉で表すことに違和感を覚えるような現象。

気付けば、いや、気づくよりも先にあゆぽんが視界に入っていたかもしれない。

さっき『私』がそうだったように、ついさっき、以前まで、瞬きをする前まで『私』がいた場所に、『私』とまったく同じように手足に鎖のついた輪を嵌められたあゆぽんがいた。

端的に言うならば、『私』とあゆぽんの立ち居ちが入れ替わっていた。

「……え?え?な、なんて彩音っちが私の前に立って……って、え?なんで私が鎖に繋がれて?……」

自分に起きた現象に理解の追い付いていないあゆぽんは狼狽えて

「……白鷺州。どういうこと?」

対して、誰が起こしたのかも、どうやって起こしたのかなんてことを考えることができないような人智の及ばない現象だとしっていて冷静だった『私』に白鷺州灰音は耳元で二言囁くのだ。

あゆぽんに聞こえるように。

「彩音ちゃんが鈴原あゆを抱き締めたら鈴原あゆの呪いが解けて、彩音ちゃんとの思い出も封じ込めるように設定したわ。……抱き締めれば、鈴原あゆは彩音ちゃんに出会わなかったことになって、いきなり呪いが消えた、と、そんな認識になるわ。テンプレートに侵食されたりなんかしない、彩音ちゃんが知っていて、かつ、彩音ちゃんのことを知らない鈴原あゆになるわ」

続けて。

『私』だけに聞こえるように。

「……ちなみに、彩徒くんは次の修正には耐えることは出来ないと断言するわぁ。今度こそ、彩徒くんは修正されて、彩徒くんの中に微かに残ってる『四宮彩徒』も完璧に『四宮彩音』に修正されて、鈴原あゆのことを思い出すことを未来永劫失って……鈴原あゆは今度こそ独りぼっちになるのよ。……選びなさい、四宮彩徒」

「……彼女を抱き締めて彼女との想い出を全部無かったことにして彼女をとっても悲しくて辛い呪いから助け出してあげるのか。……抱き締めることを、忘れられることを拒絶して、また彼女を永遠の独りぼっちの牢獄に閉じ込めるのか……彩徒くんはどっちを選ぶのかしらね?」

白鷺州灰音はいつもこうなのだ。

彼女はいつも人に選択を委ねるのだ。

自分は手を下さない。

最後は、いつだって標的にした人自身の手で理不尽な選択を選ばせて。

その人自身に大切なものを壊させて。

また、その人の大切な人に、壊させて。

内からじわじわと、生きることを諦めたくなる程に、その人の心を壊していく。

以前、『私』が大好きだった女の子を傷つけた時のように。

以前、『私』が尊敬していた女の子を誤った道に進まされた時のように。

以前、『私』が最も信頼していた親友を裏切らせたように。

そしてまた、今回も、『私』は理不尽な選択を迫られる。


あゆぽんは、近づいて来る『私』に対して泣き叫んで抵抗した。

来ないで、と拒絶された。

忘れたくない、と喚かれた。

けれども、『私』は構わず歩を進めた。

……『私』に選択の余地など残されていないのだ。

前者なら、あゆぽんは『私』との記憶を、関係を忘れるだけで、ずっと苦しめられてきた全てを修正してしまう『特性』から解放されて。

後者なら、『私』はあゆぽんを忘れ続けて、あゆぽんを永遠の独りぼっちの牢獄に閉じ込めて。

白鷺州灰音が言った、『私』があゆぽんとの記憶を忘れてしまう、というそれが真実であろうがなかろうが……前者なら、必ず幸せになれるから。

もし、白鷺州灰音の言ったことが真実だったら、取り返しがつかないから。

思い出を、記憶を、関係を忘れられて傷つくのは『私』だけでいいから。

……だから、『私』は。

あゆぽんの悲痛な泣き顔はきっと生涯『私』の心に残り続けるだろう。

大好きな人を傷つけた事実は深く『私』の心に刺さる。

許されないことをした。

許さなくていい。

あゆぽんが幸せになれるなら、それでいい。

泣き叫ぶ彼女を抱き締めて、『私』は彼女の耳元で呟くのだ。

ずっと思っていた想いを。

これからも思い続ける想いを。

「『私』はあゆぽんが大好きだよ」

今日この日。

他ならぬ『私』だけに向けてくれる大好きな人の大好きな笑顔は…………『私』のもとから消失した。

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