第2話 お披露目

 馬車に揺られ半刻程。二人の主従が暮らす屋敷から一番近い街、レムメルへと辿り着いた。川と山に囲まれた自然豊かなこの街は各地の流通の要になっており、生鮮品の取り扱いだけでなく加工業も盛んに行われていて四方の玄関からは絶えず人が往来している賑やかな街である。


「足元にお気を付けて……」


 馬車の運転手が降りようとするセラの手を取ろうとするが、先にジルの手が伸びる。運転手は怯えながら手を引っ込めると木陰で馬を休ませ始めた。


「さ、到着したぞ」


「は、はい……!」


 到着、と言っても街の中に着いたわけではない。レムメルの街の郊外にある馬車の停留所に着いただけだ。これから同じように街に来た人々と共に少し離れた街中へと歩かなくてはならない。


 人ごみに紛れて街中へ入り込むつもりだったがどうしてもジルの鎧姿は目立ってしまう。


 街には鎧姿の傭兵や兵士は勿論の事、獣人やドワーフなどの魔族も存在するため鎧姿だけでは特別目立つことは無いのだが、彼の場合はその大きさと鎧の禍々しさが人の目を引いていた。


 中には彼がレッドデビルだと気付いた者も居り、その言葉が人の海へ波紋を起こしあっという間にジルとセラの周りに人が寄り付かなくなってしまった。


「あ、あの……。ジル様は外出の際はいつもそのお姿なんですか?」


 二手に分かれた人の波の間を悠々と進む中、セラが半笑いで訊ねた。


「いや、そういうわけじゃないよ?必要な時にしか着て出ないかな」


「そうなんですね……。ちなみに今日は何故お召しになっているんです?」


 その問いにジルは少し困ったように言葉にならない声を漏らすと、人々の喧騒と鎧の擦れる音の中微かに聞こえる程度の声で呟いた。


「セラは美人だから。変な男が寄ってこないように……」


「あ……。そ、そうですか。お気遣いありがとうございます……」


 照れ臭そうに俯くセラに対しそっぽを向くジル。彼の危惧は決して杞憂では無かった。


 先程から浴びせられている好奇の視線の内半分、いや、それ以上はセラに対して向けられていたものであった。


 本来は人里に滅多に姿を現さないエルフ。それも、極上の美貌の持ち主が道の真ん中を歩いていればその注目も致し方ない事だろう。


『オイ見ろよアレ……すんげぇ美人!』

『ああ、とんでもねぇ上玉だな』

『あれってエルフでしょ?私、初めて見た』

『綺麗……。まるでお伽噺の中で出てきそうな……』


 擦違う人々が、遠目で眺める人々が、同じ方向に並んで歩く人々が、口々にセラに対する称賛の言葉を口にする。それがジルにはとても誇らしかった。今回の外出はセラのお披露目も兼ねていたのだ。


 こんな美しいエルフと肩を並べて歩ける幸福を自慢したいジルの男心であった。そして彼は承認欲求を満たす為、再び群衆の声に耳を向ける。


『おい、ありゃレッドデビルじゃねぇか?』

『うぉ、マジだ……。え、てことはあのエルフ、レッドデビルの奴隷なんじゃねぇか?』

『え!?本当かよそれ!?』

『いや、だってあのレッドデビルの横を歩く女だぜ?奴隷に決まってらぁ』

『言われてみれば確かに……。しかし流石はレッドデビル。奴隷もそんじょそこらのモノとはワケが違うな……』


「……」


 間違ってはいない。奴隷であるという点は間違いでは無いのだが、そう決め付けられた根拠が何とも釈然としないジル。そしてそんな主人の心境を察してかセラも困ったように肩を竦めた。


 そんなやり取りを繰り返す内、一行は漸く街中へと辿り着く。


「う……、わぁあ……」


 未知なる光景にセラは感嘆を漏らした。


 街の中心部にある大きな噴水から伸びる巨大な四つのストリートがこのレムメル最大の特徴である。露店が道の両端に所狭しと並び、その間を人々が往来する。大道芸を披露する者も居りその賑わいはまるでお祭り。経験したことの無い喧騒と熱気にセラは圧倒されていた。


 歩く事すらままならない人ごみであったがそこはジルの鎧が役に立った。少し乱暴だが快適に歩けたセラは忙しそうに首を何度も捻り、見るもの全てに瞳を輝かせていた。


「どうだい?街に出てみた感想は」


「そうですね……。明るくて、賑やかで、眩しくて。自分が暮らしていた森とは大違いです……。ここに居るだけで楽しい気持ちになってしまいますね!」


「そうか、それは何よりだ。気になったお店があれば寄ってもいいよ」


「え!?良いんですか?」


 そう問い返してはいるものの、既に彼女の足はフラフラと露店の方へ歩き出していた。ジルは鉄仮面の下で暖かい苦笑いを浮かべながら付かず離れずの距離を保ちセラの後を追う。瞳を輝かせ見物している最中、とある露店の前で彼女の足が止まった。


「……可愛い!」


 そこは手作りのアクセサリーが所狭しと並べられた小さな露店であった。その商品のどれもが木材で作られたものであり、そのどれもがどことなく温もりを感じる。


 周りの喧騒とは打って変わってこの店の周りだけ落ち着いた空気が感じられるのは恐らく鎧姿のジルのせいだけではないのだろう。派手にあしらったものではなく地味な色合いだからこそ帯びる気品と可愛らしさにジルも顎に手を当て眺めていた。


「いらっしゃい。気に入ってくれたかい?」


 陳列台の奥で小さな座布団に正座し茶を啜っていた鼻の長い皺だらけの老婆が嗄れ声で二人に声を掛けてきた。


「すっごく可愛いです!この首飾りとか特に……」


 セラが指差したのは細い紐の先に猫の形を模した小さな木版が繋がった首飾り。白髪の老婆はそれを見てくしゃりと顔を潰した。


「それは自信作だ。お目が高いのう」


「婆さん、これ全部アンタが?」


「そうじゃよ。みーんなアタシの手作りさ。かれこれ五十年作り続けておる。まぁ、五十年やっててアンタのような有名人に足を運んでもらったのは初めての事だがね。アンタ、レッドデビルだろう?」


隠しても意味が無い。ジルは素直に首肯した。


「すまない。俺のせいで客足を遠ざけてしまって」


「なぁに、そもそも客なんて付いておらん。何なら何か買っていっておくれ。レッドデビルに買ってもらったとなればウチにも多少なりと箔がつくからねぇ。ま、アンタにはこんな可愛いモンは似合わんだろうが」


 冗談めかして笑って見せる老婆。自分を見て怯える様子の無い彼女にジルは少なからず好感を抱いていた。


「ホレ、彼女か嫁さんか知らないがそこのお連れの美人さんにでもプレゼントしてあげなさいな。男は甲斐性じゃよ」


「ち、ちち違います!私、そんなんじゃないです!」


 顔を真っ赤にして大げさに両手を左右に振るセラの反応にジルも顔を背ける。


「ういのう……。で、兄さん、どうするんじゃ?」


「まぁ、そうだな。一つもらうよ」


 ジルは腰にぶら下げた袋から金色に輝く硬貨を取り出し老婆に手渡す。しかし老婆は難しい顔を浮かべそれを突き返してきた。


「兄さん、こんな高価なもんもらってもおつりなんて出せないよ。せめて銅貨にしとくれ」


 ジルが手渡したのはリアナ金貨という他の金貨よりも希少で価値も高く、その一枚で大型の馬車が買えてしまう代物。とても老婆の寂れた店では処理しきれない。しかしジルはその返金を拒否した。


「今はそれ以下の硬貨を持ち合わせて無くてな。運が良かったと思ってもらっといてくれ」


「ほっほっほ。そうかい。ならありがたく頂くとするよ。ただ、流石に首飾り一つでこれだけもらうのは忍びないからね。また遊びに来とくれ。うんとサービスするよ」


 老婆は金貨を大事そうに服で磨きポケットに仕舞うと慣れた手つきで首飾りを小袋に包み、おまけに可愛いリボンを着けると迷い無く麗しいエルフの手へと運ぶ。


「え!?あの……」


「もらっておきなよ。大したものじゃないけど、プレゼントだ。初めての街記念にね」


「うわぁ……。嬉しいです。大事にします」


「うん……。そうして」


 作った張本人の前で『大したものじゃない』とかいうもんかねぇ。と、老婆は喉を鳴らして笑うが、しかし初々しい二人の微笑ましいやり取りを幸せそうに眺めていた。


 またおいで。と告げる店主にセラは恭しく頭を下げると、甘い香りを残しその露店から姿を消す。


「フフ……。とても、悪魔には見えないねぇ」


 老婆は誰にも聞こえないように呟くと、温くなった茶を啜った。




 ――数時間後。


 セラとジルは本来の目的である食料品の買い付けを済ませ、夕暮れの街中をダラダラと歩いていた。


 夜が近付くと客層も多少怪しい気配を帯びてくる為、ジルは昼間以上に警戒の目を怠らない。セラはそれを知ってか知らずか相変わらずの眩い美貌を辺りに撒き散らしながら物色を楽しんでいる。


 一見すると奔放な彼女に振り回される彼氏。奴隷と主人の関係にはとても見えない。


 因みに購入した食料は量が多すぎる為業者に届けてもらうことになっているのだが、折角なので今夜は街で食事を済ませる事にしていた。


 露店でちょっとした食べ物を買ってはその辺で座って食べるを繰り返している内に、セラは小さく欠伸をするようになっていた。散々歩き、お腹も膨れ、睡魔が一気に襲ってきているのであろう。その足取りも覚束ない。


「もう満足できたかな?」


 遠回しに帰宅を勧めるジルの言葉にセラは片目を擦りながら小さく頷いた。


 馬車乗り場に行くと運の悪い事に全て出払ってしまっており、一番早くとも次の馬車が来るのは半刻後。二人は近くの待合席での待機を余儀なくされる。


「……ん?」


 ふと、鎧越しに伝わる淡い重み。右肩に目をやると、セラが鎧の腕にもたれかかり可愛らしい寝息を立てていた。ジルの全身が硬直しかつてない多幸感が津波のように押し寄せる。それは、ジルがこれまでに経験したことの無い女性との触れ合いであった。


 こんな硬い鎧で申し訳ないと思いながらもその穏やかな寝顔を心行くまで堪能するジル。馬車を待つ半刻などあっという間であり、わざと馬車を一つ遅らせてこの幸せを噛み締めていたのはセラには内緒の出来事である。





 ――――――――――





「おい。あれ……」


「あぁ、間違いない」


 閑散とした待合所で馬車を待っていたとある二人の男が、ジルの存在に気付いた。


「じゃあ、あの隣に居るエルフは……」


「おそらくそうだろう」


「じゃあ、あの噂は本当だったのか」


「あぁ。こりゃあとんでもない事になりそうだ。早いとこ報告しないとな……」


 小声でそう話す軽装の鎧を着た男達。彼らの鎧の胸の部分には、とある紋章が刻まれていた。


 この大陸で生きる者なら誰でも一度は見たことのある紋章。燃え盛る太陽とそれを貫く剣。


 それは、レギンドの大戦の勝者であり、現時点での大陸の覇者であるオズガルド帝国の紋章であった……。

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