第10章

第1話 報告

「結局、バラドは取り逃がしたと。そういう事だね?」


 視界に映るは薄い笑み。されどその言葉に温情は感じられず。喉元に刃の切っ先を当てられているような感覚にサルトーラは呼吸を忘れこれ以上伸びない背筋を更に伸ばそうとした。


「ま、そんなとこだな。仕方ないだろ、今回もまた急に消えられたんだ。その対策法が無いまま捕獲して来いって言われても無理に決まってるだろ」


「その無理を何とかさせる為に、キミ達二人を選定したわけなのだが……」


 城に還って来たサルトーラとメルローは任務の結果を報告すべく、一人で利用するにはあまりにも広すぎる王の庶務室に参じていた。報告だけならお前だけでも問題無いだろとサボろうとしていたメルローをサルトーラは無理やり連行してきたのだが、その選択は正解であった。


 目の前の王が放つ蝋燭の灯程度の矮小な機嫌の悪さは、しかしサルトーラにとって命を諦めるに十分過ぎる圧を放っており、メルローが居なければその圧を一身に受けて気を失っていただろう。


 ヴァローダは紙面を走らせるペンの動きを止め愛用の眼鏡を外すと、小さく肩を回し湯気の立つカップへと細長い指を絡めた。


「その後のバラドの足取りは?」


「さぁな。皆目見当がつかねぇ」


「……」


 もう少し気の利いた言い方をしてもらえないかと心の中で懇願するサルトーラの前で、メルローは明らかな作り笑いを浮かべる王に対し告げる。


「捕獲には失敗したけどよ。それなりに収穫はあったぜ?なぁ?サルトーラくん」


 その呼びかけにサルトーラはつま先立ちになりそうな勢いで背筋を伸ばし端的な敬礼を済ませ、一歩前に歩み出る。


「じ、実は、バラドの去り際にある細工を仕込んでおいたのです」


「ほう?どんな細工だい?」


 僅かだが期待の籠る王の声に、若き将校の額には汗が滲む。


「奴に接近した際、奴の身体に私の感知魔法を張り巡らせておいたのです。それこそ、皮膜のようにぴったりと。そしてバラドが姿を消した瞬間、その魔法に反応はありませんでした」


「ふむ、つまり?」


「バラドは魔力を有しているどころか魔法を発動させている状態です。奴の魔法が透明になるだけの魔法なら、移動の際に必ず反応がある筈なのです。しかし、反応はありませんでした。瞬間移動の可能性も疑いましたが、おそらくはそれも否定されるものと考えております」


「……」


 黙って紅茶を啜るヴァローダの視線が次の言葉を求める。


「その根拠となる現象が、我々がバラドとレッドデビルの戦いを見ている最中に起きたのです。バラドはレッドデビルの攻撃を回避する際に同様の魔法を使って見せましたが、消えてからまた現れるまでにあまりにも時間が経っていたのです。体感ですが五秒程経っていたと思われます」


「成程。だが、例えばバラドが一旦別の場所に移動し、そしてまた戻って来たという可能性もあるのではないかな?」


「その可能性は無いな」


 口を挟んだのはメルローだった。彼はポケットから小さな筒を取り出しデスクに放り投げる。筒は小さな音を立てて卓上に転がった。それが伝達用の魔具である事はヴァローダにも直ぐ解った。


「バラドの攻撃を受けた時に、片割れをこっそり奴の衣服に仕込んどいたんだ。で、奴が消えた瞬間に俺が持ってたそれを作動させた。すると、どうなったと思う?」


「……」


 余興に付き合おうとしない王に半目を向けながら、メルローは続けた。


「魔力の球は飛んでいかなかった。それはつまり、もう片方を感知できなかったって事だ。どこに居ても迷わず片割れを見付けて飛んでいける性能を有しているにも関わらず、だ。仮に奴の魔法が瞬間移動なら、必ず追いかけて行っている筈。だが追っていないということは……。どういうことなんだろうな?」


「どういうことなんだ?」


「さぁ。そこまで知るかよ」


 てっきり答えが分かった上での問いかと思っていたヴァローダはその回答に苦笑を浮かべた。


「キミはどう思う?サルトーラ」


 メルローの隣で肝を凍らせた部下に優しく問いかける。


「と、透明になるわけでもなく、瞬間移動でもない。ともすれば私が考える可能性は一つ。それは奴が使う魔法が時空系の魔法であるということです。それも、別世界に干渉できるほどの強力な。例えば、その、召喚魔法のような……」


「……うん。現状を鑑みれば一番可能性があるだろうね」


 サルトーラの控えめな例の提示と、それに対するヴァローダの含んだ言い方には理由があった。そもそも時空系の魔法というのは極めて珍しい魔法であり、特に別次元に干渉し得る程度のものは最早御伽噺のような存在である。


 実際に使えた者は居たという記録は残ってはいるが、もう何百年も前の話である。数千年の歴史の中でも片手で数える程しかその存在を認められておらず、またその記録も真実かどうか怪しい物であった。


 故に状況的に可能性はあるが、常識的には有り得ない、と言わざるを得ないのだ。


 ただ、もし、仮にバラドが本当に時空系の魔法の使い手であり、別の世界に干渉できるような能力を有しているのであれば、それはバラドに対する危険度の評価を著しく上昇させることに繋がる。


「つーわけで、それが今回の収穫ってワケ。ご不満かな?」


「いや。充分だ。それだけ分かれば奴への対策も絞れる。講じられる策があれば、の話だけどね」


 ヴァローダが漸く見せたいつもの柔らかい笑みに、傍にいたサルトーラは全身の硬直が解け、背に汗が噴き出した。


「俺達のせいで余計厄介な敵になっちまったみたいだな。悪いね」


 全く悪びれずそう言い放ちその場を立ち去ろうとする男の背をヴァローダが呼び止める。メルローは非常に面倒くさそうに唇を尖らせながら振り向くと、そこには上司の涼やかな笑みが待ち受けていた。


「まぁ待て、メルロー。まだ報告は未完全だろう?バラドとレッドデビルがどのような戦いを繰り広げたのか、事細かに説明してもらわないと。気になって公務が手に着かないじゃないか」


「……何が公務だ。アンタ、仕事なんか滅多にしてねぇだろ」


 その言葉には部屋の片隅で聞き耳を立てていたメイド長も大きく頷いた。


「まぁ堅い事を言うな。どうせ暇なんだろう?」


「サルトーラに説明させれば良いだろ!」


「彼はキミと違って忙しい。なぁ?そうだろう?」


 暗に退出を促され、サルトーラは気持ちの良い返事と敬礼の残像を残すと駆け足で部屋から出て行った。それと同時に部屋の外で聞き耳を立てていた赤毛の女性が飛び込んできた。


「私も!私にも聞かせろ!」


 姿を現したのは第二帝国のデアナイトが一人、イリナであった。相変わらず胸元を露わにした大胆で非礼的な姿にメルローは辟易を顔に浮かべ、ヴァローダは楽しそうに微笑む。


「何でお前まで来るんだ」


「私だって聞きたい!バラドとレッドデビルがどんな戦いを繰り広げたのかを!!というかメルロー!お前、行く時は私にも声を掛けろと言っていたではないか!それをお前〜!!」


「あ~、もう、うるせぇ。デカいのは身体だけにしとけよ。だから連れて行きたくなかったんだよ」


 子供のように怒りながら詰め寄るイリナ。彼女の巨大な胸を鷲掴みにして進行を止めるメルロー。


 そんな喧騒を前にヴァローダは持っていたペンを卓上に投げると、メイド長に命じて新しい茶を四つ淹れさせるのであった。








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