第6話 僕とお茶でもどうですか

(……さっきのはやばかった……)


 美しき白の鎧の下で胸を撫で下ろすのは、オズガルド第二帝国が誇るデアナイトが一人、ルル・トール。


『彼女』の盾と鎧は魔力によって生み出された事象であり、その堅牢さはギガースの一撃ですら悠々と受け止めてみせる。しかもその盾や鎧を意のままに動かすことも可能であり、攻守ともに秀でた動く要塞である。


 レッドデビルからソリア皇子を護るよう、ヴァローダの命を受けこの戦場に馳せ参じていた彼女。


 初めはレッドデビルをかなり過小評価していた。確かにその辺の戦士に比べれば格別に強い。だが、自分や他のデアナイトに比べれば実に矮小な魔力であった。攻撃を仕掛けてきた時も念を入れて二枚の盾で防いでみたが、その攻撃は小枝で叩かれたように軽かった。しかし、二度目の攻撃はまるで別人。粗野で暴力的な魔力を帯びた黒い鎧が繰り出す重く鋭い一撃は、僅かだが彼女の心に動揺を植え付けた。


 この悪魔、魔力の量も相当なものだが魔力の使い方にも非常に長けているようだ。


 そして厄介な事にあの閃光のロバートも居る。彼の噂は良く耳にしてはいたが確かにはやい。四枚の盾を総動員してやっと捉え切れる速度だ。攻撃自体はそこまでの威力は無いようだがレッドデビルと二人がかりで来られると少し面倒であり、どうしたものかとぼんやり考えていた。


 そんな、まだまだ余裕と落ち着きがあるルルの前で、何やら男二人が揉めていた。


「女だって?あのデアナイトが?」


「あぁ、間違いない。さっき近付いた時に匂ってみたんだが、間違いなく女の匂いがしたぜ!それもかなり若そうな!」


 自信満々にそう答えるロバ―トの瞳には緊張感の無い無邪気な輝きが満ちていた。


「お前、まさか、それを確かめるために?」


「そうそう。これで確信が持てたぜ」


「……やっぱりここで死んどくか?」


「わーっ!わーっ!洒落にならねぇから止めろ!」


 侮蔑と憤怒の籠った低く野太い声。鎧から魔力を噴き出しながらメイスを大きく振りかぶる友人の姿にロバートは慌てて距離を取った。


「女だからなんだ。戦場に男も女も人も魔族も関係あるか」


「いやまぁそうなんだけどさ。でも相手がレディならあまり酷い事はできないなぁと」


「……」


 戦場でそんな甘ったれたことを、と言いたくなるがこの男にそう苦言を呈しても無駄であることを理解していた。


 昔からそうだ。例え自分の命を狙う相手でもそれが女であればなるべく無傷で戦闘不能にさせ、決して殺めたり大けがを負わせたりしない。


 それがロバートの流儀であることはジルも重々承知していたし、それは決して悪い事では無いとは解っているのだが、しかし流石にこの場でその性格が出てくるのは勘弁してほしかった。


「お前、状況を理解してんのか?」


「してるさ。だからトドメはお前に任せる」


「……好きにしろ」


 構える両雄。デアナイトもそれに応じ盾に流す魔力を高めた。


 再び激突する両者。意外にも圧しているのはジルとロバートであった。ロバートが速さで掻きまわし、その間隙をついてジルがメイスを叩き込む。かと思えば今度はジルが囮になってロバートの攻撃の隙を作ったりと一瞬で切り替わるコンビネーションにデアナイトは防戦一方。遂には精度を欠いた大振りのメイスが腹部を掠め、ルルの体勢が崩れ爪先が一瞬地に着いた。


「っ……!」


 強い。ルルがこれまでに屠ってきた雑兵などとは明らかに格が違う。


 今までは桁違いの魔力を少し見せつけるだけで相手は委縮し後は蹂躙するのみであったが、この二人は恐れるどころか武器を交える毎に踏み入る歩数を増やしてくる。魔力や実力も当然一級品なのだが、それ以上に二人の場慣れした動きがルルを苛立たせていた。


「オオオオオ!!!」


 頭上から轟く咆哮。悪魔の躊躇い無い追撃が襲い来る。城壁寸前まで追い詰められたルルは盾を四つ重ねて立ち向かうが何と四つの盾の内二つがが砕けて残りの二つは弾き飛ばされてしまった。


「今だ!」


 ロバートが叫ぶ。ジルが吠える。


 勝負あった。そのまま一気にとどめを刺そうとジルがメイスを振りかぶる。しかし、その様子を頭上から見下ろしていたヴァローダの表情は涼しい。


 次の瞬間、ジルの身体は大きく吹き飛んだ。


 盾によってではない。ルルの身体から放たれた膨大な魔力が全身に打ち付けられたのだ。あまりの衝撃にジルの喉の奥から灼熱が込み上げてくる。直ぐに立ち上がろうとするも一瞬足に力が入らずよろけてしまったところをロバートが支えた。


「おい!大丈夫か!」


「何とか、な……」


 そうは言いながらもジルの鎧の下からは吐き出された血が地面に滴り落ちていた。疲弊した身体で莫大な魔力を使ったことにより彼の身体も限界が近い。


「相変わらず変な光景だなぁ、鎧をすり抜けて血が落ちるってのは」


「……何があった?あのデアナイト、急に魔力が……」


 二人が前を向いた瞬間、二人共に絶句した。


 ――そこに居たのは、あまりにも美しく、可愛らしく、そしてあまりにも戦場に似つかわしくない美少女だった。


 絹糸のように柔らかく滑らかな長髪は新雪の輝きを帯び、眠そうな半開きの目からは薄青空の光が映える。


 口は小ぶりで幼げな桃色。額が広く、可愛らしい小動物を前にしたような庇護欲を掻き立てられる。手足は細く、凹凸の殆ど無いなだらかな体躯であるが、ぴったりと肌に張り付いた乳白色のインナーのみという服装が、その安っぽい身体を寧ろ煽情的に仕立て上げていた。


 四つの盾に囲まれたその姿はまるで、花弁から産まれた妖精のよう。


「盾が復活してるな……。鎧を脱いで、いよいよ本気ってわけか?」


 明らかに先程までのものとは比べ物にならない強大な魔力を放つ少女を前に鉄の味が混ざった唾を飲み込むジル。見た目は何とも可愛らしい少女ではあるがその魔力からは凄まじい殺意が滲み出ており、ジルから見ればギガース以上に凶悪な魔物に見えていた。


 気付けば動いていた。疲労を忘れ目の前の標的に一心不乱に駆け出した。ジルの本能は感じ取っていた。この化け物は全力を維持できている内に始末しておかなければならない、と。


 脚に熱が籠る。大地を蹴り飛ばし少女に肉薄する。が、轟音と共に呆気無く吹き飛ぶジル。防御どころか衝撃を覚悟することもままならぬ内に白き盾は黒き鎧に襲い掛かっていた。


「……っ!?」


 凶悪な一撃をモロに受けてしまい血反吐を吐きながらうつ伏せに倒れてしまう。城壁の上からはセラの悲痛な叫びが響いていたがそれを聞き取る余裕は今の主人に残されてはいない。


 速度、重さ、堅さ、全てにおいて段違いであり尚且つあの盾は再生可能というおまけ付き。これがデアナイトの強さか、と軽い絶望感を抱きながらメイスを地に突き立て何とか立ち上がるジルの横で、一人の女たらしが口を開いた。


「……好みだ……」


「はぁ?」


耳を疑う発言にジルの口から血飛沫が飛ぶ。


「めちゃくちゃ好みだ……!あんなの有りかよ!可愛過ぎる!天使かよ!」


 頭を抱え悶絶する戦友を目の当たりにし、違うニュアンスで頭を抱えたくなるジル。


「お前、気は確かか」


「狂っちまってるよ!運命の出会いに俺の脳はすっかり溶かされちまってるさ!」


「いや、え、何言って……。ちょ、お前、何を……」


 ジルの静止も虚しくロバートは剣を鞘に仕舞うと身体に付着した砂や埃を払い、襟を正しながら飄々とデアナイトへ歩み寄る。その姿はあまりにも隙だらけであったが逆にそれが何かの罠ではないかと警戒したルルは迂闊に手を出せなかった。


 彼は遂に少女の目の前まで辿り着くと、涼やかな笑顔を浮かべ、あろうことか彼女の前で片膝を突き、左手を胸に当て、右手を差し出し、告げる。


「僕とお茶でもどうですか?」






 ……は?





 その場に居た全員が、心の中で声を漏らす。


 そして次の瞬間、ロバートは巨大な盾に叩き潰されていた……。

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