第3章

第1話 戦争の予感

 鶏口になるも牛後となるなかれ。


 掘っ立て小屋の裏で山積みになった汗まみれの服を巨大な桶に突っ込みながら、とある位の低い兵士は昔どこかで聞いた異国の諺を思い出し、まさに今自分が置かれた状況がその言葉通りであるという認識を溜息として表した。


 彼はかのオズガルド帝国の兵士である。が、それは名ばかりであり実際は下部組織の更に下っ端の小間使い。威張れるような身分では決してない。


 渋面で男臭い服を手洗いするその小間使いの名はロバート。名に閃光を冠する凄腕の剣士……というのは過去の話であり、今はスワンと名を変え惨めな生活を送っている。


 今日も今日とて雑用に励むロバート。ここに来て暫く経つが何一つ代わり映えの無い窮屈で圧迫される日々にいい加減嫌気が差していた。


 ここを抜け出し、地方に散らばるギルドのクエストをこなして日銭を稼ぐ生活に身を投じるのも悪くは無いのだが、戦争が終わり燃え尽き症候群に陥ってしまっている彼には中々その行動が起こせないでいた。結局、頭の中で愚痴を漏らしながらも雑用に従事するしかないのだ。


 とは言え。何の楽しみも無いわけではない。


「やぁ、スワン君、お疲れ様。僕も手伝うよ」


「あ、すんません」


 現れたのはロバートの先輩であるジメド。水浴びをしてきたのか枯れ葉のような褐色を帯びたくせっ毛がしっとりと張り付いていた。彼は腕まくりをすると衣服が入り乱れ黄ばんだ汚水が蠢く桶の中に躊躇いなく手を突っ込む。


「いやぁ、今日も暑いね。いい加減夏服を配布してほしいよ」


「予算が無いんでしょ。あったとしてもあのバカ上司共が酒に使うからどの道っすけど」


「こ、声が大きいよ!スワン君!」


 肝の小さい先輩は執拗に辺りを見渡し誰も居ないことを確認すると、胸を撫で下ろす。そんな反応を面白そうに見ていたロバートは今度は静かな声で先輩に問う。


「今日は、何か進展がありましたか?例の件に関して」


 その問いに、ジメドの表情が明るくなる。


「うん!あったよ!結構大変な事になってるみたい!」


 急な興奮が手に伝わったか、飛び跳ねた汚水がロバートの頬に跳ねる。


「あ!ごめん……」


「いや、大丈夫っす。で、何があったんですか?」


「あ、そうそう……。なんと、例のエルフの奴隷をソリア皇子が取り返そうと画策してるみたいなんだ」


「マジっすか」


 ロバートにとってそれは素晴らしい報告だったらしく、興奮した勢いで手が水面に叩きつけられ跳ねた水が二人の顔に掛かった。彼にとって、レッドデビルが起こしているトラブルの進行具合を聞くのがささやかな楽しみとなっていた。


「うん、マジだよ。相手はあのレッドデビルだからね。直ぐにではなく戦力を整えてからって噂だけど」


「はぁ~。そりゃ大事件だな……。下手すりゃ戦争になるんじゃないっすか?」


 顔に跳ねた水を袖で拭うジメドに対し、作業の手を止め腕組みするロバート。


「戦争だなんてそんな大袈裟な……。いくらレッドデビルとはいえ帝国には勝てないよ。大人しく引き渡すしかないんじゃないかな?」


「そりゃないんじゃないっすか?それこそ相手はあのジ……、レッドデビルっすよ?平和的な解決は有り得ないでしょうね」


「う~ん。だとしたら、やっぱり戦いになるのかな?だとしたら、僕達も駆り出されるかもね」


「あぁ、十分に有り得るっすね、それ」


 冗談で言ったつもりなのに割と深刻な答えが返ってきてしまい、青ざめるジメド。


「……あ、有り得るの?」


「そりゃあ。下っ端が取り敢えず突撃させられたりなんて戦争じゃ普通っすよ。フツー。特に俺達なんて国にとっちゃ居ても居なくてもどうでも良い存在っすからね。真っ先に候補に挙がるんじゃないっすか?丁度良いからレッドデビルに間引いてもらえ、みたいな感覚で」


「…………た、戦いに、なるのかなぁ」


「さぁ?分かんないっすけど、面白い事になりそうなのは間違いないっすね!」


 今にも泡を吹いて倒れそうな先輩を余所に、ロバートは期待に胸を膨らませていた。もし仮に先ほど言ったような展開になるのであれば、真っ先にレッドデビルに突撃するのはこの自分でありたいと想いを馳せていた。


 ジルは共に戦場を駆け巡りお互いを認め合った仲間である。故にその強さも熟知しており、また、武を収める一人の戦士としてレッドデビルという化物にいつか挑んでみたいという願望もあった。


(ジルが相手の戦争か。因果なもんだな。帝国で働いてなきゃこんなチャンス巡ってこなかっただろうからなぁ……)


 まだ戦争になると決まっているわけでは無いのだが、ロバートの中では既に確定事項のようだ。


(しかし……。色好きのソリア皇子がそこまでして欲しがるエルフってのは、果たしてどんだけ美人なんだろうな)


 様々な憶測や妄想に想いを馳せながら、ロバートは魂の抜けかけた先輩を放置したまませっせと雑務に精を出す。


 『閃光』の名が再び大陸に轟くのは、そう遠くない未来の事であった。

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