第7話 僕とお茶でもどうですか➁
ロバートの周りには常に、と言っていい程常に女が居た。
「よぉ、相変わらず一人で飯か。しけてんな」
食事中だろうが移動中だろうが、果てには戦場だろうが、この男の周りには女が絶えなかった。
「良い男は良い女を侍らせてないとな。逆もまた然りだ」
彼の傍に居る女性はいつも違っていた。長年熟成させたワインのように濃厚な美女や初夏の空のように爽やかな美少女、時には魔族であったりと悪く言えば節操無く、良く言えば分け隔て無くあらゆる女性を手元に置いていた。
「何ならお前にも教えてやろうか?必勝のナンパテクニックをさ」
彼は今までナンパに失敗したことが無いのだという。飄々としてて朗らかな性格に加え元々の顔がかなり良い為であろう。
「なぁに、男は度胸さ。待ってるだけじゃ女は寄って来ねぇぞ?いつの時代も行動あるのみだ!さ、街に出ようぜ?俺がお手本を見せてやるからさ」
休暇の日は決まってロバートに引っ張りまわされては女を引っかける餌に使われたものだ。そしてその度にロバートはしっかりと釣果を上げ、自分は一人で宿に帰っていた。
『女泣かせのロバート』。とにかくモテて女遊びが激しい事から、周囲の男共からは嫉妬と羨望を込めてそう呼ばれていた。
――そんな男が今、ナンパに失敗し、『大』の字の情けない姿を晒しながら地面に埋まっていた。
「……」
「……」
ロバートを虫けらのように叩き潰したデアナイトの少女が困ったように視線をこちらに向けてくるが、ジルは意図的に顔を反らした。出来れば、他人という事にしてもらいたかった。
「ハハハ!いやぁ、随分と激しいお嬢さんだ!」
埋まっていた地面から一瞬で抜け出し、砂まみれの服を払いながら満面の笑みを浮かべるロバート。鼻からは一筋の赤が流れていた。
「突然の事で驚くのも無理は無い。しかし僕は!キミのその道端にポツリと孤独に咲く花のように可憐な美しさに一目惚れしてしまったんだ!キミを見た瞬間僕の心はすっかり撃ち抜かれてしまったよ!これはきっと運命の出会いに違いない。僕はそう思うんだ!」
「…………」
殺す気で叩き潰したのだが異様なまでにピンピンしている目の前の男に若干引き気味なルル。戦場で敵から親しみを向けられるという奇怪な出来事に加え、実は彼女は男性経験が皆無でありこういう事に疎いのもあって頭の中はかなり混乱していた。
どうしていいのか分からないので、取り敢えずもう一度盾を叩き付けてみた。
「きゃぶぅ!!!」
爬虫類が潰れるような情けない声。先程より深く地面にめり込ませたがしかしこの赤髪の男はまたも即座に立ち上がり、乱れた髪と服を直す。
「ふふ、照れ屋さんなんだね。でも、キミの素直な気持ちがその盾から伝わって来たよ。随分手加減をしてくれてるようだね。そんな奥ゆかしいキミも素敵だ」
「……」
手加減どころか息の根を止めるつもりで見舞ったものであった。だが直撃を受けたこの男は一瞬で立ち上がり、空に遠く浮いて行ってしまいそうな軽口を叩きながら三度自分に詰め寄ってきているではないか。
堪らずルルは生命力と性欲の権化を指差し、レッドデビルへじっとりとした視線を送る。ジルは困ったように鎧の頬を掻いた後、少し大きめの声で緊張感無く呟いた。
「相手が女なら誰にでも言ってるから、ソイツ」
「……!!」
半開きだったルルの目が更に細まる。彼女の周囲をどす黒い魔力が覆い始めた。
「え、ちょ、まっ……おおお!?」
容赦無い断罪。魔力の籠った強固な盾が何度も何度もロバートを叩く。適当にではなく丁寧に殺意と悪意を込めて。
打つ度に空を裂くような衝撃波が周囲に撒き散らされる光景に、『ありゃ死んだな』とどこからともなく憐みの言葉が聞こえた。
「……ども、ども……」
すっかり地面に埋まり動かなくなってしまったロバートを、申し訳無さそうに頭を下げながら回収するジル。倒すべき相手を前に『ちょっと待っててね』と気さくに頼む彼も彼であったが、それを黙って受け入れるあたりルルもすっかり毒気に当てられていた。
「何だよジル!余計な事言うなよ!」
「何やってんの?お前」
胸ぐらを掴まれ詰め寄られるロバート。二人の言い争いを周囲は黙って眺めている。
「さ、作戦だよ作戦。お前だとあの子は分が悪い。速さで圧倒されちまう。だから俺が注意を惹き付けてお前はその隙に……」
「本音は?」
「いや!今の割と本音!お前だって正直結構ヤバいと感じてるだろ?あの子と戦うの。お前があの子に勝てる見込みはあるのか?」
「……いざとなれば、使うまで」
「止めとけ。それは最後の最後まで取っておくべきだ。上を見ろ。まだエルバンとかいうめちゃくちゃ強いって噂の化け物とそれ以上にヤバいソリアが残ってんだ。そいつらの為に温存しとけ」
「じゃあお前なら勝てるとでも?相手はデアナイトだぞ」
「お前よりかはまだ可能性があるさ。まぁ、取り敢えずここは俺に任せろって」
そう言うとロバートはジルの手を振り解き、再びデアナイトの下へ両手を上げながら歩み寄った。
ルルも攻撃さえ仕掛けないが何か下手な動きをすれば瞬時に目の前の男を撲殺できるよう盾を周囲に配置する。
「名乗るのが遅れて申し訳無い。俺の名はロバート。ロバート=ベクラルだ。キミは?」
「……。ルル。ルル=トール」
この男の会話に付き合って良いものか逡巡したが、名乗られた以上名誉ある帝国の人間として返答せねばとルルは小さな声で名を告げた。その澄んだ小川のせせらぎのような可愛らしい声にロバートはうっとりと目を細める。
「ルル、ルルちゃんか。キミにピッタリなとても可愛い名前だね」
「……似たような事、他の人にも言ってるんでしょ?」
「とんでもない!アレはあの童貞が僕を妬んで勝手な事を言っているだけさ!」
周囲の傭兵が小声で『童貞……』『レッドデビルは童貞なのか……』と囁く声に混じり背後からおぞましい殺気が伝わってくるがこの際ロバートは無視した。
「どうだろう。こんな無益な争いは止めて僕とお茶でもどうかな?美味しいアップルパイのあるお店を知ってるよ?」
「……?……??」
どうも目の前の男からは敵意を感じない。それにこの男を屠ることは命令の中に含まれていなかった。ルルは無表情でいながらも明らかに動揺しており、行動を決めかねていた。
そんな中、彼女の頭上から声が降り注ぐ。
「おーい。ルル、何をやってるんだい?」
それは主の声。自分をデアナイトに任命した敬意を捧ぐべき男の言葉。
その声に対し、ルルは目の前に敵が居るのにも関わらずロバートに背を向けヴァローダの方へと顔を上げる。
がら空きの背中を見て剣の柄に意識を向けたロバートであったが、張り巡らされた魔力の密が彼の奇襲を制していた。今跳びかかったところで四つの盾に阻まれることは明確である。
「……申し訳ありません。直ちに排除します」
「あ、いや、僕が言いたいのはそう言う事じゃなくてね。ロバートさんのデートのお誘い、返事はしないのかな~ってさ」
おお!と喜色を湛えるロバートに対し、目を点にして口を半開きにするルル。場を更に混乱させるような発言をした当の本人は愉しそうに意地悪な笑みを浮かべている。
「え?あの……。それはどういう……」
「ロバートさんがそこまで熱意を込めてお誘いしてくれているのだから、誠意を以てお返事しなきゃ」
「……え……。でも……」
戸惑う部下に穏やかな笑みを浮かべるヴァローダ。彼もまた、ソリアに負けず劣らずの楽しいこと好きな変人であった。
「そうだな、じゃあこうしよう。ルルとロバートさんが一騎打ちして、ロバートさんが勝ったら誘いをお受けなさい。ルルが勝ったらそうだね……。何かご褒美をあげよう。おやつ一年分とか」
「……命令とあらば戦いますが。よろしいのですか?レッドデビルの方は……」
「問題無い。キミは目の前の相手に集中したまえ」
「……」
こくり、と小さく頷くルル。
流石はかの高名な第二帝国の皇子様!物分かりが良い!と、安っぽいお世辞を並べ手を叩くロバート。彼からすれば目論見通りの展開になり過ぎて怖いぐらいだったが、この状況に口を挟んだのはソリアであった。
「何をふざけたことを抜かしている。貴様、私を護らせる為にデアナイトを寄越したのではないのか」
持っていたグラスを投げ捨て怒声を浴びせるも、兄の表情は涼しい。
「それが余計な事だと吐き捨てたのはキミの方じゃなかったかな?それに、キミを護るという目的も含めて彼の策に付き合ってあげようとしているだけだよ」
「……どういう意味だ」
「正直、キミも閃光のロバートとレッドデビルを同時に相手取るのは骨が折れるだろう?それはこちらも同じでね。少し戦わせてみて分かったけど、ルルでもあの二人を同時に相手するのはちょっとまずいかもしれない」
だからここは半分こといこうじゃないか。と宣う兄を唾棄する弟。
「貴様は買い被り過ぎだ。見ろ、レッドデビルは最早満身創痍。ロバートとやらもそこまで大した使い手ではないではないか。何を恐れる事がある」
「キミはいい加減驕りを捨てて物事の本質を見極める力を養うべきだ。彼等はまだ本気を出していない。ロバートさんも、キミが思っている以上に強いよ。まぁそれはウチのルルも同じなんだけどね。で、どうする?」
「……フン。勝手にしろ。そして見ているが良い。デアナイトなど俺の玩具の足下にも及ばぬ事をな」
特に指示は出していない。が、ソリアの意志に呼応するように玉座の周りで静止していた三体のエルバンがゆっくりと動き出した。
城壁に登った三体は散歩に出向くかの如く前に踏み出し、ほぼ直立の姿勢で落下していった。しばらくして鈍い着地音が響く。セラが慌てて城壁から身を乗り出し下方を覗き込むと三体の怪物がジルを囲むようにして立っていた。
遠く離れていても彼らの身体から湧きだす魔力が肌を刺す。得体の知れない怪物の参戦に成り行きを見守るしか出来ないセラ。彼女の憂慮を察するソリアは口元を緩め、ゆっくりと立ち上がり、セラの肩に手を回す。
「っ!」
嫌悪感に顔を歪ませ振り払おうとするがびくともしない。傲慢な意思が柔肌に食い込みセラは小さく唸る。
「よく見ていろ。今から貴様の焦がれた男がじっくりと壊される様をな」
ソリアの絶対的な自信に、セラの顔が青ざめる。
彼女はただひたすらジルの無事を祈った。
―――――
「さて……。それじゃあルルちゃん?僕とお手合わせ願おうか?」
「……分かった。一瞬で終わらせる」
空色の瞳が輝きを増し、彼女を取り巻く魔力が昂りを見せる。ロバートは背中に嫌な汗を感じながら、静かに愛刀エクレルの柄を撫でた。
―――――
「ハァ……ハァ……」
ロバートの策が実った事を驚くのも束の間、息を荒らげ苦痛に耐えるジルの前には新たな障害が立ち塞がっていた。
エルバンの歪に膨れ上がった赤黒い巨体は鎧を着用したジルよりも一回り大きく、その深く黒い双眸からは人間性が窺えない。見た目はオークのような人型の魔獣に似ており、元々どんな人間だったのか想像できない程ヒトから乖離している。
ソリアが妙な奴隷を飼っているという噂は聞いたことがあるが恐らくこれらの事であろう。
(もう少し……。もう少しなんだ……)
溢れ出ようとする血を飲み込み、歯を食いしばって顔を上げる。
すぐ目の前、手を伸ばせば届きそうな距離に彼女は居る。
ジルはメイスの柄を握り締め、何度目になるか分からない渾身の力を以てエルバンに跳びかかった。
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