第5話 数え切れぬ過去
「何か言いたげだな?」
目的を終えた二人の訪問者は炎天下の中、長い敷地を歩いていた。
まるで子供をあやすかのように優しく温厚な声で後ろを歩くクルスに告げる。逡巡の後、従順とは言い難い面持ちで彼女は尋ねた。
「恐れ入りますが、何故あのような言い方をされたのですか?あれではまるで脅迫ではないですか……」
予想通りの返答に、バラドは太い声で嗤った。
「奴を仲間に引き込むためにはあの方法しかなかったのだ。無論、今後の関係性も考えればあのようなやり方は下の下だ。脅迫で無理やり得た仲間など信頼しようがないからな。だが、こちらが頭を下げ頼み込んだところであの男が首を縦に振る筈がない。そういう男だ」
どこか懐かしむような口ぶりからは、悪意は感じ取れなかった。仕方なかった。そんな諦念が投げやりな言い方から窺えた。
「だが、奴だけはどうしても仲間に加えなくてはならない。反乱軍の士気の為というのももちろんあるが、奴がこちら側に着いているという事実は他の者の勧誘を容易くする。それに、単純な戦力としても大いに期待が出来るからな」
バラドは左手を開き、破顔を浮かべ手の平を眺める。岩石の様に堅牢な手がまるで剝き身のナイフを握り締めたかのように裂けていた。巨大な背の脇から見えたその光景に、クルスは息を呑む。
「もう少し簡単に受け止められると思ったのだがな……。いやはや。聞きしに勝る豪傑よ」
そう笑い飛ばし、血を舐め取る。バラドが負傷させられたという事実に驚き足を止めていたクルスは慌てて彼の背を追った。
「あの、あの脅しは本気なのですか?いざとなれば、レッドデビルを……」
「それは無い。奴を殺してしまっては意味が無いからな。ただそれはあくまでも奴が帝国の側に着かなければ、の話だが」
そうなれば確かに仕方ない。クルスは納得しながらも、本気でレッドデビルを駆除しようと思っているわけではない事実に胸を撫で下ろした。
出入り口の門を通過しようとした際、ふと、バラドが足を止める。急に止まるものだからクルスは勢い余って激突してしまった。鼻を抑えながら何事かと涙目で前方をさぐる。
「……あっ……」
つい声を漏らしてしまった。そこに居たのは、二人の行く手を阻むように門の真ん中に立つ一人のみすぼらしい少女であった。
乱れた翠の長髪は腰まで届き、身に着けた衣服は年季の入った汚れが染み付いている。裸足で駆けたのか足は砂まみれだ。身体つきは華奢で、不健康そうな肌色をしていた。彼女を見た瞬間、真っ先に哀れみにも似た感情がクルスに浮かんできた。
――しかし、彼女の見開かれた目は憤怒に染まり、胸の前で構える両手には肉厚な刃物が握られていた。
クルスは咄嗟にバラドの前に立つが、しかしバラドは軽く肩を叩き、収める。
「スナハ村を……覚えているか……!」
呼吸すらままならぬ怒りの中、喉の奥から絞り出されたその言葉に切っ先を向けられた男は首を横に振った。
「申し訳ないが、覚えていない」
「……っ!」
少女の歯が軋む。目の前の大男の
「ふざけるな!ふざけるなぉ!!」
「いや、本当にすまない。その村も、そして貴様も何一つ覚えは無い。ただ……。こうして命を狙われる理由なら、いくらでも身に覚えがある」
「っ!」
一歩。バラドが足を踏み出す。少女は殺意を剝き出しにしながらも、二歩退いた。
「数え切れぬ命を奪った。数え切れぬ村を破壊した。数え切れぬ不幸を招いた。買えるだけの恨みは買っている。貴様も、その恨みの一部であろう」
一部。その言葉に、ナイフを持つ少女の手が震えた。自分ははっきりと相手を認識しているのに、相手は自分の事を生い茂る木の葉の一枚程度にしか認識していない。
悔しい。少女の心はひたすらに慟哭していた。
「赦してもらおうとは思わぬ。詫びようとも思わぬ。この世は力こそが全てだ。力無きものは蹂躙される。それがこの世の常だ。……だが、俺にも情はある」
バラドは手を広げ、無防備を晒した。
「さぁ、その刃を好きな所に突き立てるがよい。勝てぬと解っていながら俺の前に立ったその蛮勇に敬意を表し、一度だけ復讐を果たす機会をくれてやろうではないか」
「……!!!」
とことんまで心を凌辱され、少女の頭が限界まで茹る。しかし、大地に根を生やしたが如く足は動いてくれなかった。目の前の男が放つ絶望的なまでに強大な魔力が、彼女の全てを抑え付けていた。
気付けばナイフを落としていた。全身は震え、視界は朧に包まれる。あれ程までに燃え盛っていた怨嗟の焔は嘘のように消え失せ、今はただひたすら命に対する懇願を顔に晒していた。
「哀れだな。力を持たぬ者の虚勢というのは」
バラドはすれ違いざま、言葉を残す。
「貴様、この屋敷の奴隷であろう。ならば主人に伝えておけ。この俺に命を救われた、とな……」
慟哭を解き放つククル。
しかし、振り返った先に仇の姿は無かった……。
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