第7話 レッドレクイエム①
「どうしたものか。どう収めたものか。この煮え滾る泥土のような感情を……!!!」
言葉に、声に、表情に、一片の慈悲すら感じ取ることが出来ない。バラドの身体から滲み出す憤怒の気配はククルの身体をその場へ縛り付ける。
手心の期待など端からしていなかった。だが、バラドと実際に対峙した瞬間、決めたはずの覚悟はもろく崩れ去り後悔と懇願がククルの頭を満たす。
「戦士の闘いに、よくも……貴様……ッ!」
血走った眼を見開き、顔を紅潮させ、奥歯を軋らせる。久方ぶりに味わう強者との心躍る闘争を土足で踏みにじられたバラドの胸中は強烈な怒りと残酷な嗜虐心で満ちていた。
気付けば、バラドはククルの目の前まで迫っていた。
「俺の部下を殺害したのみならず、俺との戦いに身を投じてまでも貴様を護ろうとする主人の想いを無下にし、更に我らの戦いを土足で穢した。最早、死ぬ以外にあるまい!!」
「……っ!」
生へ縋ろうとする自分を必死に振りほどき、ククルは歯を食いしばりながらバラドを睨む。この時の為に生きてきたんだと自分に言い聞かせ、自身に渦巻く魔力へと意識を向けた。が、しかし。
「うぶっ……」
突如として生じる喉の焼け付き。慌てて口を手で覆うが本能に根差した生体反応は意志の防壁をいとも容易く決壊させ、ククルは嘔吐と共に地面へ膝を着いた。荒れ狂う喉の動きが彼女の呼吸を阻害し、手と地面を濡らした。
魔力へ対し正面から意識を向けた事により、彼女の中でランドラドを殺害した瞬間の感覚がフラッシュバックしてしまっていた。疲弊した肉体に強烈な精神的負担が加わり戦いどころではなくなった脆弱なサキュバスを前に、バラドは全霊の侮蔑を以て吐き捨てる。
「哀れなものだ。そして、醜い」
「~~っ!」
食い縛った歯の隙間から漏れる胃液にククルは涙した。この世の全てを呪った。何故自分が、自分だけがこんな目に遭わなくてはならないのか。もう何百回も頭の中で繰り返しいつしか考える事すらしなくなったありきたりな独り善がりがこの場面で顔を出す。それが、ククルにとってたまらなく悔しかった。
「死ね。ただ、死ね」
振り上げたバラドの拳が太陽と重なった。せめてもの抗いか、ククルは大きく目を開き前を見る。死の恐怖から逃げず最後まで戦う意識を貫きたいという微かに残された彼女の想いがそうさせたのだろう。
――そんな死に急ぐ彼女の瞳に映ったのは、お節介な偽善者の姿であった。
血でべっとりと濡れた灰色の頭髪の隙間から、激情に満ちた紅き瞳が覗く。普段彼から溢れる柔和な空気は毛ほども感じ取れぬその形相に気付いた時には、メイスの一閃がバラドの脇腹を深々と捉えていた。
「おおおお!!!」
腹の奥底を揺さぶる咆哮と共に振り抜かれるメイスに対し、バラドの巨躯は呻き声を漏らす間も無く弾き飛び、木々を数本なぎ倒した後に地面に転がる。遅れてやってきた暴風がククルの身体を叩き、翠の髪を躍らせた。
(な、何、コレ……)
ジルの人が変わったかのような様相にククルは目を丸くする。近付くことすら危ぶまれる膨大な魔力がまるで罪人を焼く業火の如く彼を包み込んでいた。吐息にすら魔力が滲み出ており、それは最早ククルの魔力視認能力を要さずとも肉眼で捉えられる程の濃度。常人がこれに触れれば卒倒は避けられないだろう。
一瞬、ジルと目が合った。逆光の中自身を見下ろすその男の目には疑念と怒りが滲んでいた。何故此処に居るのか。何故戻って来たのか。そんな責めるような視線にククルは唇を堅く結ぶが、既にジルは火の粉のような魔力の余韻を残し視界から消えていた。
「ぬぐ……。い、一体……ッ!?」
脇腹に伝う鈍痛に顔をしかめるバラド。立ち上がろうとする彼の視界が闇に覆われた、かと思った次の瞬間には鼻っ柱にメイスが叩き込まれていた。幾層にも張り巡らせた魔力の防壁が薄氷の如く砕かれる感覚と同時にバラドの鼻からは大量の血が噴き出す。
乾いた地面を掘削しながら転がるバラド。一体何が起きているのか思考ではなく視界で理解した彼は再び猟奇的な笑みを取り戻すに至った。
バラドは土塗れになりながら背の大剣を振り抜く。大きく弧を描いた刀身はメイスの一撃を寸でのところで受け止めた。強烈な金属音と衝撃の中、バラドは顎から血を滴らせながら目の前の好敵手を見据える。
「何だ何だ!貴様、そんな力を隠していたのか!素晴らしい!やはり貴様は俺が見込んだ男よ!」
燃え上がるバラドとは対照的に澄んだ表情を浮かべるジル。見れば、メイスを握る手は右手のみ。空いた左手では魔力の渦が槍の形と成りつつあった。
「面白い!!!」
バラドも左の拳に魔力を集中させ真っ向から迎え撃つ。火花の如く双方の魔力が散り合い、爆ぜた魔力が二人の周囲を八つ裂く。始めこそ拮抗していた両雄の力であったが一秒にも満たない後にジルの紅き槍が押し切った。
貫かれこそしなかったものの右手を弾かれたバラドは大きく仰け反る。その露になった腹に容赦無く叩き込まれる豪打。何とか踏ん張り膝を着くことはなかったが、遂にバラドは吐血し、体中に脂汗を滲ませた。
尚も灼熱のような魔力を帯び自らへ肉薄してくる悪魔を前に、やはりバラドは笑みを浮かべていた。最早疑念など無い。ただ、目の前の雄との死闘に興じるのみ。
「さぁ!勝負だ!レッドデビル!!!」
「……」
漸く戦いが始まった。歓喜に身を震わせるバラド。ジルは言葉を発することなく、執拗にバラドを攻め立てる。
ククルには、それが焦っているように見えてならなかった。
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