1章『消失する鈴原あゆ』第7話

「まさかあゆぽんも2セット欲しいとは言わないよね……?どうせ修正されない為に『私』の部屋に置くことになるんだから……あげても大丈夫だったよね?……」

堀さんが中々に中々の期待を膨らませた視線と懇願の瞳で見つめてくるから、仕方なく、1セットあげて。

堀さんがお礼を言って傍目にわかるほどに上機嫌なステップで『私』の前から姿を消して。

まだ帰ってこないあゆぽんを待ちながらに暇をもて余していた。

どこまで買いに行ってしまったのだろう?

「……まさか迷子で呼び出したりしないよね?」

もう迷子センターは嫌だ。

あれだけの醜態を晒したんだし、もうあそこはトラウマになっていた。

……木漏れ日が眩しい。

「……それにしても」

『私』はふと考える。

堀さんとの会話。

結論から言ってしまうと堀さんは異常だ。

仮に、他の人が堀さんのように『私』とあゆぽんとの関係に違和感を持ったとしても、普通なら、常識じゃない何かがあるとか、そんな思考には至らない筈だ。

いや、教室内であゆぽんと友達になってからずっと今日みたいな関係であゆぽんとは接してきて。

だから、当然他の生徒も『私』とあゆぽんの関係性を自分達が知ってるものではない、と違和感を持つはずなのだ。

さっき堀さんに詰め寄られるまで、『あれー?どうしちゃったのん?鈴原さ~ん』的なことを話してきた人達はいるけれど、今日の堀さん程掘り下げて聞いてきた人はいない。

堀さんだけに掘り下げる……くすっ、じゃなくて。

つまり、一般的な感覚から言えば常識じゃない何かがあるとか、言ってしまえば漫画やアニメみたいな何かがあるとか、そんな思考には陥らない。

堀さんがそんな思考に陥ってたのは、思春期にありがちの妄想をそのまま面に出してしまったのか---------それとも、堀さんも堀さんで何かまた『私』達とは違った現象のようなものに巻き込まれているのか……巻き込まれていたのかもしれない……なんて。

『私』とあゆぽんがこうして不思議な体験をしているのだし、他の人、つまり堀さんがそのような体験をしていたことだって否定できない。

『私』には『アイツ』との常識を度外視した不思議な経験もあるから、堀さんが何らかの全く毛色の違うファンタジーに巻き込まれていたとしても、『私』は疑問を持つことはない。

……待って。

そもそも何で堀さんは今日にこの話をしたの?

もしも堀さんが『私』とあゆぽんの関係性に違和感を覚えてこの話をしてきたなら。

非常に鬱陶しいことだけれども、『私』は堀さんに毎日絡まれて……まぁ、毎日とは言わずともかなりの高確率で同じような会話をさせられる筈だ。

ところが、こんな話をしたのは初めてだ。

「……何かが変わり始めているの?」

あゆぽんと過ごしてきた日常の中での些細な変化。

これが何を意味するのか。

堀さんの言っていた『私』とテンプレートあゆぽんとの関係性も気になるところでもある。

何分、『私』はあゆぽんの特性では修正されないのだから昨日の『私』が何をしていたのか、どうやって修正されたのかわから……な……?

「あ……れ……?」

まてまてまてまて……『私』は今なんて思った?

『私』はあゆぽんに修正されない------だから、昨日の『私』が何をしたように修正されたかわからない……?

「って……まって……まって」

まって……そんな……それだと……。

あゆぽんにテンプレートあゆぽんが存在するように。

……『私』にもテンプレート四宮彩音が存在することになってしまうじゃないか……!!

『私』はあゆぽんの修正は効かないと思っていたけれど……もしかしたら『私』はあゆぽんに修正されていたの……?

「……ッ!?」

途端だった。

「……ッ……ぁ……ぇあ……」

世界が歪むような物凄く激しい頭痛と吐き気が『私』に襲いかかって、その場にうずくまってしまう。。

世界の歪みを形にしてダイレクト殴打されたような頭痛は止まることなく段段に激しさを増す。

「う……あ、」

声にならない呻き声が漏れて誰かに助けを求めようと視界から見える範囲の人達を見る。

「な、ぁ……ん……」

異常だった。

激痛でうずくまる『私』をまるで見えていないかのように誰も『私』に駆け寄ってくれる人はいなかったし、そもそも、『私』に気づいていなかったかもしれない。

「……助けて……あゆぼ……」

激痛と吐き気で薄れ行く視界の中で。

大好きな友達の名前を呼んで……『私』の意識は深い闇に落ちた。


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「…………っち」

寝起きのように白濁した意識の中で声が聞こえた。

音が耳の中で反響して上手く聞こえない。

でも、その声は『私』を呼んでいることはだけはわかった。

「………彩音っち!!」

「……あゆ……ぽん?」

寝起きのように開けれない瞼を無理矢理にに開けて、最初に視界に写ったのは『私』を見下ろすあゆぽんの顔だった。

……あれ?『私』はどうして……。

「彩音っちぐっすり眠っちゃってたよ。疲れちゃった?」

微笑むあゆぽん。

気づけば、頭が枕のような柔らかい物質に乗っているのに気が付いて、それがあゆぽんの膝だと言うことを認識するのに時間はいらなかった。

あゆぽんお手製……お脚制?膝枕。とっても柔らかい。

「椅子は固そうだったから勝手に彩音っちを膝に乗せちゃった。全然起きないんだもん彩音っち」

「……疲れてた……のかな……?」

『私』はいつの間に寝ていたのだろう。

……確か、堀さんと真相に近づいていた話をして、堀さんに人形をあげて……それから……あれ?記憶がない……。

……どうやら、『私』は堀さんと別れて直前に眠ってしまったらしい……どうにも付に落ちない点はあるけれど。

「ごめんね、彩音っち。私ちょっとはしゃぎ過ぎてたかも。彩音っちが疲れてるってわからなかった……」

「あゆぽんは悪くないよ。……『私』が疲れちゃったのが原因だし……もう回復したから大丈夫。あゆぽんと遊べて興奮し過ぎちゃったみたい」

しょぼん、となってしまったあゆぽんを慰める。

失態だ、よくわからない内に寝てしまったせいであゆぽんに気を使わせてしまったようで、あゆぽんを悲しませるようなことはあんまりしたくなかった。

「ありがとう、彩音っち……」

あゆぽんは照れ臭そうに笑って。

途端。

「でも、彩音っち」

「……?」

真面目な顔つきになって『私』を見て。

「疲れてるのに気がつかなかった私が言うのもなんだけど、こんなところで彩音っちみたいな女の子が無防備に眠っちゃダメだよ!!」

あゆぽんは言い放つ。

「……あ、あゆぽん。で、でも、こんな往来で変なことする人なんて……」

「あまい、甘いよ彩音っち!!ていっ!!」

「いたっ……」

あゆぽんの突然のチョップが『私』の脳天に垂直に落ちて刺激が身体全体を襲った。

「彩音っちは自分の魅力に気づいてないからそんなことが言えるの!!」

「……魅力って……『私』にはそんなの……」

実際、自分の魅力と言われたところで、特に思いは当たる箇所もない……と、『私』が上書きされるまでの『四宮彩音』が考えていたからだろうか、自分の身体、容姿に大しては自慢できるところはどこもない、自分の養子には自身がない、と言った感じに思考が結論づけられる。

言ってしまえば、若干『四宮彩音』に感情や思考や嗜好や性格が侵食されて混合されているとはいえ、人格が『四宮彩徒』で構成された『私』にとっては自分の容姿を気にかけることすらあまりしていなかった。

ずばり言えば、この身体は女の子バージョンの自分のようなものなのだから、この身体の色んな所を視界に捉えても特にそういった感情にはならなかったのは事実だ。

……純粋に、もう『私』は彩徒と彩音が混ざってしまったせいで、異性の裸はもうそういう対象にならなくなってしまったのは事実だ……見れても、芸術家?みたいな観点でしか観ることはできないのもまた事実……こんなことは大してどうでもいいことだけど。

「彩音っちの魅力はまずその白くてプルプルした肌!!銀色みたいなさらっさらかつ滑らかな白い髪!!」

「日焼けしてないだけ……だし、髪は色落ちてるだけだよ……」

「食べちゃいたい!!あとその手のひらサイズの胸も揉みほぐしたい!!」

「……え?」

「そうだよ彩音っち。もし彩音っちが無防備に寝てる場面に出くわしちゃったら私は……」

「あ、あゆぽん……?」

くくく……と黒い笑みを浮かべながら、想像……妄想?の中にどっぷりと嵌まったあゆぽん。

「ふふっ……まず、彩音っちの寝顔を300枚くらいあらゆる角度から撮って……終わったら、その白いすべすべお肌と身体を揉みほぐして……えへへ……」

「あゆぽん……」

妄想の世界に入り浸って幸せそうに微笑む暴走した親友を『私』はただ、うろたえながら現実世界へ戻ってくるのを待つしかなかった。

あゆぽんが、えへへ、とかわいく笑って。

「そうだ」と呟いて。

途端、あゆぽんの目が見開かれて『私』の両手を強く握る。

期待と興奮できらきらした瞳を『私』に向けてあゆぽんは告げる。

「今度どっちかの家でお泊まりしよ!!……えへへ、彩音っちとずっと一緒に遊べるしお風呂だって寝るときだって一緒……えへへ……ダメだよ彩音っち、そんなこと……」

瞬間的に妄想の世界に入ってしまうあゆぽん。

一度暴走してしまったあゆぽんを止める術は、自然消滅してあゆぽんが冷静になるのを待つしかない。

本来、あゆぽんとお泊まり会というのは『私』にとってはとても嬉しいもので、瞬間的に返事をしてもよかったのだけども……。

「え、……と、うん」

あゆぽんのお泊まり会の提案に賛成するのに若干の時間を要したのは、あゆぽんの妄想の中での独り言?みたいなのを聞いた後だと仕方のない筈……はず……はずだよね?


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「ここはね彩音っち。私の一番好きな場所なんだよ」

パシャパシャと水しぶきを上げながら、月夜に照らされた海岸であゆぽんは呟いた。

アトラクションも目ぼしいものはある程度制覇して、遊園地を夕方辺りに後にした。

遊園地の最寄りの駅について帰りの電子マネーをチャージしようとしたタイミングで、あゆぽんに連れていきたいところがあると言われて。

帰り道とは反対方向のいくつか駅を過ぎたところにあるこの海岸に『私』達はいる。

「……綺麗だね、あゆぽん」

月夜に照らされた海面と、裸足になってわずかに砂浜に来る波をパシャパシャと音をたてて遊んでるあゆぽんを見ながら、『私』は呟く。

純粋な感想だったし、はしゃぐあゆぽんが可愛いのもあった。

「私の一番好きな場所で唯一の居場所。辛くなった時とか……ね。ここにずっと居たりしたこともあるんだよ」

あゆぽんの辛さ。

きっとそれは『私』なんかには想像を絶するほどの辛さなんだろう。

誰からも覚えてもらうことも出来ず、自らが歩んできた軌跡は、他の他人のものへと変わってしまう。

頑張っても、願っても、楽しんでも、悲しんでも、いずれもが1日で終わってしまう。

途方のない努力も、予め定められていたテンプレートへと修正されてしまう。

誰とも思いを共有できない、誰とも過去を振り返れない、誰とも思い出を共感できない。

楽しかった思い出も、悲しかった思い出も、嬉しかった思い出も、辛かった思い出も、全部自分の頭の中の記憶にしか残らずに、端から見たらただの妄想に成り果ててしまう。

「誰にも私のことを覚えてもらえないままに、一人寂しく死んじゃうんだろうな~、なんて思ってたんだ。私が今踏みしめた砂浜の軌跡が波に流されて消えちゃうみたいに、私も誰からも覚えてもらえずに皆が知ってる私じゃない『鈴原あゆ』として死んじゃうんだろうな……って」

踏みしめた砂浜の足跡は、波に拐われて消える。

あゆぽんが過ごした日常が修正されてしまうように。

「彩音っち……私ね、ずっと昔からここで死にたいって思ってたの。ここは、特別な場所で、私が唯一好きになれた場所だから。いっそのこと、波に拐われて、そのまま……」

「あ、あゆぽん……そんなの……」

「彩音っちは、私を止めてくれる?」

振り返って、あゆぽんはその場の雰囲気に合わない笑顔を『私』に向けた。

その笑顔に……『私』は遠い過去の映像が、脳裏に浮かぶ。

『彩徒くんには……あたしを止めれない』

そう言われてそのまま何も出来ずに……記憶の中の彼女は、一番尊敬してた彼女は『殺人鬼』になった、させられた。

あの時は、まだ無力で、何をするにも何もできなくて、守るものも守りたい意思も不完全で全てが中途半端だから『私』は『四宮彩音』の身体に反転させられた。

守りたいものを決めれなかった。

でも。

今は守りたいものは充分過ぎるほどはっきりしてる。

もう、間違えない。

「止めるよ、あゆぽん。何をしてでも……どんなことをしてでも……あゆぽんは死なせない。どうしても、あゆぽんが死にたいなら、『私』も一緒に死ぬから……だから……絶対ダメ……」

「彩音っち……」

「誰もがあゆぽんを覚えていられなくても……『私』が、『私』だけがあゆぽんを絶対忘れない……!!」

月夜に照らされたあゆぽんを抱き締める。

あゆぽんの身体の柔らかさとぬくもりを感じる。

あゆぽんはずっと孤独と戦って来たんだ、生まれてきて自我を獲得してから10数年、あゆぽんはずっと耐えてきてくれた。

「あゆぽんはもう1人じゃないよ……これからは、……『私』がいる……2人ぼっち」

「……ぅ、う……」

あゆぽんが『私』の身体を強く抱き締めて、頬を涙が伝う。

ずっと欲しかった何かを掴むように、決して離すことのないように。

「彩音っちならそう言ってくれる……って。側に居てくれるって……信じたかった……けどっ……」

「彩音っちが私と居るの……負担なんじゃないかって……彩音っちも世界からズラさせちゃってるんじゃないか……って……怖くて……彩音っちがそれを理由に私から離れちゃうんじゃないかって……だから……ごめんね……彩音っち。私……嫌な子だ。彩音っちの優しさにつけこんで……こんな……」

あゆぽんの涙が、『私』の頬に触れる。

そっか。

昼間の途切れた記憶を思い出す。

世界からのズレ。

あゆぽんが言うそれは、『私』が昼間に行き当たった結論と同じ。

あゆぽんと行動してる『私』は修正された世界での結果と矛盾してしまう。

加えて、『私』は他と違ったイレギュラーだし、昨日の一昨日の『私』を修正したところで、『私』に影響を及ぼさない。

言ってしまうならば、『私』はあゆぽんの側に居ることで、あゆぽんに干渉している限り、あゆぽんと全く同じ存在に……世界から修正される存在になったのと同義なのだ。

けれど、……それがどうしたと言うのだろうか。

『私』はあゆぽんが好き……例え、昨日の『私』が、世界があゆぽんに修正されていたとしても、『私』とあゆぽんの記憶までは修正できない、もう、1人だけの妄想にはなり得ない。

……どうして『私』がこの真実にたどり着いて、あのとてつもない頭痛が襲ったのかはいまだに不明だ。

けど。

「……何を言ってるの、あゆぽん。私の色の無かった生活に色を着けてくれたのはあゆぽんだよ」

きっと。

「あゆぽんと仲良くなれなかったら、『私』はずっと教室の隅っこでじっとりした生活を送ってたかもしれないから……あゆぽんには感謝してるし……あゆぽんとなら、あゆぽんが居てくれるなら、『私』はあゆぽんと2人だけの世界に閉じ込められても……構わない」

「あ、彩音っち……っ!!わ、私も……私も彩音っちとずっと一緒にいたいよぉ……うれしいよぉ……」

この後、『私』はずっと孤独に耐えてきた少女のはじめての号泣を聴いて、ずっと耐えてきた孤独の悲しさ、辛さ、を受け止めて、……少女は孤独から解放された。

例え修正に巻き込まれていたとしても『私』はあゆぽんと一緒にいたい。それほどまでに、『私』はあゆぽんが大好きなのだ。

あゆぽんが『色無し』だとしても、関係ない。

『私』のあゆぽんへの気持ちは変わらない。




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幸せなんだと思える瞬間がある……というのは、つまり、幸せだからこそ思えるのであって、そんな瞬間があることが幸せで 。

幸せを求めて溺れたい、浸かっていたいからこそ、楽しい時間も幸せな時間もすぐに過ぎてしまうもので。

とどのつまり、幸せは決して長くは続かない……なんて言い切ってしまうものもなんだか寂しい。

誰かから思ってもらえる幸せ、誰かから覚えてもらえる幸せ、誰かと幸せを共有できる幸せ。

自分という存在が、相手にとって必要と思ってくれる。

『私』が出会った2人目の『色無し』の女の子に、『私』は幸せを与えられてあげたのだろうか。

「あげられたよね……たぶん。『私』だってあゆぽんが側に居てくれることが幸せなんだから……きっと……」

特別な海岸から帰宅して、帰り際にあゆぽんから貰ったラビッツ君限定ボールペンをカチカチ鳴らしながら、布団に寝転がってそんなことを考えていた。

どうやら、ペアルックのようなもので、もう片割れはあゆぽんが持っている。

ボールペンを買ってきてくれたのはきっと、『私』が堀さんと話をしていた時だと思う。

だから、異様にあゆぽんの帰りが遅かったのだろう。

「えへへ……」

『私』はそのボールペンに前に撮ったプリクラを貼り付ける。

ふと、部屋の中を見渡して。

部屋の中も随分とあゆぽんと遊んだときにゲットする景品とかで埋まってきた。

けど、その一つ一つに思い出が詰まっているのだし、悪い気はしない。

机の上にある猫の置物がゲットしてきた景品の中でも一番渋い。

……客観的に見て、『私』は随分と変わってしまった。

きっと、『私』の中にもう『四宮彩徒』の存在は記憶だけの断片になってしまっているのかもしれない。

……けど、悪い気はしない。

『私』になってしまったから言えることなのだろうけど、きっと、『私』はもう『四宮彩徒』に戻るつもりはない。

あゆぽんに出会って、あゆぽんと過ごしていくと決めたから、『私』の決意も決まった。

だから。

残った『四宮彩徒』の記憶の、人生の、『色無し』と……『アイツ』との、全てを『アイツ』に壊されてしまった経験を、過ちを、もう『私』は繰り返さない。

大好きだった女の子を理不尽に傷つけて。

尊敬していた女の子が殺人鬼になるのを止められなくて。

信じていた親友に裏切られて騙されて。

「もう……ぜったいに……」

そんな過ちをおかさない。

ふう……と、息を吐く。

時計の針は2時を回っていて、思いの外物思いに耽っていたようで、時間の感覚が無くなってしまっていた。

明日の準備とか、色々と用を済ませて寝よう……そう思考しながら布団から立ち上がった瞬間。

「……ッ」

こめかみに鈍痛が走って、消えた。

「……なに?いまの」

疑問に思いながらも、視線をぐるりと見回して。

ある一点で止まって。

「……あ……え……?」

異変に気付く。

それだけは、それだけは何としても起こってはいけない異変で。

「うそ……」

『私』の視界の先の机の上。

そこにはあゆぽんがくじで当てた渋い猫の置物が置いてある筈なのだ。

あまりにもリアルで、寝起きに見るとビクッとする猫の置物がある筈……筈なのに。

「……なんで?……なんで無くなっているの?」

机の上には、猫の置物なんて無くなっていた。

まるで。

『修正されてしまったかのように』

「っ!?……あ、……」

その思考にたどり着いてしまった直後、遊園地で襲われたあの頭痛に再度襲われる。

世界の理不尽と扶助利を形にして殴打されるように、段々と意識が刈り取られるような、必要な部分を刈り取っているような頭痛はひどく『私』を蝕んでいく。

……この感覚は覚えがあった。

『私』が『四宮彩徒』から『四宮彩音』に性別を反転させられたあの日と同じ……。

「だ、……だめ……」

だめだと、必死に言い聞かす。

「『私』は……『私』だけは……だめなんだ……あゆぽんを……忘れたら」

鈍痛に耐えられなくなって布団にうつぶせに倒れ込んで、視界にはどんどんと『修正』されていくあゆぽんとの思い出。

「お願い……やめて……」

涙が頬を伝って、布団を濡らす。

『修正』は止まらない。

「あ……ぁあ……」

部屋の中からポッカリとあゆぽんとの思い出は消えて……。

「やだ……やだ、忘れたくないッ!!」

段々とあゆぽんと過ごした日々も思いでも記憶も、頭の中から薄れてきて……。

「いやだ!!やだ!!やめて!!……お願いだから……あゆぽんとの約束を破りたくないッ!!やだぁぁあぁぁあぁ!!」

世界から忘れられてきたとある少女とずっと忘れないと誓った、約束した。

一緒に日々を歩んでいくと約束した。

頭痛は世界を揺らすほどに、平衡感覚すら失わさせる程にひどく痛み。

握り締めたボールペンを胸に当てながら記憶を必死に守って。

けれども。

数瞬後には何を守りたかったのかも忘れて。







『私』は………………私は。

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