函館ロマンス坂 笹島生花店 ~あなたに「愛」を届けます

芦屋 道庵

ポインセチア

 六時四十五分、函館市電の始発が走り過ぎる。もう長い間、時計がわりに聞いている音だ。


 その音とともに、肩を寄せ合ったポインセチアが微かに揺れる。まるで自分たちの運命を不安に思い、震えているようだ。ここにある五つの鉢は、午前中に大きな屋敷に納品され、玄関や出窓に飾られることになる。函館の街にも年末商戦の雰囲気が漂ってきた。


 十字街から東に向きを変えた市電は函館山の麓を進み、坂を昇る。このあたりは道幅も広くなるが結構な急坂で、電車はモーターをフル回転させ車輪を軋ませる。喘ぎながら登り切った頂点に青柳町の電停があり、その先は谷地頭に向けての下りとなる。どちらから来た電車もこの電停で一息つく。近年、このあたりの風景を「ロマンス坂」などと宣伝している。そのネーミングの是非はともかく、なんとなく風情のある景色ではある。


 ロールカーテンを上げると、ガラスはすっかり結露していた。手で曇りを拭うと灰色の空から、風花が舞っている。ここ笹島生花店の店内からは青柳町電停が見える。函館駅方面の電車に数人の高校生が乗り込もうとしていた。臙脂色のマフラーを首に巻いた少女が、甘えるように彼氏の腕にしがみついている。


 冬の間、生花店の仕事は辛い。店内の温度は高すぎても低すぎてもいけない。一番怖いのは乾燥だ。店内の花が一夜にして全滅することもある。余分な茎を切るときは、水の中で切る。そのほうが、花が長持ちするのだ。言うまでもないが、どんなに水が冷たくても、手が荒れても、温水は使えない。


 七時十分、スマホが鳴動した。あれれ、と思う。


「たーかや」

「おう」

「おはよ」

「うん」


 電話の主は池内花蓮、元同級生である。高校時代は毎朝この時間にスマホを鳴らしたものだ。

「貴哉が遅刻しないようにしてあげてるんでしょ」

と上から目線で言われたが、確かにそんなこともあったので素直に感謝しておいた。


「二年ぶりだな」

「そうだね」


 一年ほど続いたこのモーニングコールも、ある出来事をきっかけで終わり、高校卒業後に花蓮が上京してからは着信自体が途絶えていた。


「仕事はどう?」

「やっぱ、あかぎれはひどいな」

「大変だね」

「ま、職業病さ。ここんところ、クリスマス向けの予約がぼちぼち入ってくるようになって、そこそこ忙しい」

「函館のクリスマスか。懐かしいな」


 通っていた高校の近くにある、旧公会堂。そこで開催された、第三十回クリスマス演奏会で、福山雪乃が奏でたバイオリンの音色が、今も聞こえるような気がした。


「こっちは雪が降ってる」


 風花は粉雪に変わっていた。水分を含まない微細な結晶は、地面に落ちても積もることなく、風に連れ去られていく。


「東京は寒いよ。なまら寒い」

「おい、どこの出身だよ」

「いろいろあるんさ、私にも」

「わかるような気がするけどね」


 それにしても、である。


「なんか、あったんか?」

「うん」


 花蓮のことが見えなくても、言葉に迷っているのがわかる。


「んー、笹島貴哉君」

「は?」

「な、なにさ」

「だって、苗字付きなんかで呼ぶから」

「悪い?」

「悪いなんて、言ってねえさ」

「そう?」

「んだから、どうしたんさ」 

「雪乃 、どうしてるかな、と思って」


 同じことを考えていたのかと、どきりとする。


「んだな……」

「知らない?」

「わからねえな。結局彼氏にはなれなかったからな」

「情けないな……。あんなに協力してあげたのに」


 それは事実なので、一言もない。


「精一杯のサポートも無駄になったわけだ」

「そんな、責めんな」

「責めてないけどさ……」


 この絡み方はおかしい、何かあったに違いない。でも俺は知っている。相手が何かに迷っている時、葛藤している時、決して相手を急かしてはいけないことを。それを教えてくれたのは花蓮だ。俺がここに来た時、花蓮は待ってくれた。俺が心を開くまで。


「あのさ」

「ん?」

「貴哉に謝ることがある」


 なんだ、それ?


「高校時代、さんざんイジメたことか?」

「イジメてないさ」

「童貞のくせに生意気だ、とか女子の前で言ったさ。おかげですっかり笑い者さ」

「だって事実だったわけだし」

「そうだけどな。なんだ、そのことじゃないんか?」

「あたりまえさ」

「じゃ、なに」

「嘘ついてたんだ、貴哉に」


 唐突だった。


「嘘って?」

「ひどい女さ。私」

「はあ?」

「呪ったんだ、人を」


 ほら始まった。不思議なことを言い出すのは高校時代から全然変わっていない。


「例の道摩法師ってやつか?」

「よく覚えてたね」

「だってインパクト強すぎ」

「そうか。でもブーメランってやつだね、きっと。人の不幸を願ったから、自分に返ってきたんだ。わかってる」

「なに言ってんだ」


「貴哉に会いたい」


 高校時代から、誇り高く上からモノを言う花蓮だった。こんなキャラじゃなかったはずだ。


「いいよ、いつ帰ってくる?」

「したっけ、今夜また電話する」

「わかった」


 この店にある花たちは、それぞれどこかに売られていき、その場所で生涯を終える。しかし、その美しさは、人々の生活の場を彩り、そして癒す。その色は見えなくなっても、人々の心の中に残り続けるのだ。


 両親を喪い、この店に引き取られた俺には、それが実感できる。


 だから俺はこの花たちと、花を求める人々の出会いを大切にしたい。そんな思いでこの店にいる。

 

 さあ、行くぞ、ポインセチア。

 大丈夫、あそこの人たちは大事にしてくれるさ。


 ゴォー、市電が走り抜けて行く。


 午前十時、ポインセチア五鉢を連れて、配達先の屋敷にやって来た。西部地区と言われるこの付近には、古い家がたくさん残っている。その中でも、外見は洋館風で、.屋内は和風の「和洋折衷」の家が特徴的な景観を作り上げている。


「こんちはー。笹島生花店です。お届けに上がりました」

「はーい」

 

 上品な老婦人が出て来た。


「あら、きれいなポインセチア。うれしいわ」

「まあ、ご苦労様」

「五つありますが……」

「三つは玄関やリビングに置くから、ここでいいわ。ただ……」

「ただ?」

「残りは二階の孫の部屋に置きたいの。この家、古いから階段が急で。年寄りにはちょっときついから、上まで上げてくださる?」

「はい、かしこまりました」


 両腕に鉢を抱え、狭い階段を注意して上がる。

 子供部屋はこじんまりしているが、可愛らしいピンク系の色に溢れていた。窓からはカトリック教会の尖塔が見える。


「一つはその出窓に、一つは机の上に」


 この小さな部屋に二鉢。しかも、きれいに整理されたこの部屋には、子供の気配が感じられない。なんとなく違和感を感じた。


「ポインセチアの花言葉はご存じ?」

「≪聖夜≫ですか?」

「そうね。でも他にも……。≪幸運を祈る≫っていうのもあるわ」

 

 思わず、老婦人の顔を見た。


「孫娘は札幌に行っているの。もう何カ月も前から入院しててね。血液の難しい病気で、明日、骨髄移植っていう治療受けるの」


 言葉が出ない。


「孫はポインセチアが好きでね、これを見ると、クリスマスだあって喜んでた。今年はクリスマスだって、寂しい個室の中で過ごさなけりゃならない。せめて、いっぱいポインセチアを飾って、無事に帰って来れるようにお祈りしたいと思ってね」

「そうだったんですか。このポインセチアも、そんな大事なことに役立って、きっと喜んでると思います」

「だといいんだけど。いっぱい写真を撮って、孫に見せてやろうと思って」

「きっと、喜びますよ。でも……」

「でも?」

「ポインセチアって意外と丈夫で、大事に世話をしてやれば十年くらい生きるんです。栄養をいっぱいやって、来年、ぜひお孫さんに見せてあげてください。ポインセチアも頑張って生きてるよ、って。来年も、また次の年も」

「ありがとう」


 老婦人は、そっと涙を拭った。


「手入れの仕方を教えてくださる?」

「はい、後でお届けします」

「お願いね」


 車に戻り、一息ついた。

 病気と闘う、小さな女の子の幸運を祈る。

 そして……

 頑張れ、ポインセチア。

 女の子に、生命の力強さを見せてやってくれ。


 

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