第2話 暗い旅路
かつて大陸中の国々を巻き込んで勃発した戦争、レギンドの大戦が終結して数年が経過した。
勝者であるオズガルド帝国は敗者である連合国側の人々を経済的にも肉体的にも、ただひたすらに、執拗に必要以上に蹂躙し続けていた。
「待って!待ってくれ!俺は本当に何も言っていないんだ!全部言いがかりなんだ!」
とある村。緑が生い茂り、水と空気の澄んだ心地の良い農村に、一人の村人の悲痛な叫びが響いた。初老の男は地面に深々と突き刺された鉄柱に頭上よりも高く後ろ手に縛り付けられており、その傍らには帝国の兵士が、そしてその二人を囲むように村人が広場に集まっていた。
兵士はこれが答えだと言わんばかりに手に持っていた短鞭を振る。喉を震わせ白目を剥く男。彼が着ていた泥だらけの貧しい衣服は裂け、隙間から濁った血が垂れた。
「あ、あぁ……。ほ、本当に……」
足を震わせ涎を垂らしながら尚も意見を述べようとする男の頬に、容赦のない制裁が加えられる。甲高い破裂音と共に男の頬肉は弾け飛び、歯と肉が地面に散らばった。あまりにも凄惨な場面に様子を見ていた、見せられていた周囲の村人の間からは悲鳴が上がる。
その喧騒を聞きつけてやって来た人々の中に、一人の青年の姿が。
「こ、これは一体……?」
茶髪の青年はズレた眼鏡を慌てて掛け直し広場の中央に視線を送る。が、その行動は直ぐに彼を後悔に駆り立て、驚きのあまり尻もちを着いてしまった。その仕草が目立ってしまったか、村人の監視をしていた帝国の兵士の一人に声を掛けられてしまう。
「おい、お前、何をしている。しっかりと見ないか」
「え?あ?み、見る?え、えっと……?」
「ん?何だお前。この村の人間じゃないな?まぁ良い、ホラ、さっさと立て。そしてよく見ておくんだ。帝国に逆らうとどうなるかってことをな」
屈強な兵士の手がまるで小枝のような青年を腕を掴み、身体を無理矢理引き起こす。
「い、痛い!は、離してください!」
「何だお前、歯向かう気か?さてはお前、反乱分子じゃないだろうな?」
その言葉を聞いて青年は思い出した。今、この大陸では帝国の反乱分子とみなされた者はその場で処刑されるか、捕縛され酷い拷問を受けるという事を。仮に反乱分子ではないとしても、その場で自分の身分を証明できなければ強制的に反乱分子に仕立て上げられ処断されるという理不尽も横行している。それを知っていたからか、青年の行動は早かった。
腰に巻いていたカバンから小さな腕章と紙を取り出し、自分の腕を固く捕える兵士の前に突き付ける。それは帝国軍である証の腕章と帝国人であることを証明する簡易的な住民票であった。こういう事もあろうかと持ち歩いていたのだ。
「ぼ、僕は、ジメドといいます!元帝国軍の、帝国人です!反乱分子じゃありません!」
「……ん?……ん~。確かにこれは、第三帝国の……。何だお前、同郷じゃないか。全く、危うくお前も拷問にかけるところだったぜ」
腕を放し他人事のように笑う兵士を前にジメドは青ざめた苦笑を浮かべた。
「いやいや、悪かったな疑って。元って事は退役したのか?もったいないな。帝国軍に所属してれば一生食うには困らねぇってのに。見たところ、旅でもしてるのか?」
「そ、そうですね……。色々と見聞を深めたくて……」
ジメドの言葉に兵士は嘲笑を浮かべた。
「見聞を広めるって言ってもなぁ……。今じゃあどこ行ってもロクなもん見れねぇぞ。どこ行ってもあんな感じだぜ」
兵士が顎で広場の中心を示す。幾度となく繰り返された暴行により村人の男は既に息も絶え絶えであった。とある兵士が意識を失いかけた村人の頭に井戸水を叩き付け、目を覚まさせるとすぐにまた拷問が始まる。
空を裂くような悲鳴を前に更に困惑の表情を強めるジメドを見て、兵士は呆れたように口を開いた。
「何だお前、反乱分子の公開処刑を見るのは初めてか?まぁ帝国領内の警備だと、ああいうのを見る機会も無いか」
「き、聞いたことはありますが、み、見るのは初めてです……」
「そうか。なら良い機会だ。しっかり見ておけよ。あれが逆賊の辿る道だ。帝国に逆らうやつは皆ああなる。そして見せしめにすることで帝国に逆らおうという気を削ぐんだ。これも立派な帝国軍人の仕事だぜ」
「……あの人、反乱分子なんですか?一体何をしたらあんな目に遭わされるんですか?」
遂にがっくりと項垂れ、所々骨が剥き出しになり、生きているのか死んでいるのか分からない状態になった村人を横目に問う。
「先日、奴の住んでいる家の隣の住人から通報があってな。どうやら帝国の陰口を叩いていたらしい。そりゃあ、アウトだよな」
反乱分子の存在を帝国に報告すればその真偽に問わず報酬がもらえる。そんな噂をジメドは頭の片隅に窺った。
「彼は否定しているみたいでしたが……」
「本当か嘘かはどうでも良いんだよ。こうして見せしめに出来ればな」
「そんな……。いくら何でも惨すぎませんか?せめて、ちゃんと真偽を確かめてからの方が……」
端から聞けば真っ当な言葉に、兵士はわざとらしい笑声を上げ、そしてジメドの背中を叩いた。
「戦争に負けるっていうのは、こういう事なんだよ。何されても文句は言えねぇんだ。それにな?色んな奴が俺達の行為を惨いだの酷いだの言いたい放題言うけどよ、連合国の連中も戦争の時には随分と酷い事してきたんだぜ?俺の両親もその被害者さ。おふくろは散々暴行を受けた後に生きたまま火炙りにされたし、親父はこんがり焼けたおふくろの肉を無理矢理食わされた後に手足を切られて芋虫みてぇに死んでいったよ。戦争に負けた途端被害者面しやがって。虫唾が走るぜ。これは当たり前の報いなのさ」
「……」
何も言い返せなかった。無論、この兵士が受けた苦痛や連合国の行いに関しても思うところが有ったからなのだが、それ以上に、この男には最早何を言っても無駄だと思ったからだ。
憎しみを憎しみで上書きし、狂気が正気として罷り通る。戦争は人々の価値観を容易に捻じ曲げ、善と悪の概念を完全に有耶無耶にしてしまっていた。
その後、公開処刑は終わり、死体は村人の誰かがどこかへ埋めに行った。帝国兵により解散を告げられた村人たちは重苦しい空気の中、誰とも目を合わせることなく散っていった。
「それじゃ、俺は別の村に行くぜ。せいぜい色んなものを見てくるこったな。あばよ、ジメド」
ジメドと会話をしていた兵士もやけに爽やかな面持ちでそう告げると、仲間の兵士と共に村から去って行った。
気付けば日も暮れかけている。地平線に沈む夕日の美しさが今日はやけに残酷に感じた。
出来ればこの村から早急に立ち去りたいが、ひ弱なジメドが魔獣や野盗の活動が活発になる夜間に出歩くのは非常に危険である。彼は仕方なく、適当な宿を探し一晩を明かすことにした。
――その夜、酒場で耳にした話なのだが、どうやら処刑された男が帝国を謗(そし)っていたことは事実であり、それも頻繁に村人へ話していたらしい。村人達はその男に帝国の悪口を言うのを止めるよう強く説得していたのだが男は聞く耳を持たず、このままでは村全体が目を付けられてしまう可能性があった為、村人同士の相談の結果やむなく通報したそうなのだ。
その晩、ジメドは何かから逃げるようにブランケットを頭の先まで被り、眠りについた。
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