第2章
第1話 食糧危機
「ジル様、おはようございます。朝ですよ」
「んぁ……。あと半日……」
「ダメですよジル様。折角作ったスープが冷めてしまいます。お着替えご用意しておきましたので着替え終わったら食堂にいらしてくださいね」
「無理、眠い」
「一緒に食べる私のスープも冷えてしまいますよ?」
「……」
そう言われてはジルも抱きかかえた布団を手放すしか無かった。
ぼさぼさの頭髪を掻きながら重い瞼を懸命に持ち上げる。主人の起床を見届けた奴隷は静かな笑みを称え、おはようございます、と一日の始まりを告げた。
―――――
「また小競り合いか。近くでやられたら厄介だなぁ……」
新聞に目を通しながら食後のコーヒーを啜るジル。紙面のトップはとある小国同士の争いに関する記事であった。
数年前の大戦以降、殆どの国が大陸の中で一番巨大な国であるオスガルド帝国の支配下に収まり、良くも悪くも大きな戦争は治まったのだが、それでもまだ各地で戦火は燻っているようだ。
「戦争ですか……?」
食器を片付けていたセラが不安そうに眉を顰めている。彼女にとって自分の故郷を奪った戦争は忌み、怯え、恐怖する対象となってしまっていた。
「そんな大袈裟なものじゃないよ。関税の有無で意見が分かれて武力衝突寸前までいったみたいだけど、帝国が介入して収まったみたいだ。死人は出ていないらしい」
「そうですか……。良かった……」
本当はかなりの人数が命を落としているのだが、ジルはセラに気付かれないよう新聞をそっと窯の中に放り込んだ。
セラが屋敷に来て早五日が経過していた。
始めは戸惑いだらけであったセラも三日目から次第に慣れ始め、本来の明るい性格が戻り笑顔も時折見せるようになった。今となっては主人に小さな意地悪を言える程度には溶け込んでいる。
「ジル様、コーヒーのお代わりは如何ですか?」
「ん!ありがとう、いただくよ」
セラはカップに焦げ茶色の粉をひとさじ入れ、湯を注ぎ、掻き混ぜる。カップの上で色白な美しい指が躍り、淡い桜色の唇が微笑みに形を変える。そんな淑女の艶めかしい首筋には、あるはずのチョーカーが無かった。
――それは四日前。初体験未遂に終わった夜の翌日の朝の出来事である。
大事な話があると主の部屋に呼び出されたセラ。前置きも適当にジルは突然セラの首に巻かれたチョーカーに手を伸ばし、あっさりとそれを外してしまった。
「信頼の証として」
ジルはそう告げるのであったがそれでも動揺を露にするセラにジルは、
「キミの魔法は水や氷を扱う。もしかしたら生活に役立てることが出来るんじゃないかと思ってね」
と告げるのだが、しかしセラの答えは否定的であった。彼女は先の大戦において自分の魔法で多くの命を絶ってしまった過去があり、それからというもの魔法が上手く制御出来なくなってしまっていたのだ。
ならばこれから使えるようにリハビリしていけば良い。使いたくなければ使わなくても良い。何にせよ、そのチョーカーは外させてもらう。それがジルの言い分であった。
何だったら魔法を使って寝首をかきに来ても良いぞ、という冗談めかした提案にセラは大きく首を横に振って応える。
「もし魔力が暴走しそうになったらまた着ければいいさ」
そういう使い方もある。と、ジルは外したチョーカーをセラに手渡した。本当にこの人は変な人だと訝しむも、彼女の心の中は何とも涼し気な青空が広がっていた。
そういう理由があり、今、セラの首にチョーカーは着けられていない。
後日、「これから暑くなって蒸れるだろうから外して正解だったね」と、ジルが食事中にぽつりと呟いていたのだが、もしかしたらそれが一番大きな理由なのではないかと勘繰ってしまう程、彼からは緊張感が伝わってこなかった。
―――――
「ジル様、ちょっとご相談というか、報告があるのですが……」
朝食を終え、大欠伸を漏らしているジルの前にセラが一冊の本を差し出した。それは所謂家計簿のようなもので、セラが確認できただけのジルの財産や食料、及び備品の数が事細かに記されていた。
「え、ナニコレ、家計簿!?凄いね!本当に何でもできるなぁキミは……」
「あ、ありがとうございます。あ、で、それでですね、ちょっとここの所を見ていただきたいのですが……」
彼女が指差したのは『食料・水』と書かれた欄であった。一番下に今日の日付が書かれているのだが……。
「もう食料が殆ど無いんです。今残っているのは僅かな干し肉と野菜だけ……。このままでは今晩お出しできる食べ物が無くて……」
「え、そうなの?結構買い貯めしてたつもりだったんだけどなぁ」
確かにあった。セラがこの屋敷に来た初日、初めて倉庫の中を確認した時はそれこそ巨大な宿場の倉庫に貯め込まれた量と遜色無い程の食料が唸っていた。しかし、しかしである。
ジルが一度の食事で食べる量が多過ぎるのだ。初日の夕食こそ一人前の料理を拵えたセラだったのだが、それ以降はジルの頼みで十人前の量を作らされていた。
料理を作る事自体は嫌いではなく、重い食材などはジルが自ら厨房に運び入れてくれるので体力的にそこまで苦では無かったのだが、仕事の時間の大半を調理が占めてしまっていた。そして、それだけの量を作っていれば当然食材の消費スピードも桁違いに早いわけで……。
「早急に食材を仕入れなければ、食べるものがありません……」
「それはマズいな。セラの作る料理があまりにも美味しいからつい食べすぎちゃってたけど……。何とかしなきゃだ」
誉められて悪い気はしないセラであったがそれにしても食べ過ぎだ。レッドデビルに関する噂の中で、とある村の食料を一晩で全て平らげてしまったというものがあるがそれは事実で間違いないのかもしれない。セラはそんな事を考えながらただ苦笑いを浮かべていた。
「よし、じゃあ今日は一緒に街に買い出しに行こうか。食料の発注と、後は適当にぶらついてって感じで」
「わ、私もですか?」
「ウン。せっかく町に出るんだ、おめかししなよ。出発は一時間後ね。俺は馬車を呼んでおくよ」
「は、はいっ!!!」
好奇心を抑えられず蒼い瞳を目一杯輝かせ喜色を顔に出すセラ。
実は今回彼女を買い出しに誘ったのは理由がある。以前食事中にした雑談の中で、彼女がこれまでに『街』に出たことが無いという話になった事があった。
産まれてからずっと森の中で過ごし、街の賑わいはいつも行商にやってくる商人に聞かされたり小説の中で想像するものだったらしく、一度は自分も街に出てみたいという事を聞かされていた。それを覚えていたからこその提案でもあったのだ。
案の定、セラは一気に上機嫌になると小躍りしながら自分の部屋へ戻り服を選びだす。と言っても、決して豪華で気合の入った服にはしない。奴隷という立場故、主人が恥をかかず、尚且つ主人よりも目立たない服を選ばなくてはならない。
結局選んだのはいつも着ているワンピースに似たグリーンの服で、腰が紐で括られており若干裾が短く動きやすいものを選んだ。
一時間後、セラは部屋を飛び出し待ち合わせの玄関へと向かう。
「やぁ、可愛い服だね。それじゃ、行こうか」
先に玄関で待っていたのは、頭の先から足の指先まで全身を漆黒の鎧に身を包んだ大男。
結局、どの服を選んだとしても彼女がジルより目立つという事は有り得ないのであった。
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