第9話 堕ちてゆく男
賭場の借金は減るどころか、増えていく一方だった。ばくちをやめられなくなっていたからだ。
篠崎は家に居場所がなかった。
彼が常々誇りにしてきた馬廻組篠崎家三百石は先代の父親が亡くなり、長兄が跡を継いだ。次兄も乞われて他家の養子となり近々家督を継ぐ予定になっている。篠崎家の跡取りは、長兄の子である甥と決まっているので、三男である篠崎祐馬は篠崎家の厄介者でしかなかった。
加えて、年が離れた長兄とはもともと折り合いが悪く、小さな子供たちを抱えた兄嫁からは、篠崎の粗暴な性格が毛嫌いされている。
数ヶ月前にあった養子縁組の話しを相手の家格が低すぎることを理由に断ると、不出来な弟のためにいろいろと周旋してきた兄夫婦を激怒させてしまうことになった。
「二度とお前に養子の口はないと思え!」
「結構です、兄上」
売り言葉に買い言葉とはいえ、うかつなことを口走ったと後悔したが遅かった。このままでは一生、部屋住みの日陰者である。
一方で、幼なじみの大村圭介が翌春には家督を継ぎ、馬廻組見習としてお城にあがるという話を聞かされるに及び、篠崎の苦悩は一層深まっていた。
そんなときに出会ったばくちである。ばくちがもたらす一時の興奮と出目を当てた時の満足感は、篠崎の鬱屈を幾分か慰めてくれたし、なにより賭場は彼を受け入れてくれた。
針のような過ちを棒のように取り上げては小言をいう兄嫁も、ことあるごと先輩づらして助言しようとする板野喜十郎もここにはいない。ありのままの篠崎を受け入れ、思うまま振る舞わせてくれる賭場は居心地がよかった。
賭場はたしかに悪所だが、時平重吾と通っているうちはまだ良かった。時平は、引き際をわきまえたきれいなばくちを打つ男で、決して大負けするということがなかったからだ。
しかし、あるときからふっつりと時平が道場に姿を見せなくなると、篠崎を押しとどめていた留め金が外れた。始終、賭場に入り浸るようになり、それにつれてみるみる借金の額が増えていったのである。一両の借金が瞬く間に二両となり、月が明ければ五両になった。
――まずいな。
そう考えたものの、いまさら賭場通いをやめるなど、篠崎には思いもよらないことだった。だが、その頃にはすでに賭場の胴元から篠崎は目をつけられてしまっていた。
「これ以上、融通させていただくのは、ちょっと……」
これまでは気前よく賭金を貸してくれていた賭場の金貸しが、篠崎の借金を断ったのだ。
「金は貸せんというのか」
「溜まっているツケを払っていただけますなら喜んで」
――ちっ
舌打ちしたころで始まらない。
このときすでに屋敷の小者や道場の剣術仲間など、心当たりからは借り尽くしていたのである。大村圭介などは小金を貸すに当たって、
「何の入用だ」
「祐馬の兄上はご存じなのか?」
などと、篠崎の身を心配してのこととは分かるが、金の使い途を根掘り葉掘り尋ねられて閉口した。もちろん、遊ぶための金など実家の兄嫁が都合してくれるはずもない。もうどこからも金を借りる当てはなかった。
賭場の借金は五両を超えた。月初めには清算しなければ借金取りが屋敷へ押しかけてくるだろう。そうなれば長兄が篠崎を家から放逐することをためらう理由はなくなる。くそっ、身の破滅だ。
篠原が頭を抱えて賭場の壁に背をもたせかけているところへ、声をかけてきたひとりの男があった。
「お困りのようだ。よかったらおれに肩代わりさせてもらえないか」
篠崎より頭ひとつ大きい巨体に長い手足。凶悪そうな顔の左頬には白っぽい傷が浮いてみえる。刀傷だ。地獄の獄卒のようなその男は、作りつけない笑みをその顔に張り付かせて囁いた。
「篠崎祐馬だな」
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