第4話 美食とは

『それでは!競技のルールを説明します!』


 ミリナナの合図とともに会場の一角を陣取っていた緋色の布が取り払われる。そこには山積みになった食材が所狭しと並べられていた。魚、肉、野菜、果物、野草のようなものまである。


『皆様にはこちらの食材を用いて勝負を行って頂きます!使える食材は一人四つまで!食材の選択は早い者勝ちです!調味料や水などは可能な限りこちらでご用意させて頂いておりますのでその点はご安心を!あ、喧嘩や力づくで奪ったりはしないでくださいね?紳士的にお願いします!後述する評価ポイントにも影響してきますので!』


 参加選手の何人かは既に狙いを定めているようで、皆真剣な面持ちで食材の山を見詰めている。中にはとんでもない高級魚や希少性の高い肉もあり、運営の本気度が窺える。審査員達もその食材のレパートリーに感心していたようだが、ニアザだけは不満そうな面持ちで腕を組んでいた。


「ふん、美味い物を使えばそりゃ美味い料理が出来るに決まっているだろう。美食が何たるものかを分かっとらんな運営は!」


 わざと周囲に聞こえるような声で文句を垂れる美食界の重鎮に、ミリナナは笑顔を崩さず眉を顰めた。


『え~……。ルールは至って単純です。美味しい料理を作って頂き、完成した人から順番に審査員の方々に実食して頂きます。すべての料理の審査を終えたところで結果発表となります!味のみならず、料理の見た目や調理の所作にも評価点を設けておりますので、その辺も重々ご承知の上バチバチにやり合ってくださいね!』


 集いし腕自慢達は既にお互い睨み合っており、牽制を始めていた。が、ジルに対し威嚇をするような命知らずは居らず、まるで虐められているかのように周りには人が居なかった。観客席から聞き覚えのある爆笑が彼の耳に届く。次は本当に絞め殺してやろうと決意するジルであった。


『それでは、勝負開始です!!!』


 高らかに鳴り響くシンバルの余韻は湧き上がる大歓声に掻き消された。


 選手達が目当ての食材目掛け猛然と駆けて行く中、一人だけステージの上で腕を組んだまま動こうとしない男が居た。食材の山に辿り着いた者達は質の良い食材を我先にと取り合っており、みるみる内に山の標高は下がっていくのだが、それでも黒き鎧の男は慌てる様子も無くその醜き争いを壇上から眺めていた。


『お、おっとぉ?これはどうした事でしょうか!レッドデビル選手、動こうとしません!まさか、勝負を投げてしまったのでしょうか……!?』


 戦利品をもぎ取り調理場に戻ってくる選手達がジルの隣をすり抜けていく。戦意の欠片も窺えないその様相に観客の中からも野次が飛ぶ。審査員も呆れたような、拍子抜けしたような表情を浮かべていたが、しかし、ニアザだけは真剣な面持ちでジルを凝視していた。


「……」


 食材を調達していた最後の一人が大きな魚を抱え調理場へと戻って来たところで、漸くジルは歩き出した。あれ程までに豊潤だった食材の山はまるで食べかすのような惨状で、選手達の荒っぽい選別に巻き込まれ残飯の様に散らばっていた。残っている食材もろくなものは無く、骨が多過ぎて可食部の少ない肴や固く臭い魔物の肉といった物しか残されていない。


 しかしジルは迷うことなく食材を拾い上げる。充血した皮膚のような色合いの肉を二つと、人の顔程はあろうかという灰色の丸い根菜を二つ。その食材ではあらゆる美食に精通する審査員を唸らせることは出来ない事は素人目にも明らかであり、それどころかまともな料理が出来るかすらも怪しい。


 他の選手はそれぞれが料理の腕を振るい煌びやかな雰囲気を醸し出す中、まるで一人だけスポットライトから取り残されたように静かに調理場へと向かった。


「何だあれ……酷いな」

「あんな材料で何を作ろうってんだ?」

「勝負捨ててんだよ。ニアザ氏にあんなこと言われたからさ」

「あの食材なら負けても仕方ないとか、そういう雰囲気を作りたいだけじゃないの?」


 個人が特定される恐れがほぼないからと心無い言葉を口々にする観客達。司会者のミリナナも、審査員も、そして『猫の手』のメンバーもジルに対してどこか弛緩した空気が漂っていた。


 ただ一人、ニアザだけは違った。


「フフ……。これは面白い。成程。あれだけの大口を叩いただけはある。やってくれるではないか。まずは合格といったところか」


『む……!ニアザ氏、それは一体どういう事でしょうか!?』


 重鎮の呟きを聞き漏らす事無く、ミリナナは審査員席に詰め寄りニアザのコメントを待つ。


「食材に頼るのではなく、どんな食材でも美味に仕上げてみせる。それが真の料理人であると私は確固たる信念を持っている。美味い材料を使えば美味い料理が出来るなどという短絡的な思考から真の美食は産まれぬ。奴は今まさにそれをこの私に見せつけようとしているのだ。生意気にもな!」


 そう告げるニアザの顔には傲岸ではあるが、どこか期待の籠る笑みが浮かんでいた。


『な、なるほど~!そういう点ではレッドデビル選手は既に他の選手よりも一歩リードしている、ということになりますでしょうか!?』


「フン、癪だがそういうことにはなるだろうな。だが、言うは易し行うは難し。問題はこの先だ。見る限り奴が手にした食材は北方の沼地に生息する『ボノボロ』と呼ばれる魔物の肉、それも固く臭みがある背の部分の肉だ。そしてあの根菜は『イタカカバ』。あまりの堅さに食以外の用途に使われることが殆どの稀有な根菜だ。そのどちらも希少性はあるが食用として好まれる事は無い食材である。私の記憶する限りでは、アレをメインに据えて美味い料理を作れる料理人にはお目に掛かったことは無いな」


 大陸一の美食家の言葉に、会場には期待の籠った嘆息が満ちた。


「更に、だ。このままだと必然的に奴が料理を提出するのは最後の方となるだろう。それもまた不利な条件だ」


『ほう!と、言いますと……?』


「この料理勝負は審査員、つまり我々に提供する順番も非常に大きなファクターとなってくる。例えば肉料理の次にまた肉料理を出されたらどうだね?慣れた舌はその味を細部まで評価することは難しくなるだろう。無論、より美味い物を作ってしまえば良いだけの話だが、どうしたって最初に食べたほうの味の方が舌に根付く。逆に言えば肉料理の後にさっぱりしたものを出せばより良い評価が見込める可能性があるのも事実。この戦い、どのタイミングで料理を完成させ提出するかも戦略として関わってくるのだ」


『ほほう。言われてみればそうですね。甘いものの後に酸っぱいものや辛い物を食べたらより際立ちますからね』


「その通り。それを踏まえた上で、奴だ。奴が料理を提出するのはその材料からしてみても恐らくは最後。すっかり肥えてしまった我々の舌にどう立ち向かうつもりなのか……。フフフ……。実に面白い。このニアザ、とくと見届けてやろう!」


 その言葉と同時に、ジルのかまどから火柱が昇る。


 急に凝集される視線の中、ジルは自信に満ち溢れた所作でフライパンを握るのであった。

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