第4話 キミが一番だから

「ジル様~!朝ですよ!起きてください!!」


 ノックもそこそこに元気よく開かれた扉。


「んん……。あと三日……」


「ダメですよ!焼いたパンが固くなってしまいます!私の分のパンまで固くなってしまいます!」


「もうちょっと……。もうちょっとだけ……」


「いけません!わがままばかり言われてると、おやつのクッキー抜きにしてしまいますよ?」


「……」


 これには深く被ったナイトキャップを脱ぎ捨てるより他は無かった。セラの作る菓子はどれもこれも絶品でジルにとっておやつの時間は一日の中で最も楽しみな時間の内の一つになっているのである。


「おはようございます、ジル様。お着換えを用意してございますので、着替え終わったら食堂に来てくださいね?」


 軽快なお辞儀をして見せる従者の首下で、猫を象ったネックレスが愉しそうに揺れた。


――――


 セラが屋敷に来て早一月。屋敷内は二人の尽力によりかつての静謐と荘厳を取り戻していた。古い内装品は全て買い替え、不気味な石像や飾りは全て取り払い、無機質な廊下やテーブルを花や若木で彩った。力仕事は主にジルの仕事であったが、こういった内装に関するセンスは全てセラによるものである。


 荒れ果てていた庭もセラの働きにより今ではすっかり緑を取り戻していた。枯れた草木を新しいものと取り換え、花壇を作り花を植え、畑も耕し野菜を育て始めた。


 自然の中で生きてきたエルフだけあってその手際は驚くほど良く、地獄の入り口のような庭が『庭園』と呼ぶに相応しい上品で静かな雰囲気に仕上がっていた。


「ふぁ~あ……」


 食後。新聞を読みながら大あくびを浮かべる主人の前にセラは静かにコーヒーを差し出した。舌をやけどしないよう若干温くしてあるそれをジルは喉を鳴らして飲み干す。


「ジル様、いつも眠そうにされてますが夜更かしでもされているのですか?」


 目覚まし係に任命されているセラは蜜多めのミルクティーの香を楽しみながら他意の無い素朴な質問を投げかけるのだが、ジルの表情は随分と渋い。それもそのはず、夜更かしの主な原因は目の前の麗しいエルフにこそあったのだから。


 一つ屋根の下の生活も随分と経ち、お互いに色々と慣れてくることが増えてくるのだが、ジルには一つだけ何時になっても慣れないことがあった。


 それは、セラと一緒に風呂に入る行為である。


 強要はしていない。寧ろ嫌だったらしないで良いとまで伝えている。しかし、セラは湯浴みの時間を常に共にし、背中を流しにやってくるのだ。


 彼女も恥が無いわけではない。時間になると顔を赤らめ恥ずかしそうに湯が沸いたことを伝えに来るし、浴場に入るタイミングもずらしている。彼女曰く、『従者として当然の事』であり『主人に女性に対する免疫を付けてもらう為』でもあるらしいのだが……。


 奴隷という立場に身を置くが故の義務感による行動なのだが、女性慣れしていないジルは彼女が自分に好意を抱いているのではと勘違いし、その想いを無碍には出来ぬと同じ湯舟に浸かっていた。


「いや……。まぁ、色々とやることがあってね……」


 ふと、新聞を読むフリをしながらセラの胸元に視線を移す。ゆったりしたワンピースの上からでも分かるその巨大な二つの膨らみ。ジルはその全貌を何度も網膜に焼き付けたことがある。


 そのインパクトは童貞の脳裏に深々と刻まれ常に潜んでいる。しかもただの胸ではない。色、形、艶、どれをとっても非の打ち所の無い最早芸術の域に達する果実である。童貞を拗らせた男がそんなものを毎夜のように、しかも手に届く位置で見せられては悶々とした夜を過ごすことになるのも致し方ないことだろう。無論手を出しても誰も咎める者は居ないのだが、しかし彼の矜持がそれを許さなかった。


 と言うよりは、初夜の時にあれだけ格好つけておきながら結局は性欲に負け胸を触らせてほしいと頼むのは恥ずかしくてとても出来なかった。


「そうなんですね……。もし何かお手伝いできることがあれば言ってくださいね?」


「ウン、アリガトウ……」


『お手伝い』。という言葉が実に卑猥に聞こえた。


「あ、ジル様、そう言えばお聞きしたいことがあったんですが……」


 空になった二つのグラスを下げながらセラが蒼い瞳を輝かせる。


「表にある噴水は、あれはまだ使えるのでしょうか?」


「あ~……。あれかぁ……」


 屋敷の前ですっかり干乾びた噴水。あれはジルがこの屋敷を購入した時には既にその機能を失っており、水を入れたとしても用を為さない。


「職人に頼んで直してもらえばまた使えるようになると思うよ。頼もうか?」


「良いんですか!?嬉しいです!あの噴水が使えるようになれば庭の水やりがとても楽になるんですよ!」


 小鳥の踊りのように彼女の足取りが軽やかになる。


 確かに井戸から汲んで来た水を広大な庭に撒いていく作業は途方も無い労力である。噴水が使えるようになればかなりの効率化が図れるはずだ。その事に気付かなかった自分を戒めると同時にジルは他の作業に関しても思考を巡らせる。


 彼女は嬉々として働いてくれてはいるが、しかし彼女一人で出来る作業には限界がある。料理、洗濯、掃除、庭の手入れ、他にも枚挙に暇がない。


 そこで、ジルは前々から計画していた事を実行に移す考えを起こした。このタイミングなら違和感無くセラに提案でき、かつ認められるのではないか。そんな魂胆を抱きつつ、ジルは鼻歌を紡ぎながら食器を運ぶセラに告げた。


「やっぱり一人だと大変だよね~。一人だと出来る事は限られるからね~。いくらセラが凄く仕事出来る人でもやっぱり限界はあるよね~。もう少し人数を増やせばセラももっと楽になるんじゃないかなぁと俺は思うんだよね~」


「あ、新しく奴隷を買われたいと言う事ですか?」


「……」


 当然ながら一瞬で看破され、下唇を噛む。徐々に新たな奴隷の必要性とその必然性を臭わせておいて提案するつもりだったのだが、段階をすっ飛ばされ結論を剥き出しにされ(本人としては)緻密な計画が狂ったことで最早繊細な思考など望むべくも無く、感情に任せて想いを吐露するしかなかった。


 ジルは勢い良く立ち上がるとテーブルを叩き、力強く拳を掲げる。


「大丈夫!キミが!セラが一番だから!決して飽きたとか他の子が良いとかそう言うんじゃないから!ただやっぱりセラ一人だと大変だろうなって思ったしそれに」


「奴隷のハーレムを作りたいんですよね?」


「……。はい」


 筋肉から声を発するような生き方をしてきた彼に誤魔化す術など最早あるはずも無く、掲げた拳は力無く降ろされた。


「だ、ダメっすかね……?」


「え?いや、い、良いんじゃないでしょうか……?それは、私が口を挟めることではないと思いますし……。ジル様の言う通り、人出が増えれば私も大助かりですので……」


 それに、と、彼女は笑顔で続ける。


「お友達が増えるのは、私も嬉しいです!」


「お、おぉ……。そっか……」


 何だかんだでセラの許可を得ることが出来たジルであった。新たに買う奴隷が果たしてセラと友好的な関係を築けるかどうかはまだ不明なのだが、彼女の眩しい笑顔の前でそんな野暮な指摘をする気にはならなかった。


 一応、最後に念を入れて「でもセラが一番なのは本当の事だからね?」と告げると、彼女は少し恥ずかしそうに、しかし嬉しそうにはにかみながら「はい」と小さな声で答えた。


 とても微笑ましく暖かな雰囲気に包まれているが、話の内容から果たしてその雰囲気で間違っていないのか甚だ疑問である。

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