第5話 おばちゃんの誇り

「全く、ウチの大将は何考えてるんだかねぇ……」


 すっかり腹の凹んだリザードマンのジャンダルが観客席でぼやく。応援に駆け付けていた『猫の手』のメンバーもこの波乱の展開には冷や汗をかきっぱなしの様だ。これは決してジルだけの問題ではなく、ギルドの沽券にも関わる事態である。


 良くも悪くもあのニアザ氏に目を付けられているのは確かな事であり、下手をすればギルドの名に傷が付く。が、もし彼を満足させる料理を作ることが出来たのであれば、『猫の手』には箔が付くことになる。


「でも見て、あのジルさんの落ち着き払った様子……。自信に満ち溢れてるように見えるわ。それに、私も少し料理するから分かるけど、あの手つきは本物ね。普段から料理に精通していないと出来ない動きだわ!」


 ミスラの解説に沸き立つメンバー。俺達の大将ならやってくれる。そんな熱い希望が彼らを鼓舞していた。


「……」


 そんな雰囲気の中、同じように応援に駆け付けていたセラは両手を膝の上に置き、下唇を噛みながら黙ってステージを眺めていた。


「あら?セラさん、そんな神妙な顔して、どうしたの?」


「きっと緊張してんだよ。大丈夫、ジルならきっとやってくれるさ!ほら!セラちゃんも声を出そうぜ!アンタの声援がきっと大将のやる気をいちばん引き出せるだろうからさ!!」


 力強い笑みを送るメンバー達。これ以上やる気を出されては困るのだが。と、セラは痛切に思いながらも、乾いた笑みを浮かべ、喉の奥底から愛する主人の名を捻り出すのであった。


「ジル様~!お願いしますよ~!!」


 彼女の声が届いたのか、ジルは肉を焼きながら力強く拳を翳す。その様子を見ていた観客からは暖かな歓声と茶化すような口笛が巻き起こった。


 彼女はジルのパフォーマンスよりも、先に待ち受ける審査員達の悲劇をずっと心配していたのだが、万が一の奇跡に賭け、懇願するように祈りを捧げるのであった……。



 ―――――



『おおっとぉ!ここでさっそく料理を完成させた選手が出てきました!』


 早い。まだ始まって五分と経過していない。


 真っ先に料理を完成させたのはギルド『月の雫』に所属する炊事係の老婆であった。名を『コロン』という。桃色のエプロンと三角巾を身に着けたお茶目な老婆は料理を盛りつけた木製の器を両手に腰の折れた身体を細々した足の動きで運ぶ。


 審査員達は慌ててナプキンを首に巻き、老婆の料理がテーブルに並ぶのを待った。


「……これは……。スープ?いや、しかし、まるで汁は温まっていないようだが……」


 審査員の一人、美食家として名高い若き貴族の『ボナール』が怪訝そうな面持ちで器の中を覗き込む。雪の様に真っ白な魚の切り身と手で千切られた薄黄色の葉菜が湯気すら立たぬ汁の中に入っている。香りも殆どなく、見た限りでは貧相な冷えたスープであった。


『おやおや、これはどうやらスープのようですが……。しかし何といいますか、随分質素と言いますか……。いや、私個人としてはこのぐらい質素なスープの方が好みではありますが、それにしても不思議です。一体何がこのスープに隠されているのでしょうか!?』


 盛り上がりに欠ける地味な料理に賢明なフォローを入れるミリナナ。審査員のルルもマダムも思っていたのとは違う雑で安っぽい料理の登場に少し面食らっていたようだが、ニアザだけは違った。注意深く臭いを嗅ぎ、具を見詰める。


「なるほど。これは『ピピロム』の切り身と『ニエ』の葉だな?」


 ニヤリ、と頬を上げる。その言葉に、老婆は穏やかな笑みを浮かべ頷いた。


「はい、その通りでございます。流石ニアザ様。お詳しい」


『お、お、お?あのニアザ氏が微笑んでいるぞ!?何事でしょうか!?コロンさん、この料理の解説をお願いします!』


 ミリナナは慌てて拡声器を二人の間へ持って行く。コロンは少しやりづらそうにしながらも杖の先端に口を近付けた。


「こちらは、ピピロムという魚の切り身とニエという葉を、人肌に温めた水に入れたものです。簡単な料理ではありますが、胃に優しく、しかし滋養強壮にもなります」


「フフフ……。御仁、冗談は止せ。これが簡単な料理なものか」


 ミリナナは慌てて杖の先端をニアザに向ける。


「まず東方の河川に生息する淡水魚のピピロムだが、この魚は正しい手順で捌かねば一気に味を落としてしまう特殊な魚だ。素人が触ればたちどころに身は深緑に変色し悪臭を放ち始める。それをここまで鮮やかな純白を保ちながらこうも小さい切り身にしてしまうとは、とんでもない技量だ。セラセレクタの高級レストランの料理人でもこうはいかん。見事としか言いようがない。そしてニエの葉だが、旨味成分が凝縮された箇所が断面となるように千切られている。それも全て正確にだ」


 ここでニアザは合図も待たず匙を手に取り汁を掬うと、ミリナナの制止も聞かず唇の隙間へ汁を流し込んだ。噛むように口を動かした後、喉を細めゆっくりと胃に流し込む。そして、深い鼻息を吐いた。


「ふむ……。やはりな。極めつけはこの水の温度だ。ピピロムの繊細な身とニエの葉の繊維や旨味を損なわず、かつ双方の味を限界まで際立たせる温度。芸術の域だ。見事としか言いようがない」


 ニアザの言葉に、他の審査員も慌ててスープを飲む。魚の切り身を口に含み、ニエの葉を奥歯ですり潰す。


「む……!」

「これは……!」

「……」


 あまりの美味さに目を丸くするマダムとボナール。ルルは一瞬で完食し、お代わりと言わんばかりに空になった器を老婆に突き出していた。コロンは嬉しそうに顔の皺を増やすと、お代わりを注いでルルの前に置く。するとルルは吸い込むように一瞬で平らげてしまい、再度お代わりを要求した。


『ルルさん、随分と気に入って頂けたようですね~!どうですか?ご感想の方は?』


「毎日食べたい」


 あまりにも素直で端的な感想に、会場は暖かな笑声で包まれた。他の審査員も手放しで賞賛の言葉を告げる。


『これは初っ端から高得点が期待できそうな模様です!では最後に、ニアザ氏の評価をお聞きしましょう!』


「味も調理技術も素晴らしい。だが一つ気になるのは、この舞台に果たして相応しいものであったかどうかだ。この大舞台、もっと見た目も味も派手なもので良かったのではないかね?」


 少し意地悪な質問であったが、しかしコロンは微笑んだまま口を開く。


「この料理はですね、ウチのギルドの、『月の雫』の連中がいつも美味しい美味しいと言ってくれる料理でしてね。まあ何と言いますか、偉そうな物言いになってしまいますが、私はこの料理に誇りを持っているのですよ。それに、皆さんはこれからもっと美味しくてもっと豪勢な料理を食べる事になるでしょうから、このあっさりしたスープで胃を慣らしておくのが良いと思いましてね」


「……成程。良く解った。見事であった」


 ニアザは空になった皿を観客に見せつける。完食する。それがニアザの考える料理人に対する最大の評価であった。彼のその意図に観客は歓声と拍手を送り、コロンは深々と頭を下げステージから去って行った。


『いやはや、まさかのニアザ氏の絶賛!これはもう勝負がついてしまったようにも見えてしまうのは早計過ぎるでしょうか!それとも、それだけ今大会の出場者のレベルが高いという事でしょうか!次なる料理の登場が期待されます!!!』


 実際、ニアザがここまで賞賛の言を述べるのは異例の事であった。基本的に彼は辛口であり、これまでに何人もの高名な料理人の心を砕いてきた。『ニアザは誉めない』。それが料理界隈での常識である。それ故に彼の今回の評価は他の審査員も、観客も、そしてアルテレスも目を丸くしていた。


 応援に駆け付けていた『月の雫』のメンバー達は既に祝賀ムードに包まれている。それ程までにニアザの賞賛は絶大であった。


 まだ一人目だというのにまるで優勝が決定したかのような雰囲気に、後続の選手達の手が鈍る。次の料理が出てきたのはそれから五分後の事であった。




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