第4話 絶望の影④

 一体どれぐらいの時間が経っただろうか。灯りがあるとはいえ密室のシェルターの中では時間の感覚が麻痺してしまう。


「あ、あの。お水、飲みますか……?」


「……」


 部屋の隅でひたすらに沈黙を貫く同居人を前に居た堪れなくなったカリナが問うも、その声は虚しく響いた。


「ふ、二人とも、大丈夫ですかね……?」


「……」


 やはり返事は無い。カリナはしおらしく耳を垂らすと、いびきをかくナナのお腹へと顔を埋めた。そんなカリナの背をナナは尻尾で優しく撫でる。


「……」


 だんまりを決め込むククルであったが、彼女は決してカリナを無視したわけではなかった。声が届かない程、ククルは強烈な思案に耽っていたのだ。


(……あの男。間違いない……)


 口がやけに乾く。思考に押し留めているのは地下に避難する際にちらと見えた何者かの魔力。見ようとして見えたものではなく、意図せずして視界に飛び込んできたその淀み。


 それは酷く見覚えのあるものであり、そして忘れられようはずも無い悪夢でもあった。



 ―――――



「なぁ~んてな!!」


 今にも張り裂けそうな空気の中響いたのは、バラドの茶目っ気の籠った声であった。


「いやはやすまんすまん!気を悪くしないでくれ。ちょっと貴様を試していただけなのだ!喧嘩を売ろうなどとは毛頭思っておらん!」


 急な豹変ぶりに堪らず瞼を開くセラとクルス。だらしなく口を開け豪快に笑い飛ばす客人を、しかしジルは黙って眺めていた。


「貴様がどのような反応をするのかを見させてもらった。その結果、貴様は私を恐れず怒りを向けることが出来る胆力がある男だと解った。流石はレッドデビルだ。私如きを恐れていては戦士は務まらぬからな!」


 乾いた拍手が耳を打つ。無論、その賛辞をジルは受け入れない。その言葉を真に受けない。バラドの言葉に重みが無いことを理解していたし、バラドもまたそのジルの心境を理解していた。


 バラドはただ、会話の舵を取っただけに過ぎない。


「どうだ?本気で仲間になる気は無いか?貴様なら、きっとこの世界を変えられる!」


 その熱量に対し、ジルの鎧は酷く冷たく映った。無言の返事を前に、バラドは冷めた紅茶に口を付ける。


「平和にのんびり、か。なるほど。確かに、殺し合いに明け暮れた貴様らしい願望だ」


 優しい笑みの後、漏れる否定。


「断言しよう。それは絶対に有り得ない」


「アンタが決める事じゃない」


「そうだ。俺が決めているわけじゃない。顕然たる事実として言っているだけだ」


 空になったカップを指先でテーブルの隅に寄せ、バラドは楽しそうに喉を鳴らす。


「貴様が反乱軍に入る事を拒絶した場合、我々は貴様を駆除する必要がある。貴様が帝国側へ可能性があるからだ。いや、もしかしたら既に貴様は帝国側の人間なのかもしれないな」


「何を馬鹿な」


「考えてもみろ。貴様がした行いを。あれだけの事をして帝国側から報復も無くのうのうと暮らしていける筈がない。和解したか協定関係にあると考えるのが妥当だ」


「だから言っているだろう。あれは向こうから仕掛けてきたことだ」


 苛立たし気なジルに対し、バラドは申し訳なさそうに眉を垂らす。


「悪いが、貴様がいくら何と言おうとも我々の立場からすればそう推測するしかない。不穏分子は徹底的に取り除かねばならない。そう、それはそこに居る娘も例外ではない」


 バラドが顎で示したのは、額に汗を滲ませるエルフの淑女であった。


 セラの肩が、震える。


「オイ……」


 ジルの声色に明確な殺意が籠る。感情に任せて漏れ出す魔力がクルスの背を固まらせるが、しかしバラドは表情を変えない。


「そのエルフ、聞けば凄まじい魔法の使い手らしいじゃないか。第三帝国で見せた魔法の事は耳にしている。……無論、過去に何をしたかも調べはついている。随分と多くの者を殺したよう……」


 爆ぜる憤怒。極限まで張り詰めた糸が弾け飛ぶ。ジルはテーブルを踏み抜き、感情と力任せに拳を放った。


 頭を吹き飛ばすつもりで繰り出した一撃であったが、その拳はバラドの手の中に難無く収まってしまう。甲高い衝突音と共に狭い室内に暴風が吹き荒れ、砕けた木片が飛び散り窓ガラスは粉々に砕けた。


「……やるな」


 バラドは奥歯を噛みしめながら、声を絞り出す。腕の肉は隆起し、額と首には血筋が浮かぶ。


 全くの余裕というわけではないのだろうが、それでも渾身の一撃を片手で、それも座ったまま受け止められたという現実。そして掴まれた拳から伝わる圧倒的で途方も無い『力』にジルの背が凍えた。


「……ちょっ……!お、お止めください!」


「ジル様!どうか落ち着いてください!私は大丈夫ですから……!」


 お互いがお互いの付き人に宥められ、ジルは拳を引いた。と言っても、実際はバラドが解放してやっただけだ。仲裁が入らずそのまま争えば、右手は潰されていた可能性が高い。


「ふふ……。威勢が良いな。そうでなくては困る」


 バラドは床に転がったカップを拾い上げるが、取っ手だけを残して床に落ちてしまった。


「この者がそんなに大事なら、尚の事よく考えるべきだ。貴様のみならず、それほどまでに強大な魔法使いまでもが帝国の手に渡る事だけは避けたいからな」


 ただ。と、カップの取っ手を投げ捨てバラドは言う。


「さすがにすぐ決めろとは言わぬ。それに、常に我々と行動を共にしろとも言わぬ。貴様に求めるのは有事の際の手助けと、そして貴様が反乱軍へ組するという明確な意思だ。取り敢えず名前だけでも貸してもらえればよい。それだけで、他の者への勧誘も容易くなり、民の士気も上がることになる」


「ふざけるな」


「十日後、返事を聞きにまたここへ訪れる。別に帝国に通報しても構わんぞ。その時はそれ相応の報復を以てお応えしよう」


 バラドは席を立つ。一歩足を踏み出したところで動きが止まり、少し言い淀む素振りを見せ、口を開く。


「無理を言っているのは重々承知だ。だが、解ってもらいたい。我々も必死なのだ。そして、貴様の力を高く買っていることもまた事実だ。出来れば今一度、我々と共に戦ってもらいたい」


それに、と、バラドは付け加える。


「帝国が存在する限り、平和な生活など夢のまた夢だ」


 強気な視線を送ってくるエルフに一瞥をくれると、涼し気な表情で部屋から出て行った。クルスも乱れた髪を直し、残った二人に何度も頭を下げバラドの後を追った。


 ――まるで嵐でも入り込んだかのような散々たる部屋の中で、ジルは深く溜息をつき、鎧を解除した。


「ジルさ、ま……」


 慌てて駆け寄るセラが見たものは、まるで滝でも浴びたかのように全身を汗で濡らし、肩で息をする主人の姿であった。


「参ったね。どうも。面倒なことになってしまった……」


「……」


 額に張り付いた前髪を手で拭い、ずれたソファーにもたれかかる。結局、何もかも押し切られてしまった。恐怖から解放されたことに安堵している自分を情けなく思いながらも、ふとロバートの言葉を思い出す。彼が危惧していたことがそのまま現実となってしまった現状に、表情が苦る。


 このまま焦燥し消沈していても仕方がない。とにかく最善の方法を考えねば。行動に移さねば。そうは思うものの、頭も体も動かない。


「あの……。怒っていただいて、嬉しかったです。ありがとうございます」


「……」


 何と声を掛けてよいか苦心していたセラがようやく絞り出したその言葉は、哀しいことに、今のジルには届かなかった……。







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