第8話 レッドレクイエム②

「勝ち目が全く無いというわけじゃないよ」


 心ここに在らずといった様相でギルドの職務をこなしていたミスラに対し、酒瓶を片手にロバートが軽い口調でそう告げた。普段なら仕事の妨害を諫めるところであったが、今ばかりは作業の手を止め彼の言葉に耳を傾ける。


「アイツが魔法を使えば、まだ勝機はある」


「魔法?魔法って……あの鎧の事?」


 そんなのいつも使っているじゃないと言いたげな受付嬢にロバートは苦笑を浮かべ首を横に振る。


「いや、アレじゃなくてね……。あの鎧は確かにアイツの魔力で出来たものだけど、アイツの『魔法』ではないんだよ」


 何を言っているのか分からないと苛立たし気に眉を細めるミスラに困ったように頬を掻く。


「あの鎧はね、ジルが自分の魔力で無理やり創り出してる幻影のようなものなんだよ。オリジナルの『魔法』とはまた別なんだ」


「え!?そうだったの!?私はてっきり、そういう魔法なのかと……」


「まぁ普通はそう思うだろうけどね。そもそも無属性には決まった形の魔法は存在しないから自由度は高い。ただ、ジルのような芸当は誰にだってできるわけじゃない。ほんの一握りの才能の持ち主が狂気とも呼べる鍛錬に身を投じて初めて辿り着ける境地だよ」


 俺には絶対無理。そう断じる言葉には戦友に対する強い呆れが籠っていた。


「で、そのジルさんの『魔法』って何なの?そんなに強いの?」


「う~ん。正直、『魔法』というにはあまりにも単純なものなんだけどね。いや、そもそも魔法ですらないのかもしれない。アイツの魔法は肉体強化、それだけなんだ。俺はその魔法を『レッドレクイエム』って呼んでる」


「……他称なの?」


「そう!俺が名付けたんだ!カッコいいでしょ?やっぱり必殺技には名前があった方がイイと思うんだよね!その時の魔力のノリも間違い無く良くなるし、気合も入る!ま、ジルはその名前が嫌いらしくて使ってくれないんだけどね」


 子供のように瞳を輝かせ力説する男に半目を向ける淑女。そんな子供が不意に酒瓶を呷ろうとするのをミスラが袖をつかみ阻止した。ロバートは眉を顰め酒瓶をカウンターに置く。


「その肉体強化が、バラドを倒せるぐらい凄いって事?」


「……前にした最強談義の話は覚えているかい?」


 男のロマンを一瞬で決着させる三人の名前をミスラは思い出し、小さく頷いた。


「その魔法を使えば、ジルはその三人の中に食い込めると思う。実際にその三人と戦ったことは無いだろうから確実とは言えないけど、それでも渡り合えるだけの力はあると思う」


 今でも充分にジルの驚異を認知していたつもりであったが、まだ底知れぬ彼の凄さにただただ目を丸くするミスラ。


「そんな魔法が使えるなら安心……とは言えないのよね?多分……」


 バラドと対等に渡り合える程の魔法などそう軽々と使えるものではないだろうと理解した上でのミスラの言葉であった。


 魔法というのは魔力を放出する量によってその効果が大きく変わってくる。放出する魔力が多ければ多い程強力になる分、使える時間が短かったり連発できなかったりといったデメリットが生じる。何より身体への負担が大きい。あまりにも急激な魔力の消耗は心身共に極度の疲弊を招き、最悪の場合死に至る。


「ジルの凄いところは常人より遥かに多い量の魔力を一気に放出させられるところなんだよ。魔力は生命力と同義で急激に減らせば命の危険を伴う。だから普通は本能的にストッパーが掛かるんだけど、アイツはそれを極限まで無視することが出来るんだ。ま、これも才能と努力の極致だね。その魔法を使っている間はほぼ無敵と言っても良いと思う」


 しかし、ロバートは疑念の視線に答えるように言葉を重くする。


「魔法が使える時間はその時のコンデイションにも因るけど、大体数十秒程度らしい。それで仕留め切れなければその後は煮るなり焼くなりって感じだね」


「数十秒……。それって、どうなの?その、バラド相手にだと……」


 男は腕を組み、逡巡する。ジルの実力、状況、そして過去の経験を踏まえた上で戦友が出した結論は、『分からない』、であった。


「大事なのは冷静さとタイミングかな。状況をしっかり把握し、使う機会を間違えなければ可能性はある。ただ……その場の感情に任せて使うと、ちょっとマズい事になるだろうね……」


「相手はバラドでしょ?流石にそこは弁えてるんじゃないの?」


 決めつけるような、そうであって欲しいと願うようなミスラの弱々しい声に、ロバートは柔らかな笑みを浮かべ頷いた。その応えにミスラは表情を曇らせる。


「ま、どうなったかはまたジルがここに来た時にでも聞こうよ。じゃ、俺は今からクエスト行って来るから」


 精一杯の前向きな言葉に対し不足を訴える彼女を尻目に、ロバートは静かな足取りでカウンターを離れた。


(護らなきゃいけないものが出来ちゃってるからな。その戦いにそれが関わっている以上、直ぐ感情的になるお前に最善策は望めないだろ。でも、それでも、護り抜かないといけないんだ。それが、お前の選んだ道だ)


 小さく口角を上げ、既に空の酒瓶を粛々と呷るロバート。


(……最悪の状況になってなければ良いが……)


 いつも友と酒を酌み交わす席をぼんやりと眺めた後、何かを振り払うように大きく両腕を回し、軽い足取りでクエストに向かうロバートであった……。




 ―――――




(……クソッ!!こんなとこで使うつもりじゃなかった……!!)


 焔の如き魔力を身に纏いバラドに向け怒涛の攻撃を繰り出す最中、ジルは心の中でそう吐き捨てる。


 状況は、最悪であった。


 ロバートの呼ぶところであるジルの魔法、『レッドレクイエム』。攻撃的な魔力を身体に馴染ませ精神を統一させた後、然るべきタイミングで発動させることで最大限のパフォーマンスを発揮できるのだが、今回の発動はその条件を満たせていなかった。


 噴水の水を浴びながらやられたふりをして何とか呼吸を整えている最中、ククルが現れてしまった。彼女がバラドに迫られているのを目の当たりにし焦燥で脳が焼け切れてしまったジルは荒れた呼吸と纏まらぬ思考のまま勢いに任せて発動。今に至る。


 持続時間、持って十秒弱。


「良い!良いぞ!もっとだ!もっと俺を楽しませろ!」


「……!」


 確実に負傷を増やしながらも愉悦を吐き捨て豪雨のような猛襲を捌くバラドに対し、ジルは呼吸を止めただひたすらにメイスを振るう。魔力の槍を放ち、時には体術も絡め周囲の有象無象を破壊しながらバラドを圧し続ける。


 圧し続けている。が、圧し切れる気はしなかった。


 汗と血が肌から離れ玉となり宙を舞う最中、四度メイスを叩き込んだ。肉を揺らし骨を軋ませる感触が手に伝う。もうこれで何度目か分からない。下手したら百は攻撃を叩き込んでいる。それでもバラドは膝を着く気配が無いどころか、彼の振るう大剣はキレと重みを増していた。


(これでも、まだ届かないのか……っ!)


 今出せる最大の力を以てしても、自分の勝利のイメージがまるで湧かない。


 振るったメイスが残像として残ったまま次の攻撃がまたバラドに叩き込まれる。しかし、攻撃を入れれば入れるほどジルの脳裏は暗い影が侵食していった。


 確かに今は若干ジルが有利だ。だがそれは、まだバラドが本気を出していない現状での話である。戦いの中でジルは気付いていた。彼にはまだ出していない引き出しがあると。それも、一つや二つではないのだ。


 油断か。嘗められているのか。何にせよ、ジルはその事に感謝していた。これ以上を出されてしまっては本当に勝機を失ってしまう。ならばその隙に一気に叩き込むべきだ。その思いがメイスを握る手に伝わる。


「ふんっ!!」


 縦横無尽に荒れ狂う動きを見切り、バラドがメイスの一撃を刀身で受け止めた。足場が沈没し波紋のように衝撃が広がる。鍔迫り合いをしている時間は無い。ジルは直ぐに受け流し一瞬止んだ豪雨を再び浴びせようとした。その時だった。


「……ぐっ……!!?」


 バラドの肩越し。見えた、と言うよりは、視界に入った、程度の認識だった。


 そこに居たのは、吹き荒れる風の中で美しい黄金の髪を揺らす一人のエルフ。


 目が合ったのか、合わなかったのか。それを理解する前に、ジルの脇腹にはバラドの巨大な拳が深々と突き刺さっていた。


「~~!?」


 目から火花が散る。上下左右の認識が霧散し、吹き飛ばされた身体は木々をなぎ倒す。


 ここで漸く、宙に浮いた汗と血が地面を濡らした。

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