第4話 ご主人様のお仕事②

「し、失礼しま……す……」


 セラと同じように身体にバスタオルを巻いたカリナは顔を真っ赤に火照らせながら必死に両手で身体を隠し、もじもじとジルの前に姿を現す。汗ばんだ褐色の肌が妙に艶っぽく、布の下からは凹凸の少ない未成熟な身体がくっきりと浮かび上がり、危ない世界を作り出していた。


「いやいやいやいや!!!!ちょっ!いかんでしょそれは!」


 顔を真っ赤にして手を振り被るジル。苦笑いを浮かべるセラ。取り返しがつかないことになってしまったと顔に出ているカリナ。


「しかし、カリナちゃんたっての願いでして……。首飾りのお礼にと……」


「そ、それは嬉しいけど!カリナちゃんまだ十三歳だから!まだそういうのは早い!」


「年齢以前に、私達はジル様の奴隷です。これぐらいは何の問題もありませんよ?」


「それは本来俺の台詞だからね!?奴隷が言う事じゃないからね!?」


「大丈夫です!カリナちゃんには背中を任せますので!わ、私は、その、ま、前の方を……」


「何の解決にもなってない!寧ろ悪化してる!」


「……」


 二人の言い争いを前にカリナは黙ってその場に突っ立っていたのだが、少しして消え入りそうな声で呟いた。


「……ご、ごめんな……さ……」


「!?」


 見れば、カリナが今にも泣きだしそうな表情で肩を震わせていた。


「わ、分かった。分かったから……。一緒に入っても良いよ。ただし、各自自分の身体は自分で洗う事!これは命令だよ!いいね!?」


「分かりました……」


 カリナは爪先で湯の温度を確認した後、湯舟に入りジルの隣へと寄ってきた。これでジルは二人に挟まれる格好となる。カリナは既に泣き止み、セラは穏やかな笑みを浮かべていた。


 最初は黙り込んでいた三人であったが、天井から滴る水滴が二度、三度と水面に打ち付けられたところでセラが口を開いた。


「すいませんジル様。実は、ジル様に謝らなくてはならないことがあります」


 その言葉は暗く、静かだった。今までの浮足立ったムードが一変し、空気が重くなる。ジルもこれには真面目な顔で問い掛ける。


「何かあったのかい?」


 なるべく優しく、そして言い易い雰囲気を作るよう努めるジル。そこには男としての、そして主人としての余裕があった。


「実は……。ジル様の部屋を掃除している時に、うっかり机の引き出しを開いてしまいまして……。その、中を……見てしまいました……」


「ちょちょちょちょちょちょっと待って!?ええええ!?嘘!?マジ!?見ちゃったの!?何で!?」


 一瞬で消し飛ぶ余裕。水飛沫を上げ身体を翻し、セラに詰め寄る。風呂に入っているというのにその顔はまるで氷漬けにされているかの如く青ざめていた。


「あ、は、はい……。そのぅ……。掃除をしている際に、カリナちゃんと二人で、ついうっかり……」


「カリナちゃんも見ちゃったの!?」


 今度はカリナへ詰め寄る。少女は肩を震わせ小さく声を上げると黙って頷いた。


「……終わった。もう殺してくれ……。いっそ殺してくれ……」


 絶対にバレてはならぬ秘中の秘。いつも自分を助けてくれる夜のお供。お気に入りのページにわざわざ栞まではさんでおいた相棒。それを、それをこの二人に見られてしまった。


 彼の自尊心は完璧に打ち砕かれ、退路は最早今生との別れのみと脳内会議で議決されようとした瞬間。


「あの……。そんなに見てはいけない物だったのでしょうか……。『ギルドの書類』は……」


「……………………。え?」


 ――今日の昼。セラとカリナが最後に目にしたものは、とあるギルドの依頼書であった。


「あ、いえ、もちろん大切な書類であるということは分かりますが、見られて命を落とすことを望まれる程のものなのですか?だとしたら……本当に申し訳」


「あぁ!ウン!ギルドのね!はいはい!依頼のね!アレね!アレか!そうかぁ~!アレ見られちゃったかぁ~!参ったなぁ~!いや別に隠してたわけじゃないんだけどさ!ウン!まぁ一応ね?ホラ、機密書類みたいな感じだからね?見られないようにはしてたんだけど、そっかぁ~。見つけちゃったかぁ~!見られちゃったんならしょうがないなぁ~!」


「あ、あの?ええと、すいません……」


 急に早口でまくしたてるジル。顔には血色が戻り、その歪な笑みからは分かりやすく安堵が窺える。


「その、前から気になってんです。ジル様が度々出かけられてはお金やアイテムを持ち帰られているのを……。どんなお仕事をされているんだろうって……。あれは、ギルドのクエストに行かれてたんですか?」


「うん!そうだよ!ギルドのクエストをこなしてはお金もらってきてるんだ!まぁ確かに教えてなかったのは悪かったね!ごめんよ!訊かれたら教えるつもりだったんだけど、誰も何も言わないから言いそびれちゃってたんだよね!」


 いやぁ~なんだ。それかぁ~。と、心の声が漏れているのをカリナとセラは聞かぬフリを決め込む。ジルは今、見られたのがあのギルドの依頼書だけだと思い込んでいる。それならそう思い込ませたままにしておくのが彼の為であると二人は瞬時に判断した。


「というか二人とも、俺のことで知りたいことがあれば何でも聞いていいんだからね?答えられることは何でも答えるからさ!」


「じゃ、じゃあ……。ジル様がいつも着ている鎧って、何なんですか?」


「あぁ、アレはそういう魔法なんだよ」


「は、はぁ……。それは凄いですね……」


 ずっと気になっていた疑問の答えが一瞬で帰ってきて面食らうが、それならばとカリナは温い息を飲んだ後、ポツリと呟く。


「それにしても、ギルドのクエスト……。なんだか、面白そうです……」


「面白いよ~?魔物の討伐とか危ないものあるけど、果物採ってきたりとか洞窟に探検に行ったりとか色々あるからね!そうだ!何なら今度三人で行ってみるかい?二人とも殆ど家の中で過ごしてるから退屈してるだろう?折角だし三人で冒険してみよう!」


 カリナの呟きをジルは聞き逃さなかった。話を机の件から逸らそうと必死なのである。


「え……?良いんですか?私達が付いて行っても」


「大丈夫!安全で簡単なクエストなら問題無しさ!報酬は少なくなるけど、ピクニックに行くようなものだと思えば良いよ!セラはどうかな?」


「え?えぇ……。それは素晴らしい案ですね。とても楽しみです」


「そうかそうか!なら良し!そうと決まれば明日ギルドに行って良いクエストがないか探してくるから、出発は明後日にしよう!よし!それで決定!」


 高らかな宣言は広い浴場に鳴り響いた。ジルはわざとらしく笑いながら湯舟から出ると、これ以上の問答は無用とばかりに勢い良く身体を洗い始める。その様子にセラとカリナは苦い笑みを見せ合った。


 二人の色仕掛けでジルから正常な判断力を奪った後、『事故』で机の引き出しの中身を見てしまったことを許してもらい、更に彼が普段外で何をしているのかをそのクエスト依頼書を掛け合いに出すことで聞き出し、あわよくばそのクエストに同行させてもらい(これはカリナの希望)、尚且つついでに鎧の事も聞き出してしまおうという中々に雑な計画だったのだが……。


 驚くほど呆気なくミッションコンプリートとなった。二人としては、引き出しの中を見たことを怒られたり主人のプライベートに口を挟むなと言われたり危ないから連れて行くわけにはいかないと拒否されたりするのではないかと思っていたのだが、余程あのいかがわしい本のインパクトが強過ぎたのだろうか。


 兎にも角にも、従者二人の作戦は大成功となった。


 また、それと同時に。


 実はいかがわしい本も見てしまったという事実は何があっても口を滑らせてはいけないという、二人だけの絶対的な秘密も出来てしまった。

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