第5話 ギルド『猫の手』
本日も快晴。ここ数日雨が降っておらず、従者達の庭の水やりにも精が出る。セラとカリナは何時にも増して早起きをし、慌てた様子で草花に水を撒いていた。
「大体で良いよ、大体で。一日ぐらい水をやらなくても枯れないでしょ」
二人の従者がせっせと水をやっている最中、大きな皮袋を担ぎいつも通りの鎧姿で現れたジルが玄関の階段に座り、頬杖をついてまったりと急かす。
「ダメです!植物はそんなに甘くありません!誠心誠意愛情を込めてしっかりと管理しないといけないんです!」
流石はエルフ。植物に注ぐ愛情は人一倍のようだ。
奴隷に叱られた主人は、二人が水やりを済ませるまでしょんぼりとした面持ちで口を閉ざしていた。
今日は先日約束した通り、ジルが二人をクエストに連れて行く日だ。
昨日の予定だったのだが都合の良いクエストが入っていなかった為、程良いクエストが入った今日出発することになったのだ。因みに、今日のクエストは『果物狩り』である。
「お待たせしました!」
尻が汗で濡れた頃、身支度を済ませた二人がジルの前に姿を現した。
セラは白い薄手のワンピースに麦わら帽子、そして水色のサンダル。カリナはゆったりとした草原色のシャツに太ももが僅かに覗く短めの紅いスカート。
そしてお揃いのサンダルという、恐ろしいまでの軽装。
即、お着換え命令が出た。
「あのワンピース、ダメでした……?」
ギルドに向かう馬車の中、厚めの生地を使った褐色が目立つ地味な色合いの上着、細いベルトでキツく閉めたスカート、そして耐久性と動きやすさを兼ね備えた脛まですっぽりと隠れるブーツに着替えさせられたセラとカリナは、少しだけ不満そうに頬を膨らませていた。
スカートはまぁ可愛いのだが、他が無骨で女の子らしくない。その不満をほのかにチラつかせる二人にジルは断固たる態度を示した。
「ダメ!あんな軽装でクエストに行く人間がありますか!」
「エルフです」「獣人です」
「そういう問題じゃない!!!虫に刺されたり怪我したりしたらどうするの!クエストに同行するならちゃんとした服を着なさい!本当にピクニックに行くわけじゃないんだからね!」
本音を言えば、とても似合っていた。
「じゃあ、せっかく作ってきたこのお弁当も必要無いですかね……?」
セラは膝に置いたバスケット籠を寂しそうに撫でる。中にはセラとカリナが早起きして作ったサンドイッチが入っていた。
「それは要る!めっちゃ楽しみ!!!」
「でも、ピクニックじゃないんですよね?」
「いや……。そんなイジワル言わないでよ……」
ころころと変わる主人の喜怒哀楽に、思わず微笑んでしまう従者二人。馬車も愉しそうに揺れた。
目的のギルドはレムメルの街から少し離れた森の中にある。ギルドの名は『猫の手』。大陸に点在するギルドの中で中堅程度の規模を誇るこの『猫の手』は一般庶民から王族・貴族の依頼まで幅広く取り扱っている。
建物自体も四階建てとこの辺りでは最も巨大な建造物であり、一階は依頼を受ける用途の他に酒場としても使用することができる。
二階から四階は宿泊施設や休憩所として使われることが多い。
「わぁ……。凄い……。こんなに大きいんですね、ギルドって」
「人もたくさん……。魔族や獣人も居ますね……」
日光を閉ざす深い森の中から突如として現れた活気に、目を丸くし感動を口にするセラとカリナ。
「ここらへんじゃ一番大きいギルドだからな。色んな種族が入り混じってる。そのせいでいざこざも多いから、そこらのクエストよりここに居る方がよっぽど危険だぞ~?」
冗談のつもりだったのだが、馬車から降りた二人は直ぐに巨大な鎧の影に隠れた。
先程から二人は好奇の視線に晒されている。レッドデビルの存在も大きかったが、何よりこの汗臭く血生臭い現場に虫も潰したことの無いような美人と美少女が居ては注目を集めて当然であろう。
視線を潜り抜けギルトの戸を開く。朝っぱらにも関わらず酒場は大入り。酒や飯をかっ喰らう者やクエストの算段を立てる者、力比べの腕相撲に興じている者や、可愛い獣人の女の子の肩を抱き二階へ連れ込もうとしている者など賑やかこの上ない。
街に買い物に行った時とは違い、ここではレッドデビルが入って来たからといって静まり返ったり避けようとしたりする者は居なかった。それどころか色んな種族の冒険者達がフランクに話しかけてくる。
「よぉ~!レッドデビルさん!今日はどした?随分とかわい子ちゃん連れてるじゃねぇか!もしかして、今から上でお楽しみかい?」
入り口近くのテーブルで酒を飲んでいた蛇を巨大化したような顔をした男が、細い舌をチロチロと出しながら近付いてきた。彼の名はジャンダル。顔は蛇で身体は人の形をした魔族である。
無機質で大きく見開かれた目を向けられ、セラとカリナは肩を竦めジルの背後に隠れる。
「んなわけねーだろ。依頼を受けに来たんだよ」
「はぁ~!マジかい!?あれ程誰とも組まなかったアンタがねぇ!しかも、こんな美人と美少女がパーティーメンバーとは……。あ、もしかして、この子らが例の奴隷かい?」
ジャンダルの言葉に周りで聞き耳を立てていた連中も、ジルの背後で小さくなっているエルフと獣人に視線を向ける。
そして皆一様に頷いた。『流石はレッドデビル』。そんな心の声が聞こえてくるようだ。
「ま、そんなところかな。……言っておくけど、この二人に手を出すなよ?」
「よっぽどの馬鹿じゃねぇ限りアンタのモンに手を出そうと思う輩なんていねぇさ。ま、お嬢さん方、頑張りなよ?色々と、な?」
ちろり、と舌を覗かせ喉を鳴らしながら席へと戻るリザードマン。その後も何度か声を掛けられながら、三人は漸く、円状に配置されたクエストの受付カウンターへと辿り着いた。
「いらっしゃ~い!あ、ジルさんね!おはよ……う?」
受付のカウンターで出迎えたのは、赤と茶を基調とした人形のように可愛らしいふりふりした衣装を着こなし、ルビーのように紅い瞳とぷっくりした唇から覗く八重歯がチャーミングな受付嬢であった。
「あらら?その後ろに居るのは……。もしかして!!いつも話してる奴隷の二人!?やだ!ウソ!本当に美人!びっくりしちゃった!」
「あ~……。その話は良いから。予約しといたクエスト、案内頼むよ」
「はいはい!向かいのカウンターで手続きしてね!もう馬車とか準備は出来てるから!」
酒場に響く元気な声で促され、反対側のカウンターに移ろうとするジル。その後を追おうとするセラとカリナであったが、「ちょい待ち!」と背後から呼び止められた。
「お嬢さん方二人はまだギルド登録の手続きが済んでないよ!ちゃんと登録しないとクエストには参加出来ないよ!」
「おいおい、手続きなら俺が前に済ませただろ」
「書類には本人の署名と指紋とかの判が必要なんですよ!さ、さ、ジルさんはさっさと行って!二人はこっちで署名!後が
受付嬢の勢いに圧され、渋々反対側のカウンターへと移るジル。セラとカリナは周囲の視線から逃れるようにカウンターへと寄った。
「ふふん、いらっしゃい。セラさんと、カリナちゃんね?初めまして。私の名前はミスラ=カナルル。気軽にミスラって呼んでね」
ミスラと名乗る女性は溢れんばかりの豊満な胸をカウンターに乗せ、二人へ顔を近付ける。セラ以上の大きさを誇るその二つの果実を前に従者二人は感嘆を漏らした。
「は、初めまして。セラです」「カリナです……」
セラに続いてカリナも頭を下げた。視線はミスラの胸に注がれている。
「おや?カリナちゃんは獣人と聞いていたけど……。獣耳が無いね?隠してるのかな?」
「あっ……。その、すいません……」
黒髪の隙間から恥ずかしそうに姿を現した三角形の獣耳に、ミスラの紅い瞳が光を放つ。
「うわぁ~!カワイイ!これは!なるほど!ジルさんがべた誉めするだけの事はあるわぁ~」
「あ、あの~。私達の事、御存じなんです?」
「そりゃもう。ジルさんったらここに来る度にアナタ達の事で惚気てるんだから……」
手で口を覆い、こっそりと二人に告げる。セラとカリナの分かりやすい照れに、ミスラに邪な笑みが浮かんだ。
「初心ね~。あのレッドデビルの奴隷とは思えないわ~……。ってかアナタ達、かなりの有名人だからね?」
「そうなんですか?」
「そりゃそうよ!なんたってあのレッドデビルの奴隷なんだもん!で、どうなの?夜の悪魔さんはさ」
「な、何が……ですか?」
「とぼけちゃってぇ~。やっぱり激しいの?それとも、意外とソフトだったりする?あ、もしかして二人同時にとか、真昼間からしちゃう感じなのかな!?」
「そそそそ!そんなことより!しょ、署名は!?署名しないといけないんじゃないですか!?」
顔を真っ赤に爆発させ声を上げるセラに、ミスラは充足感に満ちた笑みで答える。
「あれ嘘だから。キミたち二人と会話したくてそういう事にしただけ」
「ええ……」
それを言われては自分達は最早ここに居る必要は無い。直ぐにジルの下へ向かおうとしたが、それよりも先にジルが戻って来た。
「こっちは終わったぞ。そっちは?」
「ん~。おっけ~よ~。支給品も気持ち増やしておいたから」
「そりゃ助かる。それじゃ、出発するか」
「ちょっと待ちなさいよ。お祈りは捧げなくていいの?」
直ぐにでも発とうという様子のジルの背中にミスラの声が飛ぶ。
「お祈り?」
問い返したのはセラであった。
何も知らないセラに対し、ミスラは受付の奥にあるクエスト出発口の傍を指差す。そこには、壁に埋め込まれた木彫りの女神像が祭壇と共に祭られており、見れば、何人かの冒険者が出発前に様々な作法で祈りを捧げている。
そして祈りを捧げる者は皆、何か小さく呟いていた。
「出発前にね、無事帰ってこれますように、クエストが成功しますようにってああやってお祈りしてるんだよ。祈りの言葉と一緒にね。そこの悪魔さんは神なんて信じない~って頑固さんだからいっつもスルーしてるけど、今日ぐらいはやっていきなさいよ、二人の為にもさ」
「断る。俺には必要無い」
「んもう……。相変わらずだねぇ。じゃあ、セラさんとカリナちゃんだけでもやっていきなさいよ。信じる者は救われるってね!あ、『祈りの言葉』も忘れちゃだめだよ!『インガレオ』って唱えてお祈りしてね!」
ジルは肩を竦め、好きにしろと鎧の頭を掻く。
「いんがれお、ですか?」
たどたどしいカリナの問いに、ミスラの顔がふやける。
「そうそう。昔の言葉で『祝福を』って意味らしいわ。こうやって何かにお祈りして冒険に出るのは昔からの習わしなの。だから、とても大事な事なのよ!」
「そうなんですね……。因みに、あの像は誰を模したものなんですか?」
「ん~……。確か、大昔にこの大陸に平和をもたらした魔法使いらしいわ。ま、正直眉唾物だけどね。他のギルドだとどこぞの宗教の長を模した像だったり、昔の魔物の骨だったり、祈る対象は様々みたい」
「割と大雑把なんですね……」
「おまじないなんてそんなものよ。でも、祈るのはタダだから、やっても損は無いと思うわよ!」
「わ、分かりました。ありがとうございます……」
「いえいえ!それでは、お気を付けて行ってらっしゃいまし~♪」
明るい声で手を振られ見送られる三名。
一応、言われた通りセラとカリナは女神像に祈りを捧げるのだが、やはりジルは一瞥もせず目の前を通り抜け、外で二人の祈りが済むのを待っていたのであった。
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