第12話 ……キモい

 将校御用達の軍服を着た青年を差し置き、身分の低い軍服を身に纏った男が歩み出る。


 見覚えのある人物の登場にセラが声を上げるよりも早く、彼らの姿を目にしたバラドの顔がたちどころに憤怒へ染まった。


「貴様ら帝国兵が、何故なにゆえこのような場所に居る!」


「ん~。そうだなぁ。俺達帝国とそこに居るレッドデビルが仲間だから、かな?」


 ジル側に妙な緊張が走る。全くの出鱈目を飄々と言い放つ目尻の垂れた男に対し、バラドは嘲笑を以て応えた。


「くだらん嘘だ。もしそれが本当ならば、もっと早くに助けに入っている筈であろう。それに、この男がそのような小賢しい真似をする筈がない!貴様らのような義の欠片も持たぬ不誠実の権化と手を組む筈がない!下手な事を抜かすな!」


 激しい憤怒が熱を帯び二人の帝国兵に打ち付けられるが、二人とも表情は涼しい。


「不誠実の権化て……。酷い言われようだなオイ。なぁ?サルトーラくんもそう思うだろ?……あれ?サルトーラくん?ねぇ、ちょっと?何で黙ってるの?サルトーラく~ん?」


 上官の呼びかけに、サルトーラは無表情無反応を貫いた。バラドの言い分を否定できる材料が、この上官にはまるで無かった。


「まぁいいや……。ん~……。経緯の説明は面倒だから省くけど、取り敢えず、王サマの命令でね。お前を捕まえてこいって言われている。出来れば、大人しく捕まってくれると楽で助かるんだが……」


 バラドが大剣の柄に手を添えるのを見て、帝国兵は肩を落とす。


「……ま、だろうな。いやはや、勘弁してくれよ。俺、お前相手に手加減なんてできないからさ。下手したら殺しちゃうかもしれないんだよね。だから、出来れば大人しく捕まってくれや。それがお互いの為だからさ」


 語るに及ばず。最早これ以上の問答は無用と断じたバラドの鉄槌が男の頭頂部に振り下ろされる。が、接触の一歩手前のところで大剣は僅かに軌道を逸らし地面に深々と突き刺さった。突風が巻き起こり、帝国兵の身体がよろめく。


「うおっと……。はぁ~。流石はバラドだ。とはな……」


 バラドの大剣を躱した帝国兵は後方に跳び、赤く滲んだ手の甲に息を吹きかけていた。何とこの男、あの一瞬の間に素手でバラドの一閃を弾いて見せたのである。これにはバラドも怪訝そうに眉を顰め、ゆっくりと地面から大剣を引き抜く。


「貴様……」


「あぁ、自己紹介が遅れたな」


 男は砂まみれになった軍服を叩きながら、憮然とした態度で告げる。


「俺の名はメルロー。第二帝国お抱えの、デアナイト、ってやつだ。よろしくな」


「……メルロー、だと……?」


 その名には聞き覚えがあった。だが、その顔に見覚えは無かった。


 それもその筈。第二帝国の『メルロー』と言えば、滅多に人前に姿を現さない事で有名であり、デアナイトという立場でありながら大陸の覇権を掛けたレギンドの大戦ですら前線に出てこなかった程の出不精である。


 目立った功績も無ければ、彼が戦うところを目撃した者も殆ど居らず、帝国一謎に包まれたデアナイトでもある。実績が無いにも関わらずデアナイトという帝国の中でも頂点に位置する戦力に組み込まれている事実が逆に不気味であり、それ故人々はこのメルローという者の事を妄想し、脚色し、噂していた。


 その噂の世界の住人が今こうして目の前に居る事実にバラドも、そしてジルも、少なからずの高揚を抱いていた事は否定できなかった。


「成程。貴様がメルローか。まさかこのような場所で出会うとはな」


「割と良いシチュエーションだと思うがね。で、どうする?抵抗して捕まるか、それとも大人しく捕まるか」


 その言葉が不遜ではない事はバラドにも解っていた。故に、バラドは不敵な笑みを浮かべ、答える。


「戦ってやっても良いが、これ以上の消耗は避けたいというのが正直なところ。よってここは一つ、我が好敵手を見習って不様にも逃げおおせる事としてみよう」


「あっ!!」


 後ろで控えていたサルトーラが叫んだ時、既にバラドの姿は消え失せていた。高揚した空気だけを残して消え失せた男にメルローは呆れた様子で鼻息を漏らす。あまりに自然な、しかし恐ろしく素早いバラドの消失にメルローもサルトーラも反応が出来なかった。


 だが、二人に慌てた様子は見受けられない。


「どうだった?」


 メルローの問いに、サルトーラは首を縦に振る。


感知できませんでした」


「そうか。なら良し」


「……あの、追わなくても良いのですか?」


「追うって、どうやって?」


「それは……。し、しかし、このままでは任務が……!」


「良いんだよ。収穫はあったんだから。それを手土産にすれば王サマも納得するだろうぜ」


 もうこの話は終わりだ。そう言いたげに部下の肩を叩くメルロー。本当にそれで良いのかと生真面目なサルトーラは思い悩むが、上官の言う通りバラドを追跡する手立てがない以上、納得するしかなかった。


「では、あのサキュバスは如何致しますか?」


 不意に飛び掛かって来た火の粉に、セラ達が身構える。一難去ってまた一難といったところであったが、メルローは何の事だと首を傾げていた。


「え?いかがって言われても……。なんかあんの?」


「例の反乱軍幹部の件で殺人の罪が掛けられております」


 セラ達の間に駆け巡る緊張。しかし、メルローの表情は相変わらず緩かった。


「ふ~ん。ま、死んだのは反乱軍の幹部だから寧ろこっちにとってはありがたい話だろ。感謝こそすれ、咎める理由は無いわな」


 デアナイトの口から放たれた無罪放免の言葉にカリナが大きく息を吐き、地面に手を着く。セラも臨戦態勢を解き、凛とした面持ちで二人の帝国兵に相対した。


「レッドデビルは如何致しますか?今なら、仕留める絶好の好機かと……」


 悟られぬよう耳打ちしたつもりだったのだが、不運にもセラとカリナは耳が良かった。あっという間に険悪な雰囲気に逆戻ってしまった状況にメルローは責めるような溜息を部下に浴びせ、鬱陶しそうに首を左右に振る。


「オイオイ、滅多なことを言うもんじゃないよサルトーラくん。いやはや、一々お騒がせして済まない。この男はクソ真面目の煮凝りみたいな男でね、機転を効かせるという言葉から最も遠い人間の代表なんだ。安心しろ、今の俺達にはお前らをどうこうしようなんて考えは持ち合わせていない。何だったら、医者を呼んでやっても良いぞ?」


 好意的な提案にセラは満身創痍の主人に目配せする。言葉は交わさなかったが、セラはその提案を丁重に断った。


「じゃあ、俺達はもうここに用は無いな。行こうか、サルトーラくん。ここは暑くて仕方がない」


 メルローは名残を惜しむことなく驚くほどあっさりと、荒れた地面に難儀しながらさっさとその場から立ち去ってしまった。


「良かったのですか?本当に」


 安物の馬車の中にて、とめどなく流れる汗を軍服の袖で拭いながらサルトーラが呟いた。そんな部下の問いにもうこれで何度目になるか分からない責めるような溜息を漏らしながら、座席で寝転ぶメルローは答える。


「レッドデビルはウチの王サマのお気に入りだ。あそこで仕留めちまったらそれこそ帰って何言われるか分かったもんじゃねぇ。それぐらい分かれよ。頭に石でも詰まってんのか」


「……今ここで仕留めておくことで後の脅威を摘み取れると判断しての提言でした。第三帝国とのいざこざをお忘れですか?」


「それも、心配無い。レッドデビルのは大体見えた。あの程度なら、いつでも殺せる」


 虚勢の欠片も窺えぬ口ぶりに、サルトーラは微かな悪寒を背に感じた。


 その後、休憩で立ち寄った宿屋に着くまで二人の間に会話は無かった。



 ―――――



「一体、何だったのでしょうね……」


 帝国兵の後姿が見えなくなったところで漸くセラが声を漏らす。それと同時にその場に居た全員に夏の日差しの暑さを感じる余裕が生まれた。


 嘘のように静まり返った彼らの周囲はまるで強烈な竜巻が直撃したかのように荒れ果てていた。地面は抉れ、噴水は砕け、屋敷の正面は三分の一が崩壊していた。


 そんな凄惨な光景の中でも、ジルは胸を撫で下ろし、穏やかな微笑みを浮かべる。


「全く……。とんだ災難だったね……」


 セラが慌てて身を屈め、潤んだ瞳で心配そうに主人の顔を覗き込む。


「みんな、無事か?ククルは、大丈夫か?」


「大丈夫です!みんな、無事です!」


 今一番重傷を負っている人間からの憂慮に、セラの緊張した表情が僅かに綻んだ。


 ――戦いは、終わった。


 あのバラドを相手に生き残ったという現実に今だ思考が追いつかぬジルであったが、今こうして全員が無事にこの場に居る事だけははっきりと理解できた。


 ナナが、抱きかかえていたククルを半ば強制的にジルの傍に降ろす。


 ジルと目が合い苛立たし気に視線を逸らす小さなサキュバスに、ジルは嬉しそうに眉を垂らした。


「これからどうしましょう。直ぐにお医者さんを呼ぶとして、壊れた屋敷や庭の修繕もしなくてはなりませんし……」


「そうだねぇ……。やることは山積みだけど……」


 そしてジルは、汗まみれになった従者達を見て、静かに告げる。


「とりあえず、水浴びでもどうかな?」


「……キモい」


 真っ先に答えたサキュバスの少女の顔には、小さな微笑みが浮かんでいた。





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