第10話 レッドレクイエム④
「もう良い。分かった。貴様ら
氷柱を容易く握り砕きながら放たれたバラドの声は落ち着いていたが、それが逆に彼女らへ恐怖を植え付けた。
まともに相対して初めて分かる、バラドという男が放つ途方も無い威圧感。ただ向き合っているだけで身体は小刻みな震えを止めようとはせず、呼吸は喉で詰まり、脚は笑う。
こんな恐ろしい男と主人はあれだけの激闘を繰り広げていたのか。セラは生唾を呑み込みながら、空気に抱き着かれているかのように重い身体で何とか一歩踏み出す。
「惜しい女だ。それだけの魔法、極めれば一騎当千の強者となっていたであろうに。己の不運をあの世で嘆くのだな」
「……」
強がりを漏らす余裕すら無かった。だが、自分の行動に後悔は無かった。
例えここで命を落とすことになったとしても構わない。一度は救われた命を、救ってくれた人の為に使えるならば本望であるとさえ思っていた。
セラは自身の周囲に先ほどと同じ氷柱を張り巡らせる。ナナは地面に両手を着き唸りを上げ、カリナも跳躍の体勢に入った。
「……さて。先ずは、誰からだ?」
バラドの瞳が、冷たく光った。
―――――
何故自分の為に戦うのか。自分なんてさっさと放り出してしまえば良かったのに、何故そうしなかったのか。ククルは戦う主人の姿を目の当たりにしながら焦燥にも似た疑問を抱いていた。
相手はあのバラドだ。勝ち目など無いだろう。なのに、彼は迷うことなく自分を救う道を選んだ。それは何故か。その問いの答えは実は既に出ていた。というより、実際疑問を抱いていたわけではなく、自分の心を欺く為に分からないフリをしていただけだった。
『一言で言えば、バカね』
以前、ジルの魔力の性質を問われた際に答えた言葉を思い出した。セラが『彼の魔力が強過ぎるという意味では』とフォローを入れていたが、それは正しく事実であるがククルの言葉の意ではなかった。
あまりにも真っすぐ過ぎたのだ。ジルの秘めた魔力はまるで子供のように純粋な素直さを孕んでおり、良くも悪くも一直線に突出していた。それは彼の根源的な性格を示しており、彼のその呆れるほどの愚直さに対しククルはそう告げていたのだ。
だからこそ、彼女は確信していた。彼の言葉に、行動に、面倒な思惑や下卑た下心は無いということを。
だからこそ、彼女は苛立っていた。そんな人間が居てたまるものかという、彼女の過去が塗り固めた意固地がそれを拒絶していた。いざとなれば態度を変える。いざとなれば裏切る。彼女はそう自分に言い聞かせ殻に籠っていた。
だが、目の前の光景は最早彼女に言い訳を許さない。自分の為に命を投げ出し戦う男の姿は溶かされつつあった彼女の堅い心の殻に遂に小さな穴を穿ったのである。
「……クソが!」
少しだけ。ほんの少しだけ奴を認めてやろう。そんな寛容が彼女の心に灯ったと同時に、心の奥底から彼に対する理不尽な怒りが沸々と込み上げてきた。
ククルはよろめきながら無理やり身体を起こす。ナナが戦闘に介入したのはそれとほぼ同時であった。
―――――
「ふざけるなだと……?それはこっちのセリフだ!このクソ野郎!!」
目の前に現れたククルに瞳を揺らすジル。思考が纏まらぬまま彼女に胸ぐらを掴まれ押し倒された。一瞬の甘い香りの後、後頭部を強かに打ち付け苦悶するジルを知ったことかと揺らす。
その馬乗りの光景は、いつかどこかで見たものとほぼ一致していた。
「い、一体何を……」
「ふざけてんのはお前だって言ってるんだ!クソ野郎!」
ククルの腕を振り払おうと掴むが今のジルに彼女を退かせる余力は残されていなかった。大粒の涙が、ジルの頬に落ちる。彼女が初めて見せた弱々しい感情の吐露にジルは呆気に取られていた。
「私を幸せにするんじゃなかったのか!私を救うんじゃなかったのか!あれだけ大口を叩いておきながらそのザマはなんだ!何勝手に死にかけてんだ!ふざけるな!お前も結局口だけじゃないか!この大ウソつきめ!」
まさかのタイミングでようやく聞くことが出来たククルの好意的な言葉に、ジルは小さく息を漏らす。
「いや、誰のせいで」
「うるさいっ!!!」
場を和ませる冗談を言い切る前に額に鋭い頭突きをかまされ脳がシェイクされる。仮にもジルの魔力を有した状態のククルの一撃は危うく彼の意識を吹き飛ばしかけた。
「本当は私がバラドを倒すつもりだったんだ!でも、今回は特別にお前に譲ってやる!お前にチャンスをやる!だから、だから……」
ジルの服を握る手が、軋むほど強く震えた。
「口だけじゃないと証明して見せろ!できないなら、お前を、お前を殺してやるっ!!!!」
不意に引き寄せられるジルの身体。
――気付けば、彼女の唇はジルの唇と重なっていた。
「ふんぐぐぐ!?」
勢いが付き過ぎたか、ククルの唇が歯で裂ける。しかし構わずジルの唇に吸い付き、舌を押し込み掻き回した。鉄の味と温い水気に混じり何か力強いものがジルの乾き切った身体へと容赦無く注がれていく。
あの日、ククルがジルの魔力を奪った時とはまるで逆だった。彼女の中で暴れ回っていた魔力は元の宿主を求めるかの如く一気にジルへと流れ込んだ。
急激な魔力の消耗は強烈な体力の消耗を招くが、それは逆も然り。だが、今のジルにとって彼女から注がれるそれは何の負担にもなり得なかった。失いかけていた熱がより苛烈を帯びて身体に宿る。彼女の無念が、期待が、想いが、魔力を通して伝わってくる。
彼女の全てがジルに注がれていた。気付けば身体を蝕んでいた赤黒い痣は消え、身体に乗る重みもすっかり消え失せていた。
時間にすれば数秒にも満たない出来事。ククルは最後の一滴まで絞り尽くし受け渡すと、幼くなった身体をゆっくりと離す。急激な魔力の消耗により倒れそうになったククルの小さな体を受け止め、耳元で力強く喉を震わせた。
「任せろ」
何一つ、奴にくれてやるものか。強烈な意志が熱となり身体中を駆け巡る。
ジルは吠えた。急に生気を取り戻した男の気迫にその場に居た全員の動きが一瞬止まる。その隙に魔力の槍をバラドの眼前の地面へと打ち込み砂埃を巻き上げ視界を奪った。
更に二発放たれた槍により大量の土砂が雨のように注ぎ、視界を砂色に染める。
「ぬうっ!?まだこれ程の……!面白い!」
理由は何でも良かった。兎にも角にも死に体であった好敵手の復活をバラドは素直に悦び、もう抜くことは無いと思っていた大剣を再び振り抜いた。
雷のように鋭く放たれ続けるジルの魔力に対し、バラドは全身全霊を以て魔力を練り上げる。次の一撃が真の決着になるであろうと本能的に察知していた。
(どこから来る?後ろか、横か……)
――刹那。砂煙のカーテンに揺らめいた黒い影。
砂煙を裂きバラドの真正面に飛び出してきたのは、黒き鎧。
だろうな。と、鬼は心の中で歓声を上げた。そして、武器も持たず無造作に飛び掛かって来た鎧に対しバラドは自身の勝利を確信する。
「おおおおおおお!!!!」
大剣の柄を両手で握り、渾身の一撃を鎧の腹部へと放つ。巨大な刀身は軽々と貫通し、揚々と飛び掛かって来た鎧は呆気無く動きを止め、頭を垂れた。
あまりにも、呆気無く。
「……?」
その異変にバラドは直ぐに気付いた。確かに剣は鎧を貫いているが、まるで手ごたえが無い。空振りに等しい感覚に微かな動揺を覚えるが、放った突きの余韻がまだ冷めやらぬ中、バラドの右手首に僅かな違和が生じる。
――パチッ。
安っぽい音であった。見れば、黒き鎧がバラドの右手首に何か小さなベルトのようなものを取り付けていた。攻撃とはとても呼べぬ予想だにしなかったその行動にコンマ数秒の思考を奪われた、次の瞬間。
「うっ……!?」
バラドを包む鋼鉄のような堅牢さを誇る魔力の層が、明らかに弱まった。
彼の右手首に取り付けられたもの。それは、かつてセラの首に着けられていた物。ジルが彼女への信頼を証明する為に彼女の首から取り外した、魔力封じのチョーカー。
――吹き荒れる暴風が、巻き起こる旋風が、砂煙を一瞬で消し飛ばす。
そして悪魔は現れた。魔力の栓を全開にし、左手に特大の槍を引っ提げて。
「うおおおおおおお!!!!」
鎧は囮。霧のように消え失せた鎧の脇から本体が身を屈めてバラドへと突っ込んでいた。目を見開き、歯を剥き出し、ジルは叫ぶ。
「『レッド……レクイエム』!!!」
全てを込めて放たれた必殺の一撃が、超至近距離でバラドの腹に叩き込まれた。
「う……おおおおおおっ!?」
直撃と同時に広がる球状の衝撃波が周囲の物を瞬時に吹き飛ばす。周りに居たセラ達も堪らず身を屈め地面に張り付いた。
ジルの放った紅き槍はバラドの弱まった魔力の防壁を容易く貫き、皮膚へと到達し、肉を八つ裂きにし、遂には槍の先端が背から飛び出した。抵抗を試みるが膨大な魔力の渦に阻まれ為す術も無いバラドに対し、ジルは最後の一押しと言わんばかりに魔力を槍に注ぐ。
「うおあぁぁあああぁぁ!!!」
「く、そおおぉぉぉ!!!」
二人の絶叫が傷だらけの大地に響く。
ひと際強大な魔力の衝突の後、ジルの腕が振り抜かれた……。
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