第7話 親子水入らず
「やぁ。こんな所に居たとはな」
よく知る者に対しするような、随分と親し気な挨拶の言葉であった。
それもその筈。声を掛けた男は、目の前でマントを翻し佇む皇子の親なのだから。
「ッ……」
メメノは漏れそうになった声を気合で呑み込む。彼女はこれでもヴァローダの盾の一人であり、彼に危害が及ばぬよう細心の警戒を張り巡らせていた。つもりだった。
しかしこの黒きフード姿の男は、そんな彼女の警戒を嘲笑うかのように軽い足取りで主人の前へと現れたのだ。
「……父上。少々野性味溢れた香りがしますね」
父の突如の来訪に一瞬だけ目を見開くヴァローダ。隣に歩み寄ってきたアダンを快さそうに迎え入れる。
黒いコートを羽織ったアダンはフードを脱ぐと、汗の滲んだ良い笑顔を浮かべた。
「いやはや、すまんな。ちょっと野暮用で糞を運んでいたのだ。つくづく大変なものだな。民の暮らしというものは」
「ハハハ。オズガルド帝国の頂点に君臨する貴方が糞運びとは。父上らしいですね。お変わり無さそうで何よりです」
「お前もな」
二人は視線を交わす事無く、少し離れた場所で起こる乱痴気騒ぎの方へ身体を向けていた。巨大な黒き魔獣が数個の人影と激しい戦いを繰り広げているのが見える。
「すまんが、親子水入らずで話がしたい」
「……」
メメノは黙って姿を消した。微かな名残にヴァローダは優しい笑みを浮かべる。
「しかし父上。このような場所で一体何を?気散じに祭りをご覧になられに来たのですか?」
「まぁ、そんな感じだ。そういうお前は何故此処に?」
「気散じですよ。私も」
「全く。お前もソリアも、随分な放蕩癖だな。国の長が頻繁に国を空けてどうする。王ならばどっしりと構えておらねばならぬだろう」
「父上がそれを仰いますか」
「私は良いのだ。第一帝国はロンゼルに任せているからな」
ロンゼルとは、第一帝国の皇子であり、ベンティス三兄弟の次男の名である。武力、野心、そして気高さを備えた戦士である。
「私も日々激務に勤しむ身。たまにはこうして息も抜きたいのですよ」
「デアナイトを雁首揃えてか?」
挑発を孕んだアダンの問いに、ヴァローダは涼しい笑みを浮かべたまま無言を返した。親子水入らずの時間の筈なのだが、身体は近く、心は遠い。
「まだ尚早だ。どちらもな」
「何の事でしょう」
「負い目に思う事など何もない。寧ろ、邁進するがいい。それこそが私がお前達に求めているものなのだから。だが、まだだ。まだお前では、あの女を殺し切らぬ」
アダンは顎髭を撫でながら、遠く離れた家屋の上で魔力を練る聖女へと視線を移す。
「フフ。女狐め。私の存在に気付いているな。面倒になる前に私は還るとしよう。我が故国ヘな」
「おや。お戻りになられるのですね。という事は……」
「うむ。本格的に領土を広げるつもりだ。お前も準備しておけ。まだ、私の手の内で転がるつもりはあるのならな」
風に吹かれた綿毛のように、アダンはふらりとどこかへ消えた。
十数秒経ち、安全を確認してからメメノがふわりとヴァローダの背後に舞い降りる。
「ご無事ですか」
「ハハ。何のことだい?親子だよ?」
「ご無事ですか」
「……」
ヴァローダは両手を広げくるりと回って見せる。その茶目っ気にメメノも漸く警戒を僅かに解いた。
「僕には、あまり時間が残されていないのかもしれないね」
顔は笑っているが、言葉は笑っていなかった。メメノは何か言おうと一度口を開けたが、言葉を噛み切るように唇の内側を噛んだ後、再び口を開いた。
「それにしても、存じ上げませんでした。ヴァローダ様が国を放って遊覧に興じるまでに追い詰められるような激務をこなしておられるとは」
「え?あ、いや。き、聞いていたのかい?」
「地獄耳です故」
「……参ったなぁ」
いつも仕事を代わりにやってもらっている部下に合わせる顔の無い上司は、誤魔化すようにジル達の応援を始めた。
この魂礼祭が終わってから暫くは、本当に激務の日々が続いたという……。
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