第3話 守護者登場①

 セラセレクタは大都市である。当然のことながら警護にもそれなりに人員を割いている。しかし、それは飽くまでも小規模な事件に対するものであり、強大な武力の前には期待する方が酷というもの。


 町の周囲を見回っていた警護は皆、見上げる程の黒き魔獣の出現に、冷静な状況分析をした後に逃走を決意した。


 少し離れた場所で農作業に勤しんでいた奴隷達や、その他住民らしき者達が空を掻き分けるように逃げてくる姿が見えたが、助けに行こうとはしない。


 しかし、それは決して彼らが職務を放棄し我が身可愛さの為に見捨てたわけでは無い。いや、本音としては見捨てているのかもしれないが、彼らの行動は規範の範囲内であった。明らかに許容範囲外の事態が発生した場合、彼らは速やかに撤退し別のに委ねる事となっている。


「おい!」


「ああ!分かってるよ!」


 鐘を鳴らし終えた見張りは一度塀の中へ戻り、警護隊の区画にある広場に駆ける。


 そこには、見た目の割に上品ないびきをかきながら鼻提灯を浮かべる巨大な魔族、ギガースの姿があった。薄手ではあるが特注の警備服に身を包み、頭髪の無い頭にはオシャレな羽根突き帽子がすっぽりと被さっている。


「ええい!クソ!気持ちよさそうに寝やがって!」


 大人を大の字に踏みつぶしても収まり切ってしまう巨大な靴底から顔の方へ回り込む。凹凸の激しい顔から零れる淑女のようないびきに神経を逆なでされながら先輩の見張りは心地良さげに眠るギガースの横っ面に爪先を叩き込んだ。


「とっとと起きろ!このでくの坊!!」


「……うう~ん……。何ですか、騒々しい……」


 ギガースは野太くも品の有る声を漏らし、周囲に気を遣いながらのっそりと上体を起こす。大きな欠伸を一つ漏らすと、口からはみ出ていた大きな牙をいそいそと指先で隠した。


「仕事だって言ってんだよ!鐘の音が聞こえなかったのか!」


「おや、それは失礼。というか、私の力が必要な事態なのですか?」


「だからそうだって言ってんだろ!!!」


 ギガースを蹴った右足を痛そうに抑えながら怒鳴りつける先輩。


 一応立場としてはこの見張りの方が僅かに上なのだが、戦力としてはこのギガースの方が圧倒している。このギガース、名を『ボンロイ』といい、セラセレクタの護衛の一人だ。


「このタダ飯喰らいめ!たまには働けってんだ!」


「タダ飯ではありません。私という武力が存在する事で街の皆さんは安心して生活を送れるわけですから。私は存在するだけでも十分に貢献しております。それに、今まさに私を雇っている事で……」


 屁理屈は良いからさっさと行け。そんな先輩の怒鳴り声にボンロイは牙のように太い爪で頬を掻くと、塀の外へと歩き出した。


 ―――


「た、助けっ……!!」


 巨大な魔獣から逃げ遅れた女性の奴隷のか細い声が虚しく空気に溶けていく。


 トトリオンの動きは割と緩慢で単調な為、逃げられるものはわき道に逸れたりして難を逃れているが、恐怖のあまり動けなくなった者やパニックに陥りセラセレクタへ逃げる事しか考えられない者達が徐々に追い詰められていった。


「あ、ああぁぁ……っ」


 足が震えて動けなくなってしまった奴隷を巨大な影が覆う。決して意図的に踏みつぶそうとしているのではなく、気付かぬ内に虫を踏んずけてしまっていたような。トトリオンにとってはその程度の事であったが、その無機質さがより一層奴隷の背筋を凍り付かせた。


 恐怖のあまり目を堅く閉じたが、その瞬間、妙な浮遊感が彼女を包む。


「もう大丈夫だ。ちょっと掴まっててくれよな」


 堅く閉ざした瞼を開けると、そこには黄金の艶やかな髪を靡かせ微笑を浮かべる男の姿が。自分が彼に抱きかかえられていると同時に、宙を舞っている気付いた奴隷の女性は慌ててロバートの首に腕を巻き付け身体を密着させた。


(ムフフ……。役得役得……)


 実に爽やかな表情で劣情を胸に抱くロバート。助け出した女性をセラセレクタの塀の影へと避難させた。


「間に合ったようだね」


 振り返れば、逃げ遅れた奴隷を魔力の糸で抱え救い出したガーワインの姿が。彼は二人の奴隷を静かに降ろすと、三人の奴隷達に避難を促した。


「まだ錆び付いてはいないようだね」


「あったり前よ!で、この状況、どう見る?」


 地響きを放ちながら大都市へ向け歩みを進める魔獣を遠目に、ロバートが問う。


 真っ先に救助に駆け付けた二人であったが、マリステルダ聖団に追随の動きは無い。初動が遅れたのか、二人が出張ったから様子を見たのか。それとも……。


「そうだね……。流石にコレが演出とは考えにくいかな。今まさに人死にが出そうになっていたし、何らかの緊急事態とみて間違いはないだろうね」


「どうかな~。それも計算づくって可能性もあるぜ」


「まさか。いくら何でも穿ち過ぎだよ」


「お前は相変わらず馬鹿正直だな。ま、それが良い所なんだけどな。で、今からどうするよ」


「そうだね取り敢えずはマリステルダの出方を……」


 ふと、地響きがもう一つ増えたことに気付く。見れば、セラセレクタの街中から一人のギガースが現れ、家屋を見下ろしながら黒き魔獣へと向かって歩いているではないか。


「おっ、アレがこの街の守護者ってわけか」


「みたいだね。お手並み拝見、ってところかな」


 ロバートは柄に掛けた手を、ガーワインは出しかけた魔力の糸を仕舞い、ひとまず街へ戻る事にした。











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