第5話 そういう趣味があったんですね
「毎度、上物が揃ってますぜ……」
客をもてなす内装が一切無い粗末な商館にて。屈強な用心棒と共にやって来た客に対し、薄黒いフードを被った店主がカウンターに座ったまま出迎える。
「貴様の店では大した役にも立たない戦争孤児を上物と言うのか?」
客の男は位こそ低いもののそれなりの貴族であった。赤や黄といった無駄に派手な色合いの服に宝石などの豪勢な飾りが付いた杖。
見栄と贅肉で身体を彩るその姿に貴族の威厳は窺えず、みすぼらしい奴隷商人にさえその浅はかさを見抜かれる始末であった。
「へへ……。まぁ、好きに見て行っておくんなまし……」
店主は案内しようともせずそう呟くと、フードを深々と被り直し椅子に座った。
ここはレムメルの町の地下にひっそりと存在する奴隷商館の一つである。
以前にジルがセラを買い取った店とは違い、地下故か湿気た空気にカビの臭いが充満し、店の光源は壁に点在する燭台の灯りのみ。
商品である奴隷は石造りの狭い牢屋に詰め込まれており、その服装も着古し汚れたものや適当な布切れに穴を開けて手足を通しただけという粗末な物であった。
「全く酷いものだな。これで商品とは」
小太りの貴族は牢屋の前に立ち、奴隷達を物色する。そこに居る奴隷達は皆年端もいかぬ少女であった。
彼女達は、戦争孤児である。
法律上では奴隷の売買自体は禁止されておらず、扱い方や奴隷として扱う年齢に制限はあるものの、貴族や上流階級の人間に需要がある故に黙認されることが殆どである。
弱き民の為ではなく力を持つ者に味方するのがこの大陸の法であった。
この貴族の男も口では侮蔑の言葉を漏らしているが、その表情は下卑た性欲に塗れていた。
まともな労働力にもならない奴隷を買う理由は殆ど決まっている。だからこそ、牢屋の中に居る少女達は青ざめた顔で身を寄せ合い肩を震わせていた。
「ふむぅ……。どれが良いかのう……」
粘性のある笑みを浮かべ、奴隷を舐めるように品定めする。そして数分後、男は一人の少女を指差した。
「決めた!あの娘にしよう!おい!店主!決めたぞ!」
「ん~?へいへい……。どれですかい?」
ここで漸く店主が重い腰を上げ、貴族の男の一歩後ろで立ち止まる。
「アレだ!一番奥の左から二番目!あの褐色肌の娘だ!」
「あぁ……。『カリナ』ですかぃ。旦那もお目が高い」
カリナ。その名前が呼ばれた瞬間、大半の奴隷達は顔に安堵を浮かべ強張った身体が緩む。しかし、呼ばれた本人、カリナは絶望を顔に湛えていた。
褪せた黒髪に深い藍の大きな瞳。その顔と身体つきは成人を迎えている人間には見えない。首には鋼鉄製の太い首輪。右足首には鉄球付きの鎖が巻かれている。
「齢は?」
「へぇ、十三です」
「十三か!良し!買った!」
「まいど……。カリナ、御指名だ。来い」
来い、と言うが促しているわけではない。看守が首に繋がれた鎖を引っ張り無理矢理牢屋の外へと連れ出すのだ。
指名を免れた少女たちは憐みの視線を小さな背中に向けるが、それは決して無垢な感情では無かった。
「いくらだ?」
「へい。首輪に値札が付いておりやす」
「……高いな。たかが戦争孤児一人にこれは法外ではないのか?」
「こちらも色々と危ない橋を渡っておりましてね……。それに、そもそもが法外な商品なんですから法外な値段は常識ですぜ旦那……」
「まぁよかろう。では、早速連れて帰るとしよう。フフフ……。何を怖がる。なぁに、大丈夫だ。ワシはこう見えても優しい男でな。最初から激しくはしたりせんさ……」
贅肉だらけの指が、カリナの小さな肩にしっとりと吸い付く。
「……お……さ……。……か……」
小さな声で呟くそれは、今は亡き父と母に救いを求める言葉であった。
こうしてまた一人、奴隷が誰かに買われていく。この光景は決して、特別なものではない。
――――――――――
「あ~!見て見て!すっごい鎧!」
「バカッ!指差しちゃダメ!行くわよ!」
黒光りする鎧に全身を包んだ大男は、無邪気に手を振る少年に小さく手を振り返すも、少年はすぐに母親に抱かれ人ごみに姿を消した。
ジルがレムメルの町に顔を出すようになってから一か月。一人で訪れるのは久々なのだが、今日はセラが同伴していないせいか人々との距離がいつもより遠く感じる。
時刻は昼過ぎ。本来であれば午前中に奴隷を買い、午後に必要な物を街で揃える予定だったが、噴水を修理することの出来る『女性の』職人が中々見つからず、既に昼を迎えていた。
男の職人はごまんと居るのだが、セラと他の男を二人きりにさせるのが何となく嫌だという理由で必死に女性の職人を探していたのだ。
(さて、どこの店に行こうかな……)
静かで荘厳な佇まいを晒す鎧であるが、中身は脳を桃色に染め浮かれ気分で妄想を膨らませている童貞である。
「オイ!待て!待たんか!」
雲がまばらに空を漂う気持ちの良い空模様の中、人ごみの割に相変わらず歩きやすい街道をのんびり歩いている最中、不意に轟く男の怒声。
何か事件が起きていたようだが、喧嘩だろうが盗みだろうがこのご時世さして珍しい光景でもない。
そういったことに野次馬精神を持ち合わせていないジルは騒ぎに目もくれず目的地へと歩みを進めるのだが……。
「た、助け……。誰か……助けてくださ……っ!」
風の気まぐれか、飛んできた火の粉がジルに引火した。
人の波を掻き分け目の前に現れたのは一人の少女。とても衣服とは言えぬ布切れを身に纏い、所々が露出した褐色の肌には数か所の擦過傷が確認できた。
一目で奴隷と分かる風貌の少女は、足枷の重みに耐えられなくなったのかジルの前で横転し、地面を這いながらどこかへ行こうとする。
「この……っ!ワシに恥をかかせおって!」
その行く手は、赤と黄を基調とした派手な服を着た小太りの男に阻まれた。
顎に伝うねっとりとした汗を袖で拭い、暴言を吐き散らしながら持っていた杖で少女の背中を二度三度と殴打する。少女は小さな悲鳴を上げると、その場にぐったりと倒れ込んでしまった。
その光景を前にして、大衆の中から助けどころか止めようとする声すら上がらない。恐らくはこの少女は奴隷であり、そしてこの男はこの奴隷の持ち主であるからだ。
奴隷を持てるのは基本的に貴族か権力者である。それだけ奴隷というのはそれなりに高価な物であり、冨と権力の象徴でもあるのだ。
この男の暴力は権利であり、くだらぬ正義感で止めに入り目を付けられては堪ったものではない。だからこそ誰もこの行為を妨げようとはしない。
一人の男を除いては。
「その辺にしておけ」
「あぁ!?何だ貴様、私に……」
呼び止められた貴族の言葉が詰まる。顔を上げた先に居たのは、黒い鎧に身を包んだ大男。
その戦士の姿を、そして名を、幸か不幸か貴族の男は知っていた。いつか物見遊山で田舎町を訪れた際、遠目にだがその鎧を見た事があった。
「れ、れ、レッドデビ……ッ!?な、何で!?」
「何だ。お前、俺のこと知ってるのか」
何で。その言葉が孕む意味があまりにも多かったためジルはその問いに答えることは無かった。
「お前、見たところ貴族だろう。大衆の前で品の無い事をするな。お前の行動の方がよっぽど恥ずかしいぞ」
「ぬ……っ!ぐっ!」
全身を鎧に包んで闊歩する男に品を語られ顔を赤くする。周囲の野次馬はこれは面白い事になってきたぞとやり取りを見守っていた。
「フン!レッドデビルだか何だか知らないが、傭兵崩れがワシに指図をするな!これはワシの奴隷だ!ワシの所有物だ!どうこうしようとワシの勝手であろうが!」
「いやまぁ、それはそうなんだがな……」
開き直る貴族の男の態度にジルは面倒くさそうに後頭部を掻く。
「流石に目の前でそんなことをやられると、気分悪い」
「だから何だ!貧乏人が口を挟むな無礼者め!それとも何か?貴様がこの奴隷を引き取るか?ワシから買い取って見せるか?そこまで言うのであればそれぐらいの覚悟はあるのであろう?」
「む?いや、それは……」
「フン!だったら黙ってろ貧乏人め!いつも貧乏人は口だけだ!偉そうな事ばかり宣うばかりで実際は何も出来ない能無しばかり。そんなクズ共がワシに指図をするんじゃ」
どさり。
硬貨がぎっしり詰まった手のひら大の皮袋が、貴族の男の足元に転がった。
「分かった。買おう」
「…………なにぃ?」
「買うと言っているんだ。それだけあれば足りるだろう」
それは、ジルが奴隷の購入を決めた際の手付金として持ってきていた金であった。
「……正気か?」
「当たり前だ。ホラ、さっさと必要な分だけ持って行け。そしてとっとと俺の視界から失せろデブ」
「なんだその口の利き方は!無礼者!私は由緒あるロズワール家の当主であるぞ!そこまで言っておいてこの袋の中身が端金であってみろ!ただではおかんぞ!」
ジルの放った皮袋を拾い上げ、中を見る。その刹那、ロズワールは一瞬だけ目を丸くしたかと思うと、急に落ち着き払った声で呟いた。
「少し足りぬが、まぁ今日はこれぐらいで勘弁してやろう。この女はくれてやる。貴様のような貧乏人にピッタリであろう。ホッホッホ……」
そう吐き捨てると、ロズワールは群衆の中へと姿を消した。あまりにあっけない決着に怪訝な表情を浮かべる野次馬の中、ジルは少女へ歩み寄る。
ジルは屈み込むと少女の足と首に取り付けられた拘束具を枯れ木を折る様に容易く破壊し、拘束具を取り去った。
「というわけで、まぁ、そういうわけなんだが……。大丈夫か?」
汗まみれの少女は苦悶を息に混ぜながらも小さく頷いた。しかし、緊張の糸が切れたのか、少女は意識を失いその場に倒れ伏してしまう。
慌てて抱きかかえるが呼吸はあるようで、一先ず安心したジルはこの子をこれ以上野次馬に晒すわけにはいかないと判断し、大急ぎで連れて帰ることにした。
―――――
「ジル様……」
帰宅後。主人の帰りを出迎えたセラの表情は、若干曇っていた。
それもそのはず。出迎えた主人の腕の中には、ほぼ全裸の状態の少女が穏やかな寝息を立てていたのだから……。
「そ、その子は?」
「ウン、今日買ってきた奴隷の子だよ」
「じ、ジル様……。そういう趣味があったんですね」
「違うからね!?そういうんじゃないからね!?」
この後、ジルがセラに必死になって弁解と説明を並べたのは言うまでもない。
兎にも角にも、ジルの屋敷に新たな奴隷が増えたのであった。
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