第4話 守護者登場②

「さて。それではお仕事に励むとしましょうか」


 ボンロイは地響きを轟かせながら黒き魔獣の前に立ち塞がる。彼はヒト型の魔獣の中でも最大級の大きさを誇るギガース族の一人であるが、そんな彼が、僅かとはいえ見上げる相手に出会ったのは同族以外では初めての事であった。


 しかしボンロイは慌てない。油断ではなく、自信と使命感による冷静であった。


『わ~!ボンロイだ!』

『がんばれ~!!』


 とある家屋の二階の窓から顔を覗かせる子供達に、ボンロイは両手を掲げ、力こぶを作って見せる。彼は街でもそれなりに人気の存在であり、子供達のヒーローのような存在であった。


 手を振り声援に応える巨人の姿に、様子を見ていた群衆はやはりそう言う演出なのではと次第に落ち着きを取り戻し、そしてボンロイに声援を送った。酒を売り始める者や、賭けを始める者さえ居た。


「……チッ。余裕ぶりやがって」


 仕事を終えた先輩の見張りが再度持ち場につき、ボンロイの背を眺めていた。


「一応、先の戦争ではそれなりに活躍したらしいぜ?」


「まぁ、アレだけデカけりゃ歩くだけでも戦力だろうさ。でもよ、見て見ろよ。あの黒い奴、あのでくの坊よりもデカいぜ。大丈夫なのかよ」


「さぁな。兎に角俺達の仕事は終わりだ。後は見守ろうぜ」


 二人の先輩の前で、ボンロイは腰に提げていた小剣を手に取る。小剣とは言ったが、それは彼の体格と比較しての表現であり、実際は大木を幾重にも重ねたようなサイズである。剣ではあるが刃は潰されており切れ味は無い。実質的にメイスのような武器だ。


「言葉は、通じますかね?」


 剣を手にしながらも、柔らかい声で目の前の黒き魔獣に問いかける。魔獣からは何も帰ってこない。不思議そうにボンロイを眺めている……ように見える。


 が、次の瞬間。トトリオンの腕が微かに動いたかと思うと、その細く長い指がボンロイの心の臓目掛けて突き出された。


「ぅおっと」


 落ち着いた様相から放たれた突然の殺意にボンロイは身を大きく仰け反らせる。魔獣の指先はギガースの身体を微かに掠め、僅かに肉を削ぎ落していた。


(……速い。躱せたのが、不思議なぐらいですね……)


 指先が掠めただけで強烈に植え付けられる圧倒的な力の差。しかしボンロイは冷静であった。自分が相手より劣っていると確信した上で最善の行動を探る。


 彼は短剣を両手で握り、半身が捩じれる程振りかぶった。防御を捨てた捨て身の一撃が、トトリオンの扁平な頭部に激しく打ち付けられる。巨大な鐘の音のような鈍い音が響いた後、衝撃波が辺りを駆け巡った。


「……」


「……」


 不気味な静寂が訪れる。短剣を叩き込んだボンロイは、血の滲む手で短剣を持ったまま目の前でただ立ち尽くす魔獣の様子を窺う。


 突如として、トトリオンの目が見開かれた。


「うっ……!」


 まるで巨大な赤い水晶。感情を感じさせぬ丸く巨大な瞳が露になった瞬間、ボンロイの躰から血飛沫が舞った。


「うおおお!?」


 何が起こったのか一瞬理解できなかったボンロイは慌てて飛び退く。が、袈裟斬りにされた彼の身体が宙に浮いた瞬間、黒く長い手が右肩を貫いていた。


「ぐむ……。うおお……っ!」


 咄嗟に身体を捩ったおかげで急所を貫かれることは回避したが、しかし一瞬にして重傷を負ってしまう。剣を掴もうにも片腕は最早使い物にならず、傷口からは酒樽をひっくり返したかのような勢いで血が流れていた。


 そしてここに至り、群衆はこれが祭りの演出などではないという事を、血を見る事で本気で理解した。


「かかれ!!」


 待機していた聖騎士団が一斉に攻勢に出る。が、刃を突き立てようにもその外皮は鉄のように堅く、そして魔法を放っても手応えがない。


 次第にトトリオンの抵抗も激しくなり、聖騎士団達は直撃こそ避けるものの風圧や衝撃波で吹き飛ばされてしまう。そして遂に、トトリオンは真っ赤な瞳を剥き出しにしながら街への門を突き破ろうと駆け出した。


 群衆から悲鳴が上がるが、しかし街に被害は出ない。見れば、巨大な黒い壁が街の前へ現れトトリオンの侵入を防いでいた。


 見れば、その壁の前に聖女の姿が。


「流石にそこまで許した覚えはありませんよ?」


 それがアルテレスの魔法であると気付いた瞬間、大歓声が上がる。


 聖女は余裕の笑みを浮かべていたが、残念ながらその仮面はすぐに剥がれる事となる。


「……ッ!!」


 アルテレスは慌てて魔法を解除した。しかし、既に


 ほろほろと無残に崩れていく黒き壁の向こう側から、狩人の猟奇的な笑みが覗く。


「アルテレス様」


 異変に気付いた側近のテーラが声を掛ける。アルテレスは一瞬だけ素の感情の籠った笑みを浮かべた。


「どうやら、魔力を吸収する能力があるようです。……かなり持って行かれてしまいました」


「……」


「心配はありません。どうとでもなります。ただ、少しだけ時間を稼いでもらえると助かります」


「承知しました」


 アルテレスの首筋に血脈が走っていた光景を、テーラは記憶から消した。



 ―――――



(……んん?魔法が、消された?……いや、吸収されたのか?)


 遠くから様子を眺めていたヴァローダが訝し気に手を顎に当てる。


「これも計画の内、なのでしょうか」


「どうだろう。ここからだと聖女様の顔色が窺えないからよく分からないな。でも彼女の事だ。きっとこの事態も織り込み済みなんじゃないかな」


「しかし、このままだと、街に被害が出てしまいますが……」


「あぁ、それなら多分大丈夫だと思うよ。今、この街に居るのは何も聖騎士団だけってわけじゃないからね」


 ヴァローダの言葉を待たずして、雷のような轟音がセラセレクタの街に響く。


 紅茶のお代わりを淹れ終えたメメノが目にしたのは、街の外で大きく尻もちを突くトトリオン。


そして、屋根の上で肉体美を誇示する男の姿であった。

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