第3話 ご主人様のお仕事①

「最近機嫌が良さそうだけど、何か良いことあったのかい?」


 最近のジルは誰かと会う度にそう問われる。鎧を着ており表情が見えないがそれでも少し話しただけでそう勘付かれてしまうのだ。余程言動に現れているのだろう。


「お客さん、ご機嫌だね。何か良い事でもあったのかい?」


 帰りの馬車でも御者の老人にそう尋ねられた。


「分かるのか?」


「そりゃあね。お客さん、この馬車に乗ってからずっと鼻歌歌ってるからさ、誰だってそう思うよ」


「……おお、そうか」


 完全に無意識だったらしく、照れくさそうに鎧の後頭部を指で掻いた。


「ホッホッホ。鼻歌は平和の象徴だ。レッドデビルのアンタが鼻歌を漏らすんだ、これほど平和な光景は無いぞ」


「茶化さないでくれ」


 乗客が一人しかいない馬車はその後のんびりとした足取りでジルの屋敷を目指す。屋敷に繋がる巨大な門に到着した時、太陽は大地に顔を半分隠していた。


「今日もありがとう。またよろしく頼むよ」


 御者の老人に正規の倍の料金を渡し、自分を送り届けてくれた馬の横面を優しく撫でる。稼いできた日銭が入った皮袋を腰にぶら下げ、土産が入った紙袋を大事に脇に抱え、屋敷迄の帰路を歩く。その足取りは成程確かに軽やかで、身に纏った重厚感のある鎧がとても軽そうに見える。


 確かに、ここ最近のジルの機嫌はとても良かった。その主な原因は、やはり自宅にあった。


「ただいま~」


「「おかえりなさ~い」」


 玄関の扉を開けるなり、メイド服を着た二人の可愛い従者が履物を鳴らし出迎えてくれる。一人は飴細工のように滑らかな金の長髪と新雪のように白く柔らかな肌が美しいエルフ。もう一人は健康的な小麦色の肌に映える深い藍色の瞳、そして柔らかい黒髪からちょこんと顔を出す獣耳とスカートの下から伸びる尻尾がとても魅力的な獣人。


 二人の美女の出迎えにだらしなく顔を蕩かすジル。セラはその美貌と明瞭な感情で、カリナは小動物のような可愛らしさといじらしさで、今まで戦う事しか知らなかった男に彩のある生活を与えてくれる。そのせいかジルの性格も少しだけ明るくなり、結果として最近の機嫌の良さに繋がっていた。


「はい、今日も稼いできたよ」


「わ!こんなに!?凄いです!これだけでも冬は越せますよ!」


「なぁに、軽いもんさ。ホラ、カリナにはお土産だ。セラとお揃いの猫の首飾りだよ」


「……!!」


 紙袋から取り出されたのは、セラが身に着けているのと同じ猫のネックレス。カリナは半開きの瞼から覗く瞳を爛々と輝かせ、その喜びは耳と尻尾の激しい動きからも容易に見て取れた。


「あ、ありがとうございます……!」


 お揃い!と言わんばかりに早速首にぶら下げたそれを姉貴分に見せつける。その仕草にセラの頬はスライムのように緩んだ。


「嬉しいです。大事にします……!」


 深々と頭を下げるカリナの踊る獣耳の誘いに耐え切れず、ジルは鎧を身に着けたまま少女の頭を撫でる。カリナは一瞬身体を強張らせたがすぐに気持ちよさそうに目を細め主人の興に甘んじた。


「お食事の準備は出来ております。水浴びが済んだら食堂にお越しください」


「ん、ありがとう」


「今日のスープ、私が作りました……!」


「おっ!それは楽しみだな!早く水浴びを済ませて来ないとだ!」


 相変わらず半目で静かな表情のカリナだが、自信ありげに鼻を鳴らすその顔はどこか頼もしく見えた。


 一旦従者二人と別れ脱衣所へと向かう。そこでジルは鎧を『消し』、衣服も脱ぎ捨て籠に放り投げると身体中の汗を冷水で流す。この時も自然と鼻から歌が漏れていた。


 その後は三人で夕食。セラとカリナが作った食事はどれも美味で、また、カリナが増えたことにより食卓も賑やかになりそれがより一層料理の味を引き立たせた。食後に従者の仕事内容の報告を聞いたり他愛ない雑談に興じた後、それぞれの自由時間となる。


 ジルは自室に戻り、小さな背伸びをする。今日もとても充実した一日であったと熱の籠った息を吐き出した。


 クローゼットを開き、寝間着に着替える。心なしかいつもより良い匂いがした。心なしかいつもに比べ輝きが増した机に座ると、二番目の引き出しに入れてある『とある資料』の中の一枚を細かく破りそれを丸めてごみ箱に捨てる。その後、一番上の引き出しから日誌を取り出し今日の出来事をしたためた。


 これにてジルの一日の仕事は終わりを告げるの。


「ジル様、お風呂の準備が整いました」


 見計らったかのようなタイミングで扉の外からセラの報告が入った。ジルは気の抜けた返事をすると机の上に出してある物を全て引き出しに収め風呂場へと向かう。


 脱衣所で衣服を脱ぎ、タオル一枚を腰に巻いて広い風呂場へと突入する。本来ならタオルなど着けずに素っ裸で入る方が解放感があってジルは好きなのだが……。最近のとある諸事情から、このタオルは欠かせない存在となっている。


 軽く身体を流し、初湯へと足を踏み入れる。丁度良い温さの湯がジルの身体をじんわりと癒し、疲れを取り除く。半分意識を手放しだらしなく口を開いたまま天井を眺めていると……。


「ジル様、失礼します」


 軽いノックの後、バスタオルを身体に巻いたセラが姿を現した。ひたひたと石畳に裸足を這わせ、ジルの傍に寄る。


「お湯加減、どうですか?」


「……ま、まぁ……悪くない、よ……」


 顔半分を湯舟に沈め泡を立てる主人の姿を見て楽しそうに微笑むセラ。


 これが先程述べた『諸事情』である。風呂の際、セラが必ず背中を流しにやってくるので色々と護る為にこの腰に巻いたタオルは必要不可欠なのだ。


「……」


 欲望に負け、横目でセラを窺う。バスタオルを巻いているので大事なところは隠れているが逆に身体のラインがくっきりと浮かび上がってしまい妙に煽情的だ。


 気付けば横目と言わずまじまじとセラの肢体を眺めてしまっているのだが、セラはそんな劣情と欲情塗れの視線を浴び頬を染めながらも静かに湯舟に入った。セラが浸かった反動で押し寄せる湯の波がジルの身体を撫でる。


「最近暑くなってきましたので、今日は少し温(ぬる)めにしてみました」


「お……、ウン、い、良いんじゃないかな……」


 再び横目。湯に入らぬよう長髪を紐で纏めているため露になったセラのうなじがジルの脳を直撃する。


 手を伸ばせばすぐ届く距離。抱きかかえようと思えば、襲い掛かろうと思えば、性欲をぶつけようと思えば容易く叶う距離にいながら手を出さない自分を誇らしく思うと同時に情けなくも感じていた。


 最初の頃は恥じらっていたセラも、最近はほんのりと頬を染めはにかみを浮かべる程度には余裕を見せている。一方のジルは全く慣れない。寧ろ欲は日々蓄積されそれを抑えるのに必死であった。


 あの日、あの夜に格好つけてセラに告げた『手を出さない』宣言が今になって邪魔になっている。と言っても、どの道今のジルに手を出す度胸は無いのだが……。


「今日もお仕事お疲れ様です」


「ん?あ、うん。アリガトウ……?」


 労いの言葉を掛けてくれるのはいつもの事なのだが、今日は何か違和を感じていた。彼女の労いの言葉に『お仕事』という言葉が入ったのが初めてだったからだ。それに、どこか含みを持たせたような意地悪っぽい言い方。


「今日は特に暑かったですからね。ジル様もさぞお疲れかと思います」


「うん?まぁ、言われてみればそうかもしれないけど……」


 不穏な空気をひしひしと感じとる。何か良からぬことが起きようとしているのではないかと勘繰るジル。そして、その予感は的中する。


「なので、今日は私とカリナちゃんの二人でお背中を流したいと思います!」


「は?え?ちょっ、待っ……」


 ジルが動揺を口にした時には既にカリナは浴場に姿を現していた。


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