第2話 主人の秘密を暴け

「う~ん……」


 何気ないルーティーンは、何気ない変化で狂いが生じる。


 それは、従者二人がいつものように主人の出発を見送る時に生じた。


「どうしました?カリナちゃん?」


 黄金の長髪と雪のように白い肌が美しいエルフの従者は、主人の背中が見えなくなったところで隣の獣人に問い掛ける。カリナと呼ばれた小麦色の肌の獣人は訝し気に獣耳を小刻みに動かし、小さな胸の前で腕を組む。


「その……。ジル様、いつもこうやって外出してますが、一体何をしてるんだろうなと思って……」


「ふむ……。確かにそれは疑問ですよね……」


 カリナがジルに買われてから半月が経とうとしていた。季節は夏本番に差し掛かったところである。彼女らの服装も焦がすような暑さを考慮し上着は二人とも半袖。下に関してはカリナがミニスカート、セラが薄い生地のロングスカートといった軽装となっていた。その両方がクラシックスタイルのメイド服。主人の趣味である。


「それに、ジル様いつもあの鎧姿で出掛けてますけど、暑くないんですかね?」


「そうですね……。それも確かに……」


 表面上はジルの身体を気遣っているように聞こえるが、その本質は知的好奇心から出た言葉であった。当然と言えば当然のように湧いてくる疑問である。


 鎧姿で出掛けたジルは時には大金を、時には珍しい食料や魔具を手土産に帰って来るのだから彼が普段何をしているのか、そしてあの鎧は何なのか、従者としては気になる事だろう。


 因みにセラはカリナの言葉にまるで『言われてみれば』という反応をしているが、彼女はそんな疑問とうの前から抱いている。抱いているが、それをジルに対してぶつける事は無く、彼を詮索しようという気持ちも淑女の嗜みで抑え込んでいた。


「ちょっと、気になりますね……」


 しかしその淑女たるべきという心の鎖もカリナの言葉が容易く断ち切り、抑え込んでいた欲望がひょっこりと顔を出す。


 カリナの若く、純粋な好奇心に乗っかってしまえとセラの心の中の悪魔が囁くのだ。だからこそ自分から調べよう、聞いてみようとは口にせず、あくまでカリナの疑問に同意するという形で興味有りの意志を漏らした。


「やっぱりセラさんも気になりますか」


「ええ。気になりますね」


「私も気になってるんですよ」


「やっぱり気になりますよね」


「……」「……」


 照り付ける日差しの中、下腹部に手を当て美しい姿勢で直立不動する二人。


 絶対に自分から核心を切り出すまいという意地。静寂という圧をお互いが押し付けあっていた。


「そう言えば……。最近、ジル様の部屋が随分と埃っぽい気がするんですよね……。特に机とか、クローゼットとか……」


「……!」


 姉貴分であるセラが、羽虫の羽ばたきのようなか細い声でポツリと呟く。


「それはいけませんね~。しゅじんのへやのそうじがいきとどいていないなんて、あるまじきことですね~」


「……!!」


妹分のカリナが、他人事のように明後日の方向へ言葉を発する。


「重点的に……」「掃除しなければ……」


「「ですね!!」」


 お互いの意志の疎通が完了し、大義名分を手に入れた従者達。


『仕事』に向かう彼女達の足取りは何時に無く忙しなかった。



――――――――――



 ジルの部屋は屋敷の二階、セラやカリナの部屋とは広間を挟んで反対の通路の一番奥にある。


 主人の部屋故、普段はなるべく速やかに、なるべく干渉せぬよう清掃を済ませているのだが、今日は違った。


 扉の前に立つ掃除用具を手にした従者二人の瞼は大きく見開かれており、隅から隅まで埃の一つ毛の一本とて残してなるものかという仮初めの意気込みがひしひしと伝わってくる。


「で、では、入りましょうか」


「で、ですね……」


 セラの細い指がドアノブに這う。気のせいかいつもより重く感じる扉を開いた先には、毎日目にする光景。しかし、今日はそこが宝物庫のように感じられてならなかった。


「……」「……」


 体裁を取り繕うため、そして内なる罪悪感を少しでも緩和する為、二人は一応いつものように掃除を始めた。床を掃き、窓を拭き、埃を叩き、ベッドのシーツを直し……。


 そして遂に、その時は来た。


「あぁ~。これはいけませんね。確かに埃塗れです。これは念入りにお掃除しないと……」


 先に動いたのはセラ。年長者であり先輩である自分が率先して動かねばという使命感。という建前の下、我慢の限界を迎えたセラが花に惹き付けられる蝶のように埃一つ無いジルの机へフラフラと足を運ぶ。


 その様子を見たカリナは誰に見られているわけでも無いのに身を屈め、四つ足でそろりと主人の衣類が収められたクローゼットの前へ辿り着く。


「きょ、今日はとても天気が良いので、服を干さないと……」


 セラの耳にも届く声で呟くと、カリナはクローゼットの扉を開いた。


「……」


 一見して普通の内容である。ジルが普段着ている地味な服が羅列しており、特に変わったところはない。右手で適当に埃を叩く素振りを見せながら左手でそっと引き出しを開くもやはり変わった所は特に無い。


 よくよく考えたらジルが着ているあの鎧を入れるにはこのクローゼットではいささか広さが足りないような気もする。鎧はこの部屋でなく、別の部屋に置き場があるのだろうか。そんな事を考えながらも、カリナの可愛らしい指は無意識の内にジルの上着の裾を摘まんでいた。


「大きい……」


 自分より遥かに大きい男が着る服にカリナはほんのりと頬を赤め見蕩れる。魔が差したカリナはその服を手に取り、あろうことか服の上から重ね着してしまった。


「……むふん」


 今までに感じたことの無い包容感。まるで優しく抱かれているような、それでいて幾重にも重ねられた堅牢な盾を思わせる頼もしさをカリナは全身で感じ取っていた。


 一方。セラは不自然に自然な動きで机の上を拭く手を引き出しの取っ手まで運んだ。一番下の引き出しから開けようとしたのは彼女に残る良心がそうさせたのか、それともただ単にメインディッシュを最後に残そうとしただけなのか。何にせよ遂にセラはその未開の地を開いた。


(こ、これは……っ!)


 引き出しの中にあったのは十数枚もの栞が挟まれている一冊の本であった。随分と質の良い紙で作られており、何かの学術的な書物なのではないかと予想したセラ。好奇心に負け、心の中で幾度もジルに対する詫びの文言を反芻し、身体で本を隠しながらゆっくりと膝の上で本を開く。


 セラの穢れ無き瞳に飛び込んできたもの、それは……。


「きゃっ!!」


 絹を裂くような悲鳴。それと同時に反射的に身体が跳ね、持っていた本が宙を舞い、開かれたまま床に落ちる。


「ど、どうしました!?」


 裾と袖をズルズルと引き摺りながら落ちた本の下へ駆け寄ってくるカリナ。


「ま、待って!!!!!!」


 セラが目に大粒の涙を浮かべ手の平を突き出したが時既に遅く、本の内容はカリナと共有されてしまった。


 そこにあったもの。そこでカリナが見たもの。


 それは、女性の裸体を淫靡に描いた『絵』であった。


「………………」


 ボンッ。そんな音が聞こえてきそうな勢いでカリナは顔を朱に染める。永遠にも思える静寂の後、堰を切ったようにカリナが声を上げた。


「なななななな!何ですかコレはっ!セラさん!一体何を見つけちゃってるんですか!!」


「かかかカリナちゃんこそ!な、何でジル様の服を着てるんですか!」


「こっ!これは何というか……!つい……!そっ!それよりも……」


 顔を真っ赤にした二人は恐る恐る本を覗き込む。セラは顔を覆った両手の指の隙間から。カリナはうっすらと瞼を閉じながら。やはり何度見ても、そこに描かれているのは『えっちな絵』であった。


「……こ、コレは、何と言うか……。よ、要するに、そういう本……なんですよね?」


「そ、そういう本って何ですか?私、そういうの、詳しくなくて……」


「あ!ズルいですよカリナちゃん!わ、私達はもう共犯者なんですよ!?」


 涙目で両手を振り喚くセラ。そんな情けなくも可愛らしい姉貴分を前にカリナはそっと本を閉じた。


 一瞬、「あっ……」と何とも残念そうな声がセラの口から漏れる。不幸な事にカリナの聴力は人間離れしており、幸いなことにそれを聞かなかったふりをする度量が彼女にはあった。


「と、兎も角……。これは見なかったことにしておきましょう」


「で、ですね」


 ジルの男としての一面を見てしまい居心地が悪そうにも身体を捻る従者達。今更だが彼は男であり、それも奴隷のハーレムを作ろうとしている雄である。これぐらい持っていても何ら不思議では無かった。


「……」


 元在った場所に戻すようにと本を手渡され仕舞おうとするセラ。しかし、本を置こうとした刹那、彼女の中の悪魔がそっと耳打ちをする。気付けばセラの指の腹が栞が挟まれたページの端に掛かった。


「……何してるんです?」


「ひうっ!?」


 耳元で声を掛けられ背筋が跳ねる。持っていた本が机にぶつかった衝撃で引き出しが勢い良く飛び出すと、中に入っていた紙が数枚床に滑り落ちた。


「あ、あぁ~。セラさん……」


「うぅ……。すいませぇん……」


 年下に諫められながら背を丸めて紙を拾うセラ。


 もしかしたらまた卑猥な絵が描かれているかもしれないと半目で拾い上げていく。しかし、結局欲望に負けしっかりと紙に書かれている内容を見てしまった。そして、セラの手が止まる。


「これは……?」


 その反応に一瞬身構えたカリナであったが、セラの真面目そうな表情を前に警戒を解き、横から覗き込む。


「あ……!こ、これは……」


 そこに書かれていた内容。それこそが、普段ジルが外出している謎を解き明かす一つの答えだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る