1章『消失する鈴原あゆ』第8話
若干に涼しい夏の始まりの節目の朝。
いつもの通学路を私、四宮彩音は歩く。
随分と平凡で、当たり前の人生を送ってきた私は、ただ、1つのことにずっと悩んでいた。
歩を進めるのが億劫だし、できれば学校に行きたくない。
でも、学校に行かないなんて言い出したらお父さんとお母さんが心配してしまう。
余計な心配をさせてしまいたくないし、負担をかけたくないから私は今まで我慢してきたし、これからも我慢しなくちゃいけない。
また今日も痛い思いをしなくちゃいけない……なんて考えると、1日が嫌になってしまう。
殴られて蹴られて、そんなこと、実際に体験するまではフィクションの世界の出来事だと思ってたけど、実際に体験して、現実にもあり得ることなんだな……ってわかってしまった。
私は、実は男の子だったみたいで、その時に不思議な体験をしてきた……とか、存在がリセットされてしまう女の子の唯一の例外になれたりだとか……そんな夢なら見た気がする。
けれども、全部現実じゃない夢であり妄想であり。
今の私の人生から逃げたいばかりに造り出した現実逃避の幻想なんだろう。
私は産まれたときから女の筈だ。
今の現実が辛いから妄想に、設定に潜り込もうとしてる……自分には不思議な力があったり、魔法少女みたいなのに変身して悪と戦う可愛い正義の味方とか錯覚してる痛い時期の思春期の至り。
「……ばかみたい」
私は私で四宮彩音。
いじめられっ子で暗くて地味で思ってることを上手く伝えられない、内気な女の子。
こんな私だから……鈴原あゆのイジメの、憂さ晴らしの対象にされちゃうんだ。
鈴原あゆ……彼女は一見優等生で通っているけれど……実のところ、鈴原あゆ程性格が悪い。
毎日嫌がらせをさせられるし、殴られたり蹴られたり、色んなイジメを二年生になってクラスが同じになってからずっと受けてる。
彼女が仲が良いグループに目をつけられて、私の生活は変わってしまった。
達の悪いことに、皆の死角で私に嫌がらせするものだからクラス内ではばれてるけど、他のクラスの人達や距離の遠い人たちから見たら仲が良いと思われる始末。
「きっと、私は変われないのかな……ずっとこのまま……」
憂鬱な暗い気分になりながら歩を進める。
昨日は何をしていたんだっけ?……誰かと遊園地
に行ってた……のは夢だっけ?……あぁ、下手に外に出て鈴原あゆに会いたくないからずっと部屋に居たんだ。
思考して、集中して。
「おはよーっ!!今日はいい天気だね彩音っち。」
後ろから声を掛けられて、視界に入った人物は。
大嫌いで憎くて死んでしまえと思うくらい大嫌いで、大嫌いで、大嫌いで。
ずっとできることなら永遠に会いたくない相手。
「今日は初めてこっちから来てみたんだよ、そしたら彩音っち見つけて……明日からこっちの道で来よっかな?そしたら彩音っちと朝からお喋りできるし。彩音っちはいつもこの時間なの?」
いつもとは違った、いつもとは別の、いつもとは異種の、絶対に生涯私に向けることのないような親しみのある笑みを浮かべながらに話す鈴原あゆだった。
「…………え」
私は絶句する。
おかしい、こんな鈴原あゆは見たことないし見たくもなかったし。
「ん?どうしたの彩音っち?私が居たのがそんなにビックリしちゃった?」
親しい友人に話すように、優しい声で心配するように呟く鈴原あゆ。
……誰?この人。
私の知ってる鈴原あゆはもっと私に対してはごみに向けるような視線を向けて、もっと嫌な気分になる表情をするのに……。
「な、なんのつもり……ですか。鈴原さん」
さん付けにしないと、敬語にしないと殴られる、蹴られる。
声がいつもの彼女に対する情景反射の恐怖で震えてしまう。
「…………え?」
同時に、鈴原あゆの笑顔も凍り付いて、目に見える程にサーっと血の気が引いた。
「彩音っち……だよね?」
鈴原あゆは震えた声で私に呟いた。
「そう……ですけど。彩音っちって……その……なんです?い、いつもと……その……」
鈴原あゆは私のことをフルネームか苗字でしか呼ばない。
「彩音っち。昨日の遊園地覚えてるよね?」
「私……昨日はずっと家に……」
「あ、彩音っち……私、大抵の冗談は許せるけど……ちょっとそれは限度を越えて……」
「……冗談って……?」
「…………うそ……だよね?」
鈴原あゆがそう呟いて、途端、ガシッ、と肩を強く捕んで
「嘘だよね?嘘だよね!?彩音っち!!」
鈴原あゆは叫んだ
ギリギリと肩を掴む手に力が籠ってきて段々と痛みは増してくる。
「彩音っちは忘れないって言ってくれたよね!?彩音っちは私とずっと一緒に居てくれるって言ってくれたよね!?彩音っち!!ほら、彩音っち、こんな冗談はやめて……ね?だだ私をからかってるだけなんだよ……ね?」
その問いに、私は何が起こっているのかもわからずに、何も答えることができなかった。
私の態度で、何かに合点がいったのか、鈴原あゆが肩を握り締める手も次第に力を弱まって。
「……やだ、やだ、やだやだやだやだ。なんで……なんで……ずっと忘れないって……やだやだよやだやだやだ。私もう一人ぼっちになんてなりたくない……やっと見つけたのに、やっと友達になれたのに……これからもっと楽しくなる筈だったのに……過去も未来も……私には……なにも、なくなっちゃった……」
その場に力なく座り込んで大粒の涙が鈴原あゆの頬を伝って、途端、周りの目を気にすることもせずに大声で泣き出した。
「……」
私は踵を返して鈴原あゆを放置して歩を進めた。
今の鈴原あゆは明らかにおかしいし、そのおかしい鈴原あゆに付き合ってやる義理など私にはない。
けれど、何故だか。
……鈴原あゆの悲しんだ顔を、号泣した顔を見て、とても胸の奥が痛くなった。
-------------------
その日、お昼が過ぎても鈴原あゆは学校には姿を現すことはなかった。
鈴原あゆは表向きは優等生で通っているから、先生は鈴原あゆの無断欠席に訝しげな様子だった。
実際、私としてはむしろいない方がありがたいし、鈴原あゆのことなんかどうでもいいけど。
けど、だけれど。
言い表せない心の奥底のもやもやした感情を拭いきれない。
目を瞑れば、悲しみに打ちのめされたような表情の今朝の鈴原あゆの顔が浮かぶ。
その度に胸の奥がちくりと痛む。
「……わかんない」
その違和感を私は特定することはできなかったし。
他に変わった点と言えば、堀さんとやたらと目が合うということだけ。
……堀さんに何かしたっけ?
私の記憶の中で堀さんに何かした覚えはないし、というより、普段は鈴原あゆのとりまきに監視っぽいことをされているせいで私に誰も近寄らないのもあるし。
私に関われば鈴原あゆの次なるターゲットにされるかもしれないのだから、私のことを気にかけてくれるお人好しなんてこのクラスにはいない。
誰しも自分が可愛いのは当然だから、私は他の人のことを酷いとは思っても逆恨みはしない。
抵抗できるだけの力を持ってない私が悪いのだ。
「移動教室……教科書はちゃんとある」
お昼休みも終わって午後の授業が始まるまでもう少し。
もう他の人は移動教室先に既に移動しているようで、教室内にはもう私しか残っていなかった。
いつもなら隠されて見つからない教科書も、鈴原あゆがいないだけで隠されることはない。
実際、鈴原あゆの取り巻きも鈴原あゆが言わなければ私を積極的にいじめたりはしない、むしろ、無干渉無関心、ようするに、私など眼中にないのだ。
何故だかは知らないけど、鈴原あゆに嫌われるのを恐れて鈴原あゆの取り巻き達は鈴原あゆと一緒になっていじめるだけで、鈴原あゆがいなければいじめは起きない。
鈴原あゆが執拗に私を嫌ってる……ただ、それだけのことなのだ。
教科書と筆記用具入れを持って、時計を見て、後数分で授業が始まる……遅刻するのは忍びないしめんどくさい。
若干小走りで教室のドアに向かって、途端、ちらっと筆記用具入れの口が空いているのに気がついて、小走りしながら閉めようとして……。
「あ……」
途端、足が絡まって、文字通り、べちゃぁ、と転んでしまう。
口が開いた筆記用具入れは案の定中身をバラバラぶちまけて、四方八方に散らばってしまった。
「……なんでよぉ……」
どうしてこうも自分は不幸なのか。
刻々と迫る授業開始の時間、嘆く時間もないけれど、嘆かずにはいられない。
鈴原あゆなんかに目を付けられなければ……こんなとき、転んだ私を心配して一緒に散らばってしまった筆記用具を拾ってくれる友達がいるのかな……?
考えて、悲しくなって、だから、考えるのをやめる。
泣きたくなるのも耐えて。
転んだ状態からなんとか起き上がって
「……すりむいてる」
膝を擦りむいて、ひりひり痛いことに落胆して……散らばってしまった筆記用具を拾い集めようとした……刹那。
「なにやってんの?四宮さん。大丈夫?」
声が聞こえて。
顔を上げて視線を向けたその先には。
「堀……さん?」
「残念、鈴原さんじゃないよ………って……あぁ、転んじゃって中身ぶちまけちゃったんだ。災難だったね」
堀さんが立っていて……なんだか、これに似た光景をどこかで体験したような……そんな気がしてしまった。
「結構バラバラになっちゃってるね……どれだけダイナミックにぶちまけたのさ四宮さん」
目の前の悲惨な惨状を視界に捉えながらに苦笑いをして呟く堀さん。
「……その……」
中々にフレンドリーに話し掛けてくる堀さんに私は困惑していた。
元々人見知りなくせもあるし、長い間鈴原あゆ達としか会話……と呼べるかどうかわからないけど言葉を交わしたのは鈴原あゆ達くらいがほとんどで、普通の会話というものに麻痺してしまっていた。
「……?」
堀さんはそんな私の挙動を不思議に思ったのか首をかしげて、そのまましゃがんで散らばってしまった筆記用具の中から消ゴムを拾って私に手渡してくれた。
「とりあえず、拾わないとね四宮さん」
「……ありがと」
「うん、どういたしまして」
親切にされたのが嬉しくて、少し涙ぐんでしまう。
もしかしたら。
堀さんは私と仲良くしてくれようとしているのかもしれない……そんな思考に行き当たって、それはとっても嬉しくって、幸せな気持ちになれた。
女子というのはグループを作るのが好きで、自分が所属しているグループはそのまま自分が学校を生活していく上でのステータスになる。
堀さん、彼女が所属しているグループはクラスでも鈴原あゆと同等のステータスの位置に位置しているから……もし、堀さんが仲良くしてくれて私をそこにいれてくれたのなら……いまのこんな境遇から抜け出せるのかな……?
……ある程度、散らばってしまった筆記用具を拾い集めて、
「……ん、四宮さん」
途端、堀さんが私の名前を呼ぶ。
「その座り方パンツ見えてるよ」
「……ど、同姓同士だし……別に」
「いや、わたし男の娘だよ?」
「……うそ!?」
「嘘だよ四宮さん。私は女の子」
「……だよね」
今のは堀さんなりの場を和ませようとしてくれた冗談なのかな……?
堀さんは唐突に呟いて、机の済みまで飛んでしまっていたボールペンを拾う。
どうやらそのボールペンが最後の1つのようで、視線を周囲に泳がして他に何も落ちていないことを確認する。
「……あれ?」
視線を堀さんの持っているボールペンに戻して、そのボールペンを見て、途端不思議な違和感を感じた。
そこそこ地元では有名な遊園地のラビッツ君特性のペアルックボールペン……あんなの私は持ってたっけ?
けれども、それは確かに私のだ……私の所有物の筈なのだ……でも、私にはそれを手に入れた記憶も入手経路も覚えていない。
……あれって……どこで……。
「四宮さん」
ふと感じてしまった言い難い違和感のために深く思考の奥に陥りそうになっていたところを堀さんの言葉で引き戻される。
「なに?堀さん」
応えて。
「あっ……鳴っちゃった」
授業開始のチャイムが鳴り響く。
「ん?四宮さんはこれを狙っていたんじゃないの?」
「……え?」
狙う?
堀さんの言葉に軽く混乱する。
「狙うって……?」
「私と2人きりになれるところをだよ、四宮さん。普段だと鈴原さんの仲好しグループが四宮さんを囲んでて2人きりになれないけど、こうやって授業中に会っちゃえばなんの妨害もないからね。……まさか四宮さんがこんな大胆な方法で私を試すなんて思わなかったよ、授業開始が迫っても全然来ない四宮さんに気づかなかったら、私は仲間にいれてもらえるチャンスを潰してるところだったね。ギリギリセーフだよね?四宮さん」
「……え?……え……と」
堀さんの言葉を何一つ理解できなかった。
私が堀さんと2人きりになるのを狙う?
なにそれ、何が起きてそうなったの?
仲間に入れるとか、ギリギリセーフとか、私には何もわからなくて、ただどう返事を返せばよいかおろおろしてしまうだけだった。
「もう四宮さん、とぼけなくっていいって。私はちゃんと四宮さんに言われた通りに昨日のことを覚えてるよ」
堀さんは若干呆れ気味の口調で呟いた。
「……?」
とぼける……と言われても私には何がなんだかわからない。
堀さんが何を言っているのかも、何を言いたいのかも。
「え……と、もしかして四宮さん。本気で私の言ってることわかんない?」
「……はい」
私の態度に何となく事情を察する事ができたのか、堀さんは苦笑いしながら私に呟いて、私は頷いた。
「……いつもの四宮さん?」
「いつもの……と言われても、私は私だけど……」
「ちょっと聞くけどさ、昨日はどこにいた?」
「家……だけど 」
「遊園地には」
「行ってない……」
「そんな……」
堀さんはラビッツ君のペアルックボールペンを握り締めながら、ふらふらと脱力したようにすぐそばの机に腰を下ろす。
堀さんの表情には脱力感、がっかりした感じそのものが出ていて。
例えるなら、猫が自分の餌だと思い込んでた缶を開けると中身は全く自分が食べられる物じゃなかった時みたいな猫の表情。
ラビッツ君のペアルックボールペン返してくれないのかな……?
私は尚も握り締められたラビッツ君のペアルックボールペンに目を移しつつ、そのボールペンの入手経路を考えて……。
「……遊園地」
私が昨日遊園地に居たかどうか……思い出してみれば、今朝のおかしかった鈴原あゆにもそんなことを聞かれた気が……。
『ここは私にとっての特別な場所なんだよ、彩音っち』
「ッ!?」
ズキっ、と一瞬頭痛がして、何かの断片を私は思い出した。
鈴原あゆの顔で声で、どこかの砂浜で私に心優しく微笑む鈴原あゆ。
……なに、これ。
「何か思い出した?四宮さん」
「……今朝、鈴原あゆにも遊園地がどうとか言われて……」
「……それって鈴原さんは昨日の鈴原さんってことかな……。そういえば鈴原さん今日いないけと、四宮さんは何か知って……って、大丈夫?」
気付けば、私の身体からは大量の汗が流れ出てて呼吸が苦しくて、座り込んでしまっていた。
さっき思い出した断片。
憎かった鈴原あゆが愛しく感じる断片。
思い出そうとすると続けざまに頭痛がして、まるで、思い出すことを世界が拒絶しているかのように、身体のあちこちに異変が出てくる。
異常な発汗で目眩がして、胸を形容できない何かが圧迫して呼吸が充分に出来なくて。
「頭痛ごときが……じゃま……しないで」
絶対に忘れてはいけない何かを取り戻したくて、失ってしまった何かを取り戻したくて。
それが何なのかわからなくても。
それは私にとっては欠けてはならないものて、大切な存在で。
大好きな人で。
「……ッ!!ぁ……」
鈍器を降り下ろされたかのような世界をも歪ませる衝撃が私の頭を襲う。
視界がぐらついて、意識が薄れて、前のめりに倒れそうになって……
「四宮さん、思い出して。辛いと思うけど、ここで頑張らないと。……私みたいにきっと後悔するから」
堀さんに抱き止められる。
「堀さん……」
少しだけ痛みが和らいで、堀さんが私の肩を握って、ぐいっ、と自分の身体から離した。
揺らぐ視界には堀さん顔が見えて。
「四宮さんには私みたいになってほしくないからさ……後悔して欲しくない。きっとここが別れ道だから……」
堀さんは呟いて、さっきから握っていたペアルックボールペンを私の手に握らせる。
「案外、単純なもんなんだよ、ハッピーエンドにできるかバッドエンドになるかなんて。ほんのわずかなきっかけに気づくか気づかないかの違いなんだから」
私は握り締めさせられたボールペンに視線を向ける。
「四宮さん。きっとこれが四宮さんの探していた記憶なんじゃないかな? 」
瞳から涙が伝う。
その涙は止まる気配なんかなくて。
「あ………ぁ……」
歪む視界の中のボールペンのある一部分。
そこに貼られたシールには、私と優しく微笑んだ鈴原あゆが写っていて。
頭の中にこれまで溜まっていたものが一斉に溢れでて。
「あゆ……ぽん……」
『私』は修正されてしまった全てを思い出す。
---------------------
「っ……………」
『私』、四宮彩音は太陽が沈みはじめる頃、あの特別な砂浜に行くために走っていた。
なんとなくだけど、確証もないけれど。
あゆぽんはあそこに居る気がした。
あゆぽんが唯一心を許した場所……あゆぽんが初めて友達を連れていってくれた場所ッ。
もう朝にあゆぽんと別れてから大分時間が経っていたし、『私』があゆぽんを思い出したのが昼過ぎだったから、どこへ往くにも探すにしても時間が足りなかった。
あゆぽんはあの砂浜で、もし『私』がいなければ死んでいたかもしれない、と言っていた。
それを思い出して、恐怖が身を襲う。
幸い、堀さんも一緒に探してくれるということなので、もし堀さんの方であゆぽんを見つけたら携帯に連絡が来る筈なのだけど……。
「……こない」
手に握った携帯を見ても鳴る気配はない。
……やっぱり、あそこにいるんだ。
走る速度を上げる。
この身体で走るのなんて久しぶりで、脇腹は痛くなるし呼吸も続かなくて苦しくなる。
でも。
あゆぽんはもっと苦しかった、悲しかった、辛かった。
「全部……『私』のせいだ」
忘れないと誓った約束を破り、あゆぽんを忘れて。
『私』は最低だ。
だからこそ、早くあゆぽんに会いたい。
一度忘れてしまった『私』なんかには会いたくないと思われてるかもしれないし、嫌われたかもしれない。
けど、これは『私』のわがままで身勝手な感情……もう一度、隣に居ることを許されたのなら、今度こそは『私』は忘れない。
絶対に。
「は……っ……うぇ……けほっ……つい……た……」
学校から駅をいくつか越えて、その駅から全速力で走って合計3時間ほど掛かってしまった。
昨日『私』とあゆぽんが行った遊園地のさらに行った場所なのだからその距離も頷ける。
砂浜に着いて、辺りを見舞わす。
だけど、砂浜全体を見る限りあゆぽんらしき影はない。
「…………なに……あれ」
あゆぽんらしき影はない。
けれども、砂浜にはある一点に群がるたくさんの人の影があった。
その中心に何があるのかは『私』の場所からじゃ見ることはできなかった。
『おいっ。誰かが溺れてたみたいだぜ』
『あそこにいるのがそうなのか?大分人がいるけど』
『私』の横を二人の青年が通り抜けてたくさんの人が群がるある一点へと走っていく。。
ドクン、と心臓がはねあがって、頭の中が白の絵の具で塗り潰されたように真っ白になる。
……今、『私』は何を考えた?
何を思って頭が真っ白になった?
一歩ずつ歩を進める。
何も考えることができなかった。
きっと考えてしまったらその通りになってしまうんじゃないかと怖かったから。
『死んじゃってるの?』
『あぁ、見つけた時にはもう間に合わなかったみたいだよ』
『可愛そうにまだ若いのに』
『なんでも自殺みたいだったそうよ、拐われるような波が来るような場所でもないし、服を着たまま海に入っていったらしくて……』
近づくにつれて、聞きたくもない声が聞こえてくる。
聞こえない聞こえない聞こえない聞こえない。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
聞きたくない聞きたくない聞きたくない聞きたくない。
『学生さん?制服を着ているようだし』
『可愛い女の子なのに』
『残念だけど手遅れだったみたいだな』
『あれ?この溺れちゃってた子の制服……さっきすれ違った子と同じじゃ……』
意味のわからないことを言う人達を掻き分けて、『私』は集まっていた中心に出る。
皆、頭がおかしいんじゃないかと言ってやりたかった。
『私』と制服が同じ子が溺れていた……?
ありえないありえないあり得るはずがない。
「あ……」
『私』は中心で横たわっている溺れて死んじゃった、溺れて自殺してしまった人を見て………………。
『私』は間に合わなかったのだ
電話帳の中から堀さんの電話番号を選んで通信ボタンを押した。
「……堀さん?…………あゆぽん、死んじゃった……」
『…………………えっと、何言ってるの四宮さん?私今ちょうど鈴原さん見つけて四宮さんに電話しようと思ってたところなんだけど……』
「…………あゆぽん……いるの?」
『いるよ。ちゃんと四宮さんのことを彩音っちって呼んでる鈴原さん。って、それよりさっきの言葉の意味は何?』
……堀さんの言葉に思考が飛んで、再度真っ白になった。
あゆぽんは生きてる?
堀さんが見つけた?
なら、目の前で死んじゃってる鈴原あゆの姿をした人は…………誰?
……紛れもないあゆぽんだ。
「……あゆぽんは死んじゃったよ……だって『私』の前に居るのは…………」
『彩音っち!!私は死んでなんかないよ!!』
電話越しに、あゆぽんの声が聞こえた。
……?????
まってまってまって……何……これ?
目の前には溺れて自殺してしまったあゆぽん。
けれども、堀さんとの電話越しに他の何者でもないあゆぽんの声。
『ほら。ちゃんと四宮さんが知ってる鈴原さんでしょ?』
「そう……だね。あゆぽんだ」
再度電話に代わった堀さんの言葉に『私』は肯定する。
実際のところ、思考が現実を認識できていなかった。
明らかにおかしい筈の現実。
2人いるあゆぽん。
得体の知れないおかしい現実に直面しながらも、『私』はまだ現実を直視できずにいた。
『鈴原さんも見つかったことだし、早く合流したいんだけど四宮さん今どこにいる?
「ΧΧΧΧのところの砂浜……あゆぽんに聞けばわかるよ」
『……私達もそこにいるんだけど』
…………ッ!?
堀さんの電話越しの声を聞いて、ゾクッ、と全身になんとも言えない悪寒を感じる。
携帯を耳に当てながら、人混みから出て、周囲を見渡す……けど。
「ど、どこにいるの堀さん!?」
堀さんは見つからず、唐突な焦りに襲われた『私』は思わず叫んでしまう。
早く堀さんとあゆぽんに会いたかった……この得体の知れない現実から逃れるために、何よりも、知ってる誰かに側にいてほしかった。
なぜあゆぽんは堀さんと一緒にいるのに『私』の見つけたあゆぽんは死んでしまっているのか。
まず、何故あゆぽんが2人もいるのか。
その解も、あゆぽんが無事なのを確認してから解いても遅くはない。
『四宮さんほんとに砂浜にいる?』
「いるよ!!人がいっぱい集まってるところ!!そこに『私』は……」
『……四宮さん。砂浜には人が集まってるどころか誰もいないんだけど……』
「……え?」
堀さん達が『私』と同じ場所にいて『私』のことを見つけられないーーそれは、あり得ないことだった。
『私』が今いるこの砂浜の大きさは案外小さなもので、視界を遮る障害もなく、一点に立てばそこから砂浜全域を見渡せるはずなのだ。
だからこそ、本来なら『私』のことを堀さんは見つけられている筈で……。
……明らかに異常だ。
瞬間。
ゾクッと背筋が凍るような何かを感じて……
「……ッ!?」
振り返った先には、さっきまで死んでしまったあゆぽんの形をした何かを取り巻いていた人達が、無表情で『私』を見つめていた。
動かない。
動じない。
ただ、その生気の無い虚空な瞳で『私』を見つめる。
「あ……ぁ……」
恐怖で声がすくんで、身体が震える。
違う。
ここは、『私』の知ってる世界じゃない。
『四宮さん!!どうしたの!?』
電話口からは『私』の異変を感じ取ったのか、堀さんが慌てたように声を荒げる。
けれども。
その声は随分と遠くに聞こえた。
「堀さ……ん、助けて……」
やっと出た声だった。
搾り取った声。
『私』はこれと似た恐怖をずっと前に体験してる。
こんなことができる人物を知っている。
忘れもしない、『私』の、『四宮彩徒』の全てを犠牲にした、させられたあの期間と同じ。
今の『私』はほぼ完全に感性感覚的なものが『四宮彩音』と同化してしまっているから……足もすくんで逃げ出すことも出来ないし、この理不尽な現象に抵抗することも出来ない。
『四宮さん!!今どこにいるの!?』
依然として続く電話口の堀さんの叫ぶ声。
その声に、ここがどこだかすらもわからない『私』は堀さんに居場所を答えることは出来ずにーーーー助けて、と呟くことしかできなかった。
助けを求めた、けれども、それは叶うはずもなく、叶うとも思っていなかった。
『アイツ』の前では何もかもが無力なのだ。
一歩一歩、虚空な瞳で見つめる人達から後ずさって……
「「「「「「「あー」」」」」」」
同時に、見つめてくる人達は口を開けて、人差し指で『私』の背後を指差しながら叫ぶ。
気づけば、倒れていた筈のあゆぽんの形をした何かの姿は無くなっていてーー。
ぬるり、と濡れた手が後ろから『私』の頬を撫でる。
耳にあてていた携帯から聞こえるのは、あゆぽんと堀さんの『私』を呼ぶ叫び声。
濡れた手は、『私』から携帯を取り上げて、それを投げる。
べっしょりと濡れた身体を『私』に押し付けて、抱き付くように身体を密着させる。
濡れた髪と、粗い吐息が耳に触れて、『私』の背後にいる抱き付いてきたあゆぽんの形をした何かはーー『私』がよく知る、出来ることなら生涯聞きたくなかった声で『私』の耳元で呟く。
「彩徒くん、やぁっと、みぃ~つけたぁ」
それは、『私』があゆぽんより先に初めて最初に出会った『色無し』だった。
それは、『私』の周囲の環境を根こそぎ破壊し尽くした『色無し』だった。
『アイツ』。
ーー初めての『色無し』白鷺洲灰音(サギシマハイネ)。
刹那。
『私』の見る世界は、砂浜も海も空も何もかもが、世界そのものが『色無し』に変わる。
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