第9話 レッドレクイエム③

「ククルさん!大丈夫ですか!?」


 現場に駆け付けたセラが地面に蹲るククルの肩を掴む。嫌がる素振りを見せない事を確認し、身体を抱き起こした。ククルは目尻に涙を浮かべ、背を預けてくる。兎にも角にも無事であったことに安堵すると同時に、眼前に広がる光景に目を奪われた。


「こ、これは……」


 蒼い瞳に映ったのは燃えるように紅い魔力。禍々しい様相の主人が繰り広げる激闘に駆け付けた一同は息を呑んだ。とは違う。余裕も無ければ慈愛無く、ただ破壊のみに全霊を賭した男の姿がそこにあった。


 あわよくば手助けを目論んでいたのだが、とてもあの戦火の中には飛び込めない。二人の動きが速すぎて援護射撃もろくに狙いが定められないだろう。二人が衝突する度に弾ける魔力の圧だけで身体がよろめいてしまう始末だ。


 ナナは腕を組み堂々と突っ立って主人の戦いを眺めている。カリナはどうして良いか分からず忙しなく体を揺らしながらセラへ幾度も視線を送っていた。


 逡巡の後、セラは当初の目的通り退避を選択することにした。その瞬間、ひと際大きい風が彼女達を殴りつける。微かな悲鳴が漏れ、咄嗟に塞いだ瞼が開かれた時、ジルの身体はあり得ない速度で吹き飛ばされていた。



 ―――――



 目に入った光景が実像なのか幻影なのか、それを確認するいとまは残されていなかった。バラドの豪打を受けたジルは一間の呼吸を置くことも無く、壁にぶつかった球が戻って来るかのように再度バラドへ飛び掛かる。


 重く刻まれた激痛と内臓の不快感を踏みにじり、砕けんばかりに噛みしめた歯の隙間から血を散らしながら鬼気迫る貌でメイスを振るう。


(……時間が……もう……!!)


 ジルの限界はすぐそこまで迫っていた。魔力の底が近付くにつれ死神の足音が大きくなる。ならばその足を掴み、こちらに引きずり込んでやろう。ジルは残りの魔力を全て絞り出し、最後の攻撃を敢行した。


 急激に出力が上がる好敵手を前に、遂にバラドの顔から笑顔が消える。受ける打撃の重みが増し防戦一方となる中、不意に放たれた蹴りがバラドの腹を捉えた。ダメージはさほど無い。が、大きく後退し顔を上げた際、彼は見た。


 目の前の男の右腕に、槍と化した巨大な魔力の渦が巻き起こるのを。


 まるで走馬灯の如くバラドは思い出す。何時か何かの文献で目にした、『厄災』と呼ばれる巨大な魔獣を屠るのに用いられた弩級の槍激兵器の事を。ジルの見せた魔力の槍はそれに酷似していた。


(これは流石に……やむを得まい……っ!)


 バラドの目尻が震える。目の前に舞い降りた脅威が自身の命に届き得るものだと解したバラドは『二本目』の柄に手を掛けた。それは、バラドの『とっておき』の。楽しむ為でなく、勝つ為、生き残る為のみに用いられる『選択』。


 魔兵器『シェリン』。彼の二本目の大剣の名であった。



 ……が、その刀身が露になることは無かった。



 目の前の男が膝を着き、口から噴水のように血を吐き出し倒れたからだ。


 今まさに解き放たれんとする豪槍は花弁のように散り、まるで力尽きた悪魔への手向けが如く、天へ吸い込まれていった。


 受け身無しに顔から地面に倒れ伏した男を目の当たりにし、バラドはどこか哀れみにも似た表情を浮かべ、一本目の大剣を鞘に戻した。まるで締められていた栓が引き抜かれたかのようにジルの身体から血が溢れ、乾いた土へ染み込む。


「……終わり、か……」


 苦々しいバラドの声が吹き抜ける風に掻き消される。バラドは額から目に移る血を拭おうともせずゆっくりと歩を進め、倒れ伏すジルを見下ろした。


(まだ息があるようだな……)


 殺す気は無かった。しかし、それは戦いが始まる前までの考えであった。自らに対し死力を尽くし散っていった強者に対し、ここで命を取らぬのは寧ろ無礼に値するとバラドは確信する。


 それが、自らを楽しませてくれた相手に対する彼なりの最大の敬意であった。


「見事であった。その力に敬意を表し、今回の一件、貴様の命一つで水に流そう」


 バラドが手を掲げ、小さな吐息と共に振り下ろされた。が、その手は空を裂き血濡れた地面を抉る。まだ息の残っていたジルが咄嗟に身を翻しとどめの一撃を紙一重で躱していた。


 血を吐きながら転がる男を横目にバラドは下した手をバツが悪そうに開閉する。


「もう良い。それ以上無様を晒すな」


「……生きようとする行為が、絶望に抗う、意志が、無様だとは、俺は思わない……」


 全身に鉄球をぶら下げているかのように重々しく身体を起こす男の貌には不敵な笑みが。自分の吐き出した血で滑りながらもジルはバラドへ相対した。


 死にかけの羽虫の如く哀れで儚い姿を見せる男に向け、バラドは踏み込んだ。堅く握った拳を顔面目掛けて振り下ろすが肩を掠めて地面を抉る。苦悶の声を漏らしながら転がる男を踏み付けようとするも済んでのところで躱される。


 最早闘いではない。ただの一方的な蹂躙。その様相にバラドは歯噛みした。


「その行いは、ただ貴様の名誉を、戦士としての誉れを傷付ける行為に他ならない。無駄な足掻きはよせ」


「無駄?何故、そう言い切れる?望みを捨てず、こうして粘っていれば、何かが起きるかもしれない。状況を打破する、何かが」


「……奇跡、というやつか……?」


 バラドの言葉に、ジルは苦悶を表情に湛えながらも必死で笑みを浮かべ、泥土のような血を呑み込んだ。


「巨大な魔獣が突然現れてお前を食うかもしれない。天の星がお前に落ちてくるかもしれない。急にお前の寿命が尽きるかもしれない。何なら、お前の気が変わって、俺を見逃してくれるかもしれない……」


「……。有り得ぬ」


「だろうな……。でも、だとしても、だ……」


 その有り得ないを求める事が、絶望への抗いであった。


 絶望的な状況であったが、だからこそジルは懸命に藻掻いた。昔からそうやって生き延びてきた。絶望に身を委ねようとせず、すべて突っぱね這いずり回り生き延びてきた。自棄や諦めに救いは無いと過去の経験が教えてくれていた。


 彼は知っていた。絶望とは無慈悲に降りかかるものではなく、自ら倒れ込んでいくものであると。


 だからこそ、藻掻くのだ。


 ふと、バラドは気付いた。ジルの指先が、首元が、赤黒く濁り、染まっていることを。それが何であるかを悟るのにそう時間は要さなかった。


「フフ……。何だ。まだあるじゃないか。とっておきが」


 上擦った言葉に、しかしジルは目尻を垂らし申し訳なさそうに答える。


「……悪いな。は、使えそうにないんだ……」


「……。そうか」


 二度、三度。バラドの攻撃を躱す。それが限界だった。


 魔力を使い果たし動くことすらままならない筈のジルがバラドの凶刃をそれだけ逃れ続ける事が出来ただけでも奇跡に近い事だ。抗いの終着は当然の様にすぐ訪れた。


 捲れた地表に背を預けるジルを、バラドが見下ろし、告げる。


「無念だ」


「……それは、普通、俺が言う言葉だろ……」


 陽の光がバラドの汗を照らす。まだ動かなくてはならない。ここで終わるわけにはいかない。身体はもう指一本として動かすことが出来なくなってしまっていたが、しかしジルの心はまだ絶望へ抗い続けていた。


 バラドが拳を握り、振り翳す。


 深い暗闇の中、微かな光を追い求め続けた男の身体を、淡い影が覆った。


 だがそれは、強き光と温もりを放つ影であった。


「ぬぅ!?」


 ――霞んだ視界に飛び込んできたのは、見覚えのあるドラゴンの喉元であった。


「……は?」


 ジルの丸くなった目の前で、ナナとバラドが組み合っていた。視線の標高で言えばナナの方が高いが、バラドは不意に現れたドラゴンの圧をいとも容易く受け止め押し返す。


 ナナは低い唸り声と共に圧し潰そうと両前足に力を籠めるも、バラドの太い指が次第にナナの鱗にめり込み、皮膚を裂いた。


「な、なにやっ……」


 状況が呑み込めていないジルの身体にナナの尾が叩きつけられる。ジルはくぐもった声を漏らしながら地面を転がり仰向けに倒れた。


「トカゲ風情が主人を救いに来たか!温いわ!!」


『グルル……』


 ナナが圧されている。このままでは。そう思った時には、小さな足がバラドの頬へめり込んでいた。


「やあああああ!!」


 とても戦場には似つかわしくない甲高く幼い叫び声。まるで弾丸のように跳んできたカリナがメイド服のスカートを大きく翻しながらバラドの顔面へ鋭い蹴りをお見舞いしていた。


 獣人の強靭な脚力から放たれる全体重を乗せた両足蹴りは、しかしバラドへダメージを与える事は出来なかった。が、ナナの手に対する拘束は緩んだ。


「はぁっ!!」


 華麗な身のこなしで着地を決めたカリナはすかさず両手をバラドに突き出し声を張る。一瞬、何か魔法でも飛んでくるのかと意識を向けたバラドであったが獣人の少女は固まったままで何も変化は起きない。


 バラドの頭は一瞬で沸騰した。


「きさっ!?」


 弾ける憤怒を振り翳すバラドの右半身を、巨大な氷柱が襲う。回転を加えられたそれは魔力の装甲を突き破ることは出来なかったが巨躯を大きく弾き飛ばしナナとカリナを救う事には成功していた。


「二人とも!大丈夫ですか!?」


 どこからともなく現れたセラが二人に駆け寄る。一瞬、ジルへ視線を送った。傷だらけではあるが、目を見開き意識を保っている彼を見て彼女の表情が少し和らいだ。


「お、お前ら……。な、何やってんだ!!ふざけるな!さっさと逃げ……っ!?」


 何とか上半身を起こし、自分を助けに来たであろう従者達に怒鳴るも喉奥からこみ上げる熱がそれを邪魔する。


 違う。俺が求めていたのはこれじゃない。粘っていたのはその為じゃない。心の中でそう叫ぶ。彼にしてみれば彼女達の参戦は彼にとっての絶望をより色濃くするだけのものであった。



「ふざけるなだと……?それはこっちのセリフだ!このクソ野郎!!」



 震えた声に、顔を上げる。


 そこには、大粒の涙を流しながら主人を見下ろすサキュバスの姿があった……。




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