第6話 偽レッドデビル③

「ヴァローダ様。今、お時間よろしいでしょうか」


 城内にある庭園にて。


 熟練の庭師が欠かさず手入れしている花々を愛でている最中、伝達係の兵が静寂を裂いた。


「……」


 顔を向けられ、伝達係の男は息を吞む。長い睫毛まつげと翠玉のような瞳。そして風に揺れる絹糸のような黄金の長髪と緋色のマントは白い花の咲き誇る庭園にとてもよく映えた。


 まるで絵画のような光景に兵士はしばし我を忘れ見惚れる。


「どうしたんだい?話しなよ」


 全てを包み込む柔らかな笑顔と心の臓を撫でるような艶っぽい声色に、兵は意識を保つのがやっとであった。呆然とする兵の姿を見たヴァローダは何かに気付いたかのように目を少し見開くと、花壇から少し離れる。


「いや、すまないね。ちょっと花に見惚れてしまったせいで魔力が漏れちゃっていたみたいだ。美しい物を見るとどうしても昂ってしまってね。申し訳ない」


「い、いえ!とんでもありません!」


 あなた様より美しいものなどありましょうか。勝手に喉から飛び出しそうになったその言葉を兵は必死に飲み込む。そのようなお世辞とも軽口とも取られかねない言葉を自分のような一介の兵が王に放つことなど許されまいという気持ちが彼をそうさせていた。


「わざわざ僕に報告に来るということは……。『レッドデビル』に関わる事かな?」


「あ、はい。その通りなのですが……」


『レッドデビル第三帝国襲撃事件』の一件以来、ヴァローダはジル=リカルドに関する事件などがあれば逐一報告するよう通達していた。そしてどうやらこの兵はそれに関する事件の情報を持って来たらしい。ヴァローダの瞳に仄かな好奇心が灯った。


 しかし、兵の報告を聞いた途端。涼やかな笑みを浮かべるヴァローダの眉が一瞬痙攣する。


「その……。『レッドデビル』がとある村で恐喝を働いている……とのことでして……」


「……は?」


 表情を変えぬまま、ヴァローダは少しだけ首を傾げる。


「え?いや、恐喝って……。どこで?」


「フマ村という、辺境の小さな村のようですね……」


「フマ村?どこだ……?いや、待て、確かどこかで聞いたことがあるぞ。確か西の田舎にそんな村があったな」


「東の方ですね」


「……で、どういう状況なんだい?もしかしてその村にとんでもない宝が隠されていたとか?」


「ええと……。主に村の酒と食料の無銭飲食と、あと多少の金品の強奪、ですかね……」


「……」


「……」


「……偽物、だろうね」


「で、ですよね……。私もそう思ったのですが、一応、お耳に入れておこうと……」


「うん、ありがとう……」


 傍にあった花の花弁を指先で撫でながら小さく息をつくヴァローダ。


「如何致しましょう?兵を遣わせて捕らえましょうか?」


「いや、その必要は無い。放っておいても勝手に自滅してくれるさ」


 兵は了承の意を伝えると、急いでその場から立ち去った。


「彼も色々と、苦労が多そうだね……」


 ほんのりと愉しそうに呟くと、第二帝国の王は再び花を愛でる時間に戻るのであった。その後、公務中にサボっていた現場をメイド長に見つかりこっぴどく叱られることとなるのだが、それはまた別のお話。



 ―――――



「ど、どうなっておるのじゃコレは……!れ、『レッドデビル』が……三人も……!?」


 フマ村の酒場にて。


 あの『レッドデビル』が同空間に三人も存在しているという地獄の方がまだ生温い状況に村長は顔を蒼白に染め、部屋の隅で怯えていた従業員の少女は穏やかな表情で失神していた。村長の一人娘であるマーレだけは違和感に気付き、いよいよおかしくなってきたぞと眉間を刻む。


「お、お前ら……。お、俺の偽物が二人も……?」


 ふわふわの赤毛を揺らしながら三人目の自称レッドデビルは先に酒場に居た二人のレッドデビルを交互に見やる。


 彼の名はゾーイ。彼もボルと同じく偽物を退治し名を上げてやろうとこの村にやって来た偽レッドデビルであった。


(な、何だこの状況は……。ま、待てよ?一人が偽物だとすると、もしかしてどちらかは本物……!?い、いや。どちらも偽物って可能性もある!だが……。く、くそっ!レッドデビルは鎧を着ていたのか!しまった……!これじゃあ僕が一番疑われかねないぞ!)


 固まるゾーイ。固まるボル。固まるタンタロ。


 あまりに異質な状況に、誰も声を発そうとしない。


(((どうしよう……)))


 三人が三人とも、どうしていいか分からなくなっていた。


 そんな中、この一連のやり取りを眺めていたマーレがポツリと呟く。


「いや……。流石に二人は偽物でしょ。っていうか、もしかしたら全員偽物なんじゃない?」


「「「!!!」」」


 一斉に少女へ視線を向けるレッドデビル達。見た目だけの威圧感はある為マーレも怯むが、しかし強気な表情で続ける。


「どこかで聞いたことあるわ。レッドデビルの名を騙って悪事を働く輩が居るって……。アンタら、もしかしてそうなんじゃないの?」


「なにを言う!」「私が本物だ!」「いいや!僕だ!」


 堰を切ったように各々が我こそ本物であると主張を始める。が、そのどれもが見た目や言葉遣いや体形といった本物かどうか判別のつかない部分の主張となってしまっている為、結局のところ真贋は不明のまま。


 不毛な言い争いを前に痺れを切らしたマーレはカウンターを平手で叩き、声を上げる。


「誰が本物かは戦えば分かる事じゃないの?一番強い奴が本物ってことになるんじゃないかしら?」


「「「!!!」」」


 その言葉に偽物達は妙に納得した様子でそれならばと全員酒場から出て行った。マーレもそれに続き、村長は失神している従業員に声を掛けていた。


 酒場の前はおあつらえ向きの広場となっており、偽物の三人はそれぞれ準備運動を始めていた。外で様子を見ていた住民も訝し気に身を乗り出し様子を窺う。


「ふふ……。見てろよっ!」


 タンタロが傍にあった空の樽を頭上に持ち上げ、両手で潰して見せた。破壊された樽の残骸は無残にも地面に転がる。


 自信満々に腕を組み胸を逸らすタンタロにボルは嘲笑を浮かべた。


「ふん。ただの力自慢か。場末の見世物には丁度良いだろうな。見るがよい!」


 ボルは足を開き姿勢を低く保つと、弓のように右手を後ろに引き絞る。その後しばらく体を震わせるばかりで動きが無く、謎の沈黙に耐え兼ね誰かが声を出そうとした瞬間、気合の籠った怒声と共に右手が勢い良く突き出された。


 すると、少し離れたところにあった樹木の幹の皮が抉られ、木の葉が数枚散った。


「フフ……。どうだ?貴様らに同じ芸当ができるか?」


 タンタロは驚愕を顔に浮かべる。何とも微妙な威力の無属性魔法を放ったボルは鉄仮面の下で顔中に汗を滲ませながら『軽いもんよ』と言いたげに手を払った。


 しかし、それを眺めていたゾーイは二人の矮小な能力を鼻で嗤う。


「ただの馬鹿力にしょっぼい魔法。所詮、偽物はその程度だよね~」


 一番妙な格好をした偽物は他の偽物を嘲りながら足で地面に円を描く。


「見せてあげるよ……。僕のを!」


『!?』


 ゾーイの宣言に、その場に居た全員に動揺が走った。召喚魔法と言えば数ある魔法の中でも最上位に位置する超高等魔法である。数千年の歴史の中でもそれを発現できた者は数えるほどしかおらず、また発現せしめた者は漏れなく当時の大陸の支配者となっていた。


 その召喚魔法を今からこの男は見せるというのだ。


 ゾーイは両手を天に掲げ目を閉じると、聞いたことも無いような言語で何かを唱え始める。


(ばっ、バカな!召喚魔法だと!?そ、それが本物のレッドデビルの神髄だというのかぁ~!!)


(し、信じられぬ。召喚魔法など御伽噺の世界だ。あり得ぬ。しかし、も、もし本当ならば今すぐ逃げなければ……)


 村人達は足が竦み、タンタロもボルも気付けば後退りをしていた。しかし、逃げようとした時には既にゾーイの手は描かれた陣に振り下ろされる。


 皆が衝撃に備え瞼を固く閉じ身構える……。が、しかし数秒後。特に変化が起きていないことに気付いた者からちらほらと顔を上げ周囲を見渡す。


 全員の視線がゾーイに注がれたところで彼は舌を出し、おどけた様子で言い放った。


「ごめんごめん。そう言えば昨日、別の場所で召喚魔法使ってたせいで魔力がすっからかんだったの忘れてた。期待させてごめんねぇ?」


『……』


 弛緩した雰囲気が漂う中、いよいよマーレの疑心は確信に変わる。


「アンタら……。全員偽物でしょ」


「「「いや!本物だ!!!」」」


 戦う様子もなく再び言い争いを始めた三人。どうしたものかと頭を悩ませるマーレであったが、そんな最中村に立ち入る一人の影が……。


「おい……。レッドデビルはどこのどいつだ……」


 村人と偽レッドデビルの前に現れたのは、大男のタンタロですら見上げるほどの巨躯。金属の錆にも似た褐色の肌に、巨木のように太い手足。彫刻のように練り上げられた身体。


 歩いて来た道にはまるで獣のように鋭い指先の巨大な足跡が。


「……お前らか?」


 ところどころに赤黒い染みがこびりついた傷だらけの甲冑が太く掠れた声に合わせて軋む。


 頭部の露出が少ない甲冑故に素顔は見えなかったが、その場に居る全員がその男が人間でないということは容易に想像がついた。


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