第11話 敗北

「……」


「……」


 物言わぬ両雄。一人は地面に倒れ伏し、もう一人はそれを見下ろしていた。


 穏やかな静寂が辺りを包む中、見下ろす者が口を開いた。


「……見事だ」


 立っていたのは、バラドであった。


 景色の良くなった腹部を抑える手の隙間からは夥しい量の鮮血が溢れている。バラドは右手に着けられたチョーカーを外し適当に放り投げ、微かな息遣いをするジルに眉間を狭めた。


「貴様のこの一撃。生涯忘れる事は無いだろう。良い、とても良い闘いであった……」


 重苦しい吐息と共に吐き出された賞賛の言葉。彼が一歩ジルに歩み寄ると、その行く手を一人のエルフが遮った。彼女はジルの前で堂々と両手を広げ立ちはだかる。その青い瞳には光の無い殺意が宿り、清廉な顔は怒りと恐怖で歪んでいた。


 バラドは一瞬不快感を顔に湛えたが、居心地が悪そうに視線を逸らし頭を掻くと、呟く。


「これ以上、貴様の主人に、貴様らにどうこうしようとは思っておらぬ。勝負は最早、着いた」


 そして、彼は胸を反り、はっきりと告げた。


「この勝負、俺の負けだ」


 ……と。



 ―――――



(なんという......!このままでは……!!)


 数十秒前。バラドはジルの攻撃に追い詰められていた。このままでは身体を貫く紅き槍はより一層深く突き刺さり、魔力の渦によって内部から肉体が破壊されかねない。


 バラドに残された策は限り無く限られていた。


 絶叫の渦中、バラドは腹を括り、そして喉から絞り出すように呟いた。


「……『インガレオ』」


 その瞬間、バラドは忽然とその場から姿を消した。まるで初めからそこに居なかったかのような鮮やかな消失に、突如として抵抗を失ったジルの左手は大きく振り抜かれ、放たれた紅き槍は雲を裂き空の彼方へと消えて行った。


「……」


 しばらくの残心の後、ジルは虚ろな瞳を浮かべたまま地面へと吸い込まれて行った。彼を覆っていた魔力が散り行く中、バラドが音も無く彼の前へ姿を現した。


 その光景を間近で見ていたカリナは何度も目を擦り現実を疑った。彼が消え、そして現れた間の地面には足跡も無ければ血痕も無い。


 瞬間移動のようであったが、それにしては消えてから現れるまで随分なタイムラグがあるようにも思えた。


(まさか、戦いの中でを使わされるとはな。レッドデビルの異名は伊達ではないということか……)


 腹に空いた穴に手を当てる。出血は酷いが、バラドにとってこれは軽傷であり戦おうと思えばまだいくらでも戦えた。だが、今の彼にこれ以上戦闘を継続する意思は無く、その旨を目の前に立ちはだかる無謀なエルフへと伝えるのであった。


「貴方が、敗北?どういうことですか……?」


 言いたいことは解る。そう言いたげに肩を落とすバラド。彼の顔からはすっかり狂気が消え失せており、攻撃的な魔力も身を潜めていた。


「戦いの中では決して使わぬと決めていた魔法を使わされた。俺の美学に反する魔法でな。それを使わざるを得ないまでに追い詰められた。これは最早、敗北に等しい」


「……」


 その言葉を信じ切ることは出来なかった。強者としての美意識とでもいうのであろうが、少なくとも戦士ではないセラに彼のそのことわりは理解し難かった。だが、事実バラドは臨戦態勢を解いており、少しおどけたように苦笑を浮かべ肩を竦めて見せている。


 自分達に向けられていた純粋な嫌悪と憤怒から起因する濃厚な殺意も今やすっかり消え失せていた。あまりの豹変ぶりに寧ろ警戒の色を濃くするセラであったが、しかしバラドの意見は変わらなかった。


「誰が何と言おうと、この勝負は俺の敗けだ。貴様の主人にもそう伝えておくが良い」


「……俺の、勝ちと、は、言わないんだな……」


 枯れた声にセラが振り返る。カリナの膝に後頭部を乗せ天を仰ぐジルが、血まみれの顔に微笑を浮かべていた。傍から見れば明らかに敗北した側の男の言葉をバラドは豪快に笑い飛ばす。


「言うではないか!その豪胆、嬉しいぞ!だがな、流石にこの結末を貴様の勝利と断ずるにはこのバラド、そこまでお人好しではないぞ?今回の結果は俺の負け、ただそれだけだ。なに、またいずれ会うこともあろう。完全な決着はその時の楽しみにとっておこうではないか」


「……できれば、もう二度と、そのツラを拝みたくないんだが……」


「水臭い事を言うでない!死力を尽くし命のやり取りをした仲ではないか!最早仲間などという軽い言葉では語り尽くせぬ間柄なのだ。必ずまたどこかで交わる事となろう」


「勘弁してくれ……」


 どうしてもバラドはジルの事を諦めるつもりが無いらしい。


 何にせよバラドが見逃してくれると言っているのだ。これ以上何か余計な事を言って気を変えられては面倒だとセラは表情を変えず黙っていたが、その思惑を知ってか知らずかジルが訊ねた。


「ククルの、サキュバスの件は、もういいのか?」


 ……と。


 セラは思わず瞼を堅く閉じ、心の中で主人の名を叫んだ。


 その言葉を受け、バラドの視線はドラゴンに抱きかかえられ苦しそうに肩で息をするサキュバスの少女に注がれた。部下を葬り去った犯人の姿を前に、バラドの心の波が立つことは無かった。


 そして、告げる。


「貴様の主人の奮闘に免じ、此度の貴様の行いを不問としてやろう。せいぜい感謝することだな」


「ふざ、けるな……。お前は、絶対、殺して……」


 背後から飛んでくるククルの暴言に、セラの瞼が再び閉じる。バラドはそんな蛮勇を鼻で嗤い、今一度全員に目配せすると、漸く彼らに背を向けた。


 

 その時だった。



「はいはいそこまで。バラド=サーナス、お前を拘束させてもらうよ~」



 彼らに割り込むように突如として現れた二人の男性に、場の空気が固まった。一人は無精を絵に描いたような中年の男。もう一人は緊張で表情を硬くする背の高い青年。


 二人が帝国兵であると判断するのにそう時間は要さなかった。


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