第6章
第1話 魔法の質
「ふん。えいっ。とうっ」
夏晴れの朝。気合が入っているようで気の抜けたような形容しがたい声が,
水面に打ち付ける飛沫に混じって聞こえてくる。
カリナの魔法の練習が屋敷の噴水近くで始まっていた。因みに今の声は魔法を放つ練習ではなく準備運動だったらしい。カリナはエプロンのポケットからラダナ石を取り出すとその手に強く握り締める。
力任せが膨れた頬から見て取れるがしかし魔石は応えない。今度は手の平に乗せ微笑みを浮かべつつ撫でるも返事は無し。ならばと噴水の縁に置き
一瞬光ったように見えたが、刺すような日射や水飛沫の反射に因るものだと気付くのに時間は要さなかった。近くでその様子を眺めていたナナがからかうように小刻みな息を吐く。
「むぅ……。ナナだって魔法が使えないくせに……!」
ここ数日の練習で何も成果が得られず苛立っていたカリナ。噴水に手を突っ込みナナの嘲笑目掛けて水を掛けるも、ベムドラゴンはふるふると首を振らしその冷気を楽しむとお返しと言わんばかりに巨大な手で水面を弾いた。全身ずぶ濡れになってしまったカリナは、怒声を放ちしかし楽しそうに笑いながら水面に飛び込むとナナと水の掛け合いを始めてしまった。
その様子を窓越しに眺めるエルフの美女が一人。
「フフ……。洗濯物が増えちゃいましたね」
セラは眼下にて繰り広げられる平和な光景に頬を緩ませながら、主人に購入してもらった浮遊板に乗り玄関扉の上、天井付近に存在する窓を鼻歌交じりにせっせと磨いていた。
日光を室内に取り入れる為に存在するこの窓は今まで誰の手も届かなかった故に放置されていたが、この浮遊板のおかげで掃除が可能となっていた。ジルによって腰の高さほどの簡易的な取っ手が取り付けられた為、安全性も向上している。
この窓の掃除をする際はドレスの中にズボンを履くことを主人から命じられていた。
「……ちょっと」
「え?わ!きゃっ!」
急に話しかけられバランスを崩すセラ。浮遊板の制御を乱しその場で数回転ドレスを揺らした後、取っ手にしがみつきながらゆっくりと降下してきた。目の前には不機嫌そうに細い眉を顰める新人の姿が。
「あ、く、ククルさんでしたか。びっくりしちゃいました……」
「……」
愛想の良い笑みを浮かべながらセラが浮遊板から降りると、浮遊板は生気を失ったかの如く床に身を預けた。
へらへらした様子のセラにククルは冷めた視線を送る。ククルがこの屋敷に来て七日が経過しており、ここの生活にも多少は慣れたようだが他者に向ける意思は相変わらず冷たかった。
「魔力」
「え?」
初めてククルの方から声を掛けられ、疑問を口にしながらもセラは頬を緩ませる。あまりにも端的なその一言で伝わらなかったのが気に食わなかったのか、ククルは眉間に皺を寄せつつ再度口を開く。
「魔力が漏れてる。鬱陶しい。目障り」
「え?あ!す、すみません……」
予想だにしてなかった指摘に慌てて自分の身体を叩くも、魔力は臭気や埃とは違う。それはセラも解っているのだがつい動揺してそんな行動をとってしまっていた。
彼女の故郷での惨劇以降制御できなくなっていた魔法も今となってはかなり勘を取り戻していたセラではあるが、まだ本調子には程遠く、忌々しい記憶は未だに彼女の心を蝕んでいた。これはジルにも明かしていないことであるが、魔法を使おうとすると嘔吐感を催すこともあった。
そんな中手に入れたこの浮遊板は使用の際にかなりの魔力を消費する為、これ幸いとリハビリも兼ねて多用している。が、残念ながらやはりまだ魔力を意のままに操れてはいなかったようだ。
……と、ここでセラは思い出したように目を丸くし、床に膝を着いたまま興奮気味に問う。
「え?く、ククルさん。目障りって……。魔力が見えてるんですか?」
「……」
余計な事を言ってしまった。ククルの舌打ちからはそんな意図が感じられた。その反応にセラは両手を合わせ瞳を宝石のように輝かせる。
「以前何かの文献で見た覚えがあります。確か、サキュバスの中には魔力を視覚情報として捉える事が出来る方も居られるとか……。まさか、ククルさんがそうなのですか!?」
ククルの返事は無い。セラはそれを肯定と捉えた。
「凄い!感動です!わ、私の魔力って、どんな感じに見えてるんですかね!?凄く気になります!」
セラも、例えばジルも、自分の中の魔力を認識し魔法を使える者であれば『何となく』程度のレベルでは人の魔力を感知できる。強大な魔力であれば素人でも肌で感じることができるだろう。しかしそれはあくまでも対象が出している魔力の『量』であって『質』ではない。
『質』とはつまりその魔力の性格や雰囲気であり、持ち主の精神と直結したものと言っても良い。その『質』を、どうやらククルは見ることができるらしい。
優雅と美を具現化したような容姿からは想像もつかないセラの無邪気な期待に、ククルはガサツな頭髪を苛立たしそうに搔きながら呟く。
「……冷たい」
「おお……!凄い!本当に見えてるんですね!そうなんですよ!私の魔法は氷結系ですからね!」
感動した様子のセラではあるが、明らかに過剰な反応であることはククルも理解していた。なぜならセラはこの七日間で幾度となく魔法を披露しており、ククルが自分の魔法が氷結系であると知っている事を知っていたからだ。
……が、目の前のエルフの女からはそんな世辞のような、社交辞令のような堅苦しさは感じられない。どうやら本気で感動しているらしい。
「感動です……!まさか本当に魔力が見えるなんて!あの文献は本当だったんですね!」
「……」
セラのこの素直さが、この馬鹿正直さがククルは苦手であった。卑屈に塗れたククルにとってこの混じりけの無い奔放さは自己を否定されているようで受け入れ難かった。あまりに眩しくて、自分の影がより濃くなっていくような気がして、見ていられなかった。
「ちょ、ちょっと待っててくださいね!ちょっとだけ!ね!?」
「……命令?」
「はい!命令です!」
嫌味のつもりで言ったのだが、屈託の無い笑みで返されてしまった。
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